古(いにしえ)の魔法と『新しき魔法』
◇
「私の美しき、神聖なる魔法に……一体何をした、ググレカァアアスッ!」
ヴォズネッセンスの絶叫が耳朶を打つ。
ハイエルフの魔法使いが目を血走らせ、美しい顔を歪ませる。冷静沈着にして底知れぬ魔法知識を持つ男。プルゥーシア皇国魔法界の最高権威である白きハイエルフが怒りの感情をむき出しにする。
ヤツにとって想定外のことが起きているのだ。
「心の乱れは魔法の乱れ、どうした? らしくないぞ」
俺は賢者のマントを振り払い、周囲に魔法円を展開する。青白く光る無数の円と幾何学模様。微細なフラクタルな構造が連鎖した特殊な魔法円を。
魔力糸により紡ぐ魔法。その集大成ともいえる魔法の具現化だ。
「なっ……!? その術式は一体……!?」
眉根を寄せ息をのむのがわかった。
「ヴォズネッセンス卿、貴殿にとっては初見だろうさ」
「まさか!」
「俺のオリジナル言語体系だから」
フラクタル構造の魔法円の奥深くで術式が目まぐるしく変化してゆく。
「ググレの……オリジナル!?」
「クソ賢者め、いつのまにあんなものを」
レントミアとマジェルナも態勢を立て直す。結界を再構築し、ダメージを簡易的な血流操作で自己修復する。
視界に浮かぶ戦術情報表示。全方位索敵結界のゲージが『臨界』を示していた。
ヴォズネッセンスの展開していた空間、超儀式級魔法である『時空結界』が崩壊してゆく。
「私の芸術品、時空結界が溶けてゆく……!」
もはや時間操作の魔法は使えまい。
ヴォズネッセンスの時間操作にはしてやられた。敵に勝てない、と思い込ませるインパクトは絶大だった。しかしタネを明かせば比較的簡単だ。
『古の魔法』に属する高度な儀式級魔法で、半球形状の結界を構築する。そして内側を特殊な魔法術式――認識撹乱魔法の微細粒子で満たす。それらは毒性が低く、防御結界もすり抜ける。空気に混じる煙のように体内に侵入する。
あとはヴォズネッセンスの術中だ。対象に時間遅延、時間停止を錯覚させる。
俺が外側から脳や感覚に干渉し、認識撹乱を起こさせるのとは真逆の発想だ。
ゆえに、ヤツの結界を逆手にとった。
内側を満たすため「封じ込める」性質を利用し、『古の魔法』の根元を破壊する、特殊な改ざん魔素で満たしたのだ。
奴らの『古の魔法』は汚染され、徐々に蝕まれてゆく。
「デバフの効果が出てきたな」
「ぐぉおおっ!? ヴォ、ヴォズネッセンス様ぁあっ!? これは……一体!? 竜化魔法が、維持できないッ……!」
「バカな!? 我らの『古の魔法』が乱れ、機能しない……!」
レントミアとマジェルナを襲撃していた二頭のドラゴンは地上へと堕ち、その衝撃で崩壊してゆく。
魔法の擬似的な血肉の海の中から、二人の魔法使いが苦しみながら姿を現した。
「擬物の魔術師風情がッ……!」
ヴォズネッセンスが激昂する。
白い髪を振り乱し、憎悪を漲らせる。そして両手に真っ赤な火球を励起。劫火が両腕で渦を巻く。
指先の豆粒ほどの火球で、賢者の結界を破壊した最強の火炎魔法か。
極大級レベルの火炎を、盛りに盛ってダブルで叩きつけようというのか。
「消し炭さえ残さぬ……! 原子分解してくれる! 我がハイ・エルフの奥義にして古の魔法の真髄! 原初の輝き虚空滅却超熱破ッ!」
輻射熱だけで地面が融解、膨張した空気が光を屈折させ周囲が歪んでゆく。
「あれはヤバすぎるだろ!?」
「うわわ、熱っちい! ググレッ!」
マジェルナとレントミアが叫ぶ。あまりに強大な魔法力に血相を変え、バックダッシュ。背後へと退避する。
「ググレカス、無駄だ! 防御など不可能さ。耐熱結界も無意味、空間を隔絶しようが、時空そのものを爆縮、極超高温で消滅させるのだからね!」
白いハイエルフが切れ長の目を見開き、両腕を突き出した。賢者の結界が輻射熱だけで次々と耐久限界を越え、ひび割れてゆく。
「ほぅ! あれがハイ・エルフの本気というわけか。原子さえ形状を保てない程の熱量……! プラズマ化した極超高熱源魔法ともなれば、確かに防御など不可能。まさしく火炎系魔法の真髄か!」
これほどの熱量、圧倒的な魔法エネルギーは聖剣戦艦の魔力反応炉以来だ。一人の魔法使いが励起できるものなのか……!
「け、賢者ググレカス!? 何を呑気なことを言っているのですか! 流石に危険ですわ!」
流石の妖精メティウスも慌て、賢者のマントの襟首から飛び出して頬を叩きまくる。
だが俺は、興奮を抑えられなかった。
「素晴らしい! その圧倒的な魔素量! それほどの魔力を隠し持っていたとは……!」
ヴォズネッセンスの力に感嘆せざるをえない。
改変魔素によるデバフ、魔法制限の術中にありながら、世界を崩壊させかねないパワーの魔法を励起できるのだ。
「ググレカス、君は神聖なる魔法の真髄、至高の『古の魔法』を目にしているッ! しかし、神経が熱さを感じるよりも速く、肉体は原始分解され、素粒子の海に戻る。残念だがこれで……お別れだ!」
勝利を確信した表情で、ヴォズネッセンスが両腕を突き出した。
超高熱によりヤツの周囲の地面が溶解。泡立ち蒸発し、光と熱の激流が向かってくる。
だが――。
「それほどの熱魔法、プラズマ状態を維持し続けるには、膨大な魔素が必要だろう?」
熱と光の奔流が突如、輝きを失った。
フッ、と渦巻く炎が消え、光が闇に変わる。超高熱プラズマの白熱した輝きは、瞬時に泥のような黒い濁流へと変質。地面にドチャァアアと撒き散らかされた。
「な……に、ぃいいいイ!?」
ヴォズネッセンスが突然の事に唖然呆然、悲鳴じみた声を漏らす。
膨大な熱量が、周囲で泥のように変じた液体を沸騰させた。赤熱した鉄を水に放り込んだ時のような音をたてながら、白煙が立ち昇る。
「魔法が崩壊した……! 時空結界と同じように……? そうか!」
「ググレカスの野郎、まさか……!?」
レントミアとマジェルナも気がついたようだ。
俺の仕掛けた魔法のカラクリに。
「き、貴様……ま……まさ……か」
ヴォズネッセンスは自分の手を見つめながら、震え声でうめき声を発する。ヤツも気がついたか。
「あぁ、魔素の構造を変えた」
「バカな! そんなことができるはずが無い!」
「あぁバカげた話さ。だが、ご自慢の『古の魔法』はどれもポンコツさ」
竜化の魔法も、時空結界も。そして究極の火炎魔法でさえ。奴の魔法は崩壊している。
「な……! に……」
――魔素の改変。
こんなことは誰も思いつきもしないし、チャレンジさえしない。
王立魔法協会で日夜魔法議論を戦わせる魔法使いや魔女たちはもちろん、まっとうな魔法使いならば、考えも及ばない。
魔法の根元たる『魔素』そのものに手を加えようなどと。
「魔法に対する冒涜だ……!」
「そうかもしれないな」
「貴様……! 貴様は……禁忌を犯した! 万死に価する……! 魔法の原理をねじ曲げるなんて……そんなことが、魔法使いとして許されると思っているのか!?」
「さぁな、勝てばよかろう?」
俺は冷たく言い放った。
酷い言い方だとは思うが、二度とこいつらと戦いたくないからだ。突き放し、魔法の勝負だの、マウントの取り合いだの、ランキング大会なんぞにも関わらない宣言だ。
「レントミア、ググレの奴は何の話を……?」
「水だと思って飲んだものが密造酒だった。ってことかなぁ」
さすがはレントミア。言い得て妙。
水を吸うように魔法は周囲の環境に満ちている魔素を消耗する。それが質が悪いものだった、ということだから。
「改変した魔素は時間が経てば自然に分解する。この戦いが終われば影響は残らない」
魔素が魔法を司る根元なら、逆に魔素そのものを変質させることで、魔法を操れるのではないかと考えたのだ。
「こんな戦いかた……魔法使いの風上にも置けぬ! 紛い物の、詐欺師めが」
「なんとでも言え。ニセモノには偽物の戦い方があるのさ」
「スホイ、貴様らも一斉攻撃! ググレカスを葬れ……!」
ヴォズネッセンスが絶叫すると、仲間の二人も立ち上がり俺に手を向けた。
体内に残った純粋な魔力、魔素で魔法を励起する。時空結界が崩壊した今、改変魔素も拡散し消えてしまう。
決着をつけるなら今しかない。
連中の手の先で火炎魔法と氷結魔法、風の魔法が渦を巻く。しかし不安定に明滅し、魔法が機能しない。
「な……!?」
「そんな……! 古の魔法が……!」
「お、おのれ……! おのれググレカアアアス!」
「終わりだ」
俺は周囲の魔法円から粘液魔法を濁流のごとく大量に励起した。
スライムの洪水が三人の魔法使いに押し寄せる。
「うぉおおおおおお!?」
「スライムの魔法!」
「何という、おぞま……し……」
連中の足元まで迫った粘液魔法が無数の半透明な触手を伸ばす。
「スラスラスラスラ、ズラゥラァアアッ!」
ドゴドゴドコ! と、一斉にスライムの拳が三人に襲いかかり殴り倒す。
「「ぐばぁああっ!?」」
そして、ストレートのパンチが、ハイエルフの顔面にヒット。美しい顔をミシリ、と歪ませた。
「ま……魔法でさえ……な……い」
「これが『新しき魔法』の戦いだ」




