往生際の悪さと、永い因縁のはじまり
「ぐぶぉ……!? お、おのれググレカァアアス! 殴ったな、この私を……! う、美しきこの顔を……! 汚ならしいスライムなどで……!」
白きハイエルフ、ヴォズネッセンスがわめき散らす。髪を振り乱して左頬を押さえ、よろめく。
粘液にまみれたヤツは取り乱していた。冷静沈着な印象とは裏腹に、怒り、狼狽え、困惑……。ありとあらゆる感情が渦巻いているのが手に取るようにわかった。
「許さぬ……! 認めぬ! こんな……! こんな魔法など認められるか!」
いつもツンとした澄まし顔、無表情で感情を読めないハイエルフからすれば、実に人間らしい反応だ。
「勝負はついたはずだ。まだ足りないなら……ブン殴るぜ」
「魔法使いともあろうものが殴るのか!? ま、魔法で勝負しろ! このイカサマぺてん師! 崇高なる知恵の勝負を放棄した貴様など……ひゃぶ!?」
ぱちーんともう一発。
横っ面に叩き込んだのは、粘液魔法の触手による平手打ちだ。飛び散る粘液とともにヴォズネッセンスの顔が半回転する。
「これが俺の魔法、戦いかたなのでな」
「ん……な……バカな……」
呆然とした顔で、よろけたハイエルフがビチャッと、粘液で覆われた地面に尻餅をついた。全身粘液まみれで、自慢の魔法さえも励起できない。
プルゥーシア最強の魔法使いが、今や見るも無惨な有り様だ。
「よそう。これ以上は泥試合だ」
「それをおっしゃるなら粘液試合では」
肩に腰かけていた妖精メティウスがボソッとツッこみを入れる。
「負けた……のか、この私が……」
震える手を見つめ、唇をわななかせる。魔法使いの絶対王者。無敗の帝王たるヴォズネッセンスにとっては受け入れがたいことかもしれない。
「そういう事にしてもらえないか」
手打ちにしよう、という提案だ。
これ以上は殺し合いになるが、それは望まない。
連中が当たり前のように駆使する古の魔法は繊細かつ、超高度な魔法文明の叡知だ。そしてそれを極めしヴォズネッセンスの時空結界は、時間と空間の認識を狂わせる。まさに至高の領域と呼ぶにふさわしい恐るべき結界術だった。
しかし、それらは俺の考案した『新しき魔法』の概念、新しい戦術の前に破れ去った。
魔法の無効化自体は昔からあるが、更にその源である魔素を一定範囲内で無力化するという点で、新しい試みだった。
「魔素そのものを、改変するなど……。この私が生きてきた数百年間、誰も……考えさえもしなかった領域……。それを……ググレカス、貴様は……」
「発想の勝利と呼んでもらおう。考案し実験をくりかえし、実装。実戦で使うのは初めてだが、チャレンジ精神は認めてほしいな」
メガネをくいっと動かして胸を張る。
「チャレンジ……」
「そうさ。過去にばかり目を向け、古の魔法を極めた貴公ら。対して俺は未来、次の魔法を考えていた。その方向性の違いだよ」
固定概念に縛られた魔法ではなく、新しい魔法。今自分が持ちうるチンケな魔法を組み合わせ、新しいことに挑戦する。それが勝敗を分けたのだ。
「ヴォズネッセンス様……! ここは……撤退を」
「この領域では我らの古の魔法が、使えませぬ。戦闘継続は困難かと……」
ドラゴン化の魔法が解けた二人の魔法使いが、よろよろと近づいてきた。スライムの濁流に揉まれ、全身はドロドロ、立っているのがやっとの様子だ。
仲間たちはヴォズネッセンス同様、いまは魔法が使えない。
「スホイ・ベールクルト、マトリョー・シルカス……! おまえたちまで……」
仲間たちの声に振り返るヴォズネッセンス。
受け入れがたい現実だろうが、これ以上の闘いは無意味だ。
プルゥーシア皇国最強の魔法使いたちが敗北したとなれば、明日の国境線画定交渉もメタノシュタット側にとって有利な条件での協議がすすむだろう。
俺がこの領域に充満させた『改編魔素』を体内に取り込んだ連中は今、魔法が使えない。
ヴォズネッセンスの誇る超儀式級魔法『時空結界』は崩壊した。それにともない充満させていた『改編魔素』も拡散、濃度が下がりつつあった。
気づかれると今度は反撃される危険もある。
「お前らの魔法は数日もすれば元に戻る。この場は退いてくれないか」
改めて停戦を呼び掛ける。
事実上の降伏勧告だ。
離れた場所から成り行きを見つめているレントミアとマジェルナは、体内に蓄えた元来の魔素が残るよう結界で守っていた。おそらく1、2回程度の攻撃魔法は放てるだろう。
視界に浮かぶ戦術情報表示、全方位索敵結界に映るヴォズネッセンスたちから魔法の気配は感じられない。完全に機能停止、魔法は歪み、形を成さない。
つまり勝利は揺るがない。
ヴォズネッセンスたちはついに数歩下がった。
「……後悔するぞ、ググレカス。この場で……私を殺さなかったことを」
「まだそんな口を叩く元気があるとはな。貴公の額に刻み込んだ『敗北者』の文字を、皇帝陛下に見てもらうといい」
「はっ!?」
「メタノシュタット流のジョークさ」
「貴様……! どこまでも愚弄を……!」
額を両手で押さえ慌てるヴォズネッセンスに、左右にいた部下たちも笑いをこらえる。しかしすぐに表情を引き締め、誤魔化すように俺を指弾する。
「か、勝ったと思うなよググレカス!」
「そうだ! 正々堂々、真正面での戦闘ならオレたちが勝っていた!」
「あーそうですか、不満ならまた勝負してやるよ」
「ググレ、やっぱり今ボコボコにしちゃおうよ!」
「てめぇら、今からやるか、あぁ!?」
レントミアとマジェルナが気勢をあげると、連中は苦虫を噛み潰したような顔で踵を返した。
「この場は……引き分けということにしておこう」
ヴォズネッセンスが、ネトネトの髪をかきあげた。冷静さを取り戻したフリをしているのがまるわかりだ。
「まぁ? ずいぶんと往生際の悪いお方ですこと」
妖精メティウスも呆れ顔。
「は、はは……もうすこし気の利いたセリフはないのか」
「魔法による勝負は知性と教養くらべさ。君は、私の高みには及ばない!」
「なんとでも言ってろ」
ヴォズネッセンスは敗北を認めていない。不正行為による無効試合、とでも言いたいのだろう。
「それに!」
「まだ何か言い足りないのか!?」
さらに離れてから振り返って俺を睨み付ける。
「貴様は所詮は人間……! 短命の種族よ……! ハハハ!? この意味がわかるか! 私はあと何百年も生きる! だが君はどうだ? せいせい数十年だ……! この先、何回でも勝負を受けるだと? 笑わせるな……! この一度の、まぐれの、たまたま偶然の、卑劣な勝利など、一瞬の泡! 次には消えてなくなるのだ! わかったか、このバーカ! オタンコナス!」
「……お、おぅ」
「まぁ……あきれた」
さすがの俺も反論できなかった。
ハイエルフがぶっ壊れる瞬間をはじめて見た。
しかし、だ。寿命の違いを言われると、確かにヤツは最終的に勝者となるだろう。この先、何度か拳を交えても、解り合えない限りは。
「アイツとうとう寿命とか言い出した!」
「やっぱ今殺しちゃる!」
レントミアとマジェルナが血相を変え、魔法を励起してダッシュ。
「や、やばいですって、ヴォズさま!」
「ここは戦略的撤退です!」
「は、放せお前たち……くそ、ググレカァアアス!」
「あぁもう、このへんで!」
「こんな人だっけ!?」
ヴォズネッセンスの部下たちは口々に言いながら慌てた様子で、ハイエルフの両脇を抱える。そして一目散に遁走していった。
「……はぁ、やれやれだ」
「末長いお付き合いになりそうですわね」
妖精メティウスの言葉にため息を吐く。
「それは……嫌だなぁ」
気がつくと東の空が白みはじめていた。
夜明けが近いのだ。
「さて、ファリアたちの無事を確かめよう」
「そうですわね!」
なんとか長い夜は終わり、新しい一日がはじまろうとしていた。




