突入! 時空結界
◇
結界の境界面が、蜃気楼のように揺らいでいる。
俺は姿を隠しつつ、展開された巨大な結界の周囲を歩く。
七色砦を取り囲むのは、直径三百メルテに達するドーム状の位相空間。
境界面にそっと触れてみると、波紋が空間に広がってゆく。魔法使いでなければ感知出来ない、結界特有の反応だ。
――弾力のある半透明の膜のようだな。
更に、両手のひらを結界に押し付ける。何の抵抗もなく通過する。ズブズブと両手が結界の内側に突き抜けた。立ち入ることを拒まない罠。アドミラル・ヴォズネッセンスの『時空結界』だ。
空気の感触がかすかに違う。結界の内側は、ヤツが時間を自在に操る危険な領域だ。
ゆえに、俺は中に立ち入らない。ここから反撃の術を仕掛ける。
時空結界はハイエルフ、アドミラル・ヴォズネッセンスの誇る魔法結界。
魔法の叡智、古の魔法に精通した男の術は、自らに絶対的な勝利を約束するフィールドだ。
俺の「敵を拒絶する」壁としての結界とは発想が真逆。
中に招き入れて敵を仕留める。時空結界の内側では、擬似的な時間停止により、あらゆる攻撃が無力化される。おそらく空間内のあらゆる位置、魔力、攻撃などの特性を瞬時に把握されるに違いない。
だが、外側からの攻撃ならばどうだ?
ヤツには俺の姿を検知することは出来ないはずだ。
――位相変換式認識撹乱魔法
――複合光学隠密魔法
賢者の最新式のオリジナル魔法。とっておきの秘術をふたつ同時展開。完全に姿を消しているのだから。
二種類の新式魔法の混合使用による効果は、多岐にわたる。
熱検知や魔力感知を中和、無効化する。息遣い、動くことで生じる空気の流れを減衰、偽装する。
体温による空気の温度変化、地面の圧力……。あらゆる検知可能な物理的情報を分散し、希釈する。
魔力探知系の魔法が能動的索敵、受動的索敵どちらだろうと透過、あるいは中和し無効化。魔力反応を欺瞞して姿を完全に消すことができる。
これでほぼ透明人間に近い状態だ。
長年の研究と、数多の実戦を重ね、編み出した最強度のステルス系隠遁魔法。
今までの魔法聖者連との遭遇戦では使っていない。切り札のひとつ、虎の子の魔法を投入したが、出し惜しみはしない。
――全力で戦わねばあの男には勝てない……!
受動状態戦術情報表示が警告を発する。
青い輝点が三つ、敵を示す赤い三つ輝点と接触する。
レントミアとマジェルナ、それに「偽ググレカス」ことメティが時空結界内部に突入している。仲間たちが敵と接触。戦闘が開始されたことを示す。
――頼んだぞ、みんな。
真正面から乗り込み戦闘が始まったのだ。
いかにヴォズネッセンスといえども、乱れ飛ぶ魔力の波動をかいくぐり、結界の外側に隠れ潜む俺を見つけることは難しいだろう。
殊にも「偽ググレカス」は俺の魔力波動を完全にコピー。姿かたちまで偽装しているのだから。
仮にバレたとしても、その時はもう遅い。
俺たちの作戦に気づくころには「仕込み」は終わっている。
――さぁ、始めようか……!
静かに闘志を漲らせ、魔法術式を励起する。
戦術情報表示を視線で操り、魔法術式の集合、スクリプトを連続的に自動詠唱。魔導書数冊に及ぶ膨大な術式が詠唱されてゆく。
悟られぬよう、静かに、慎重に。体内で魔法円を重ね合わせる。魔力の漏れない身体の内側で、魔法の『生成器』を組み上げる。
これが魔術的な器、いわば偽りの聖杯だ。
――魔素、変換開始……!
器に魔力を注ぎ込む。「偽りの聖杯」の中で魔力が分解され魔素へと還元される。
そこへ特殊な術式――古の魔法を解析した――を転用し、魔素の一部に性質を付与、変質させてゆく。
――改変魔素の生成を確認。
器から溢れた紫色の霧を『時空結界』内部へと送り込む。改変した改変魔素は、静かに浸透、拡散し始めた。
卑劣な手段だと罵られても構わない。
魔法使いの風上に置けぬと言われようと、仲間を失うよりはずっといい。
時空結界内の改変魔素の濃度が上昇してゆく。
魔素はあらゆる魔法の源だ。
魔法使いは体内に蓄えた魔素から魔法を放つ。
あるいは大気や地面から集め、強力な魔法を励起する。
さらには精霊や神への祈り、儀式を通じて膨大な魔素を集約し、儀式級の魔法を成立させる。
魔法使いや魔道士にとっての力の源にほかならない。
それが魔素の本質だ。
魔法学校や王立魔法協会において神聖視され、「魔素はそれ以上分けることの出来ない魔法の最小単位。世界の定理」と定義されている。
それを人工的に改変する。
だれも思いつかないだろう。
侵してはならぬ聖域。禁忌として研究さえ禁止されているのだから。
真っ当な魔法使いならば、考えもしない。神聖なエネルギーたる『魔素』に手を加えようなどと、誰も。
神の定理、世界の理。
振動し、揺れ動きながら魔法のエネルギーを生む基本粒子。
それは、おそらく見えざる次元の向こう側と我々の住む「こちら側」を行き来する量子。例えるなら、魔素は、別の次元から力を汲み出す「井戸」だ。
奇跡のように、無からエネルギーを生み出すわけではない。対価は……おそらく上位に存在する高次元のエネルギーの枯渇だろう。
魔力は無限に湧き出すものではない。聖剣戦艦を操っていた時代、あの超古代のヴィジョンがヒントをくれた。
遠い過去、超竜ドラシリアとの戦いで時空は引き裂かれ、世界はいくつにも分割された。あの魔法を極めし世界が隠された次元こそ魔力の源泉なのだろう。
視点を変えれば、魔法は時間の流れとエントロピーに縛られている。
火が燃えて熱を発し、エネルギーを失う。
水が高いところから、低い場所へと流れてゆく。
自然の摂理と変わりはない。
いかなる高度な魔法だろうとも、世界の法則、つまりは魔素の法則に則っている。
ゆえに時間を遡ることも、時間を停止させることも、出来はしない。
俺の推測が正しいなら――。
ハイエルフのヴォズネッセンスの時空結界の正体は、同じように改編したなんらかの魔素によるものだ。
時間を操ったように「見せかける」ため、魔素で時空結界を満たしている。
でなければ時間遅延という術は成りたたない。
それがヤツの魔法の正体だ。
――正解か?
勝負といこうか、ヴォズネッセンス。
結界の内側に特製の『改変魔素』を静かに、拡散させてゆく。
空間内に満ちている通常の魔素以外、「異常な魔素」と結合、中和分解させる俺の魔素を。
◇
時空結界の内側に突入するや、二頭の巨大な竜が襲いかかってきた。
全身金属のような鱗で覆われた、超竜を思わせる姿――
『ゴガァアアア……!』
『グゴガガガ、死ねェエエい!』
飛翔術使い、スホイ・ベールクルト。
無幻術使い、マトリョー・シルカス。
魔法聖者連の序列5位と3位の二人が「古の魔法」により竜化した姿だった。先日の逃避行時の姿とはまるで違う、禍々しいまでの戦闘用の姿で、同時攻撃を仕掛けてきた。
風と衝撃波、火炎と呪詛のブレスをそれぞれ放射する。赤と青の光は絡まりあい、強力な閃光となり地面に命中。
レントミアとマジェルナたちへブレスの衝撃と熱が迫る。
「うわっ、ヤバイ!?」
「ド派手な歓迎だなオイ!」
『きゃゃぁあ!? 危ないですわよ!』
ブレスが毒蛇のように狙う先には、レントミアとマジェルナ、そして妖精メティウスが操る偽ググレカスがいた。
『我らのブレスハァ!』
『全てを溶かすゥァ!』
「あーもう、ググレがいればこういうとき楽なのに……!」
軽口を叩きつつも、レントミアが全力で魔法結界を展開する。ググレカスと同じ系統の結界だが、さらに『円環魔法』によって加速、増幅。
レンズのように無数に重ね合わせて、空間を歪めることで、破砕のブレス、青と赤のエネルギーの奔流をねじ曲げる。
「うっ……く!」
さすがのレントミアも苦痛に顔を歪める。若草色の髪をなびかせながら、杖を地面に突き立てて、防御に徹する。
強力なブレスは、屈折され二十メルテ斜め後方の地面を融解させ、沸騰させてゆく。
『お、おのれガァ!?』
『我らのブレスをぉ!?』
最強のコンボブレスが届かない。賢者ググレカスの結界を破壊することを想定した最強の技が防がれたことに驚愕する。
その時、二頭のドラゴンの頭上で、銀色の輝きが瞬いた。
「もう遠慮はいらねぇって……ことだよな!」
凶悪な笑みを浮かべたマジェルナが、結界を維持するレントミアの横で腕を振り下ろした。
『何ィ!?』
『ま、真上に!?』
魔法のステッキによる破砕魔法『バールのようなもの』が頭上に励起されていた。
「死ね!」
半実体化した衝撃波の塊が、金属のバールと化しドラゴンたちの頭部を粉砕――
「――時間よとまれ、時間遅延」
凛とした声が響いた。
瞬間、世界が灰色に染まる。
「世界の理は我が手のうちに」
二匹のドラゴンの向こう側に、撹乱膜で身を隠していた純白の魔法使いが姿をみせた。
「な!?」
「に!?」
レントミアもマジェルナも動きが止まる。
だが、引き伸ばされた時間のなかでも意識はあった。
身体が動かない。空間の全てが停まっている。
二匹のドラゴンも、吐き出しているブレスも何もかもが静止しているのだ。
これがググレカスの言っていた時間停止魔法……!
――いや違う……!
レントミアは気がついた。
よく見ると僅かだがゆっくりと動いている。
完全に時間が停止したわけではない。時間の流れが百分の一程に低下しているのだろうか。
「無駄だ、私の時空結界の支配のもとでは、因果は覆せない。すでに結果は決まっている」
灰色の世界の中を、アドミラル・ヴォズネッセンスが近づいてきた。
時間停止とは無縁とばかりに、身動きの出来ないレントミアとマジェルナへ向かって歩み寄る。
「……く……そ……」
「……こ……れは……」
まずい……! レントミアの呻きは声にならない。
「すなわち、お前たちの敗北と、死だ」
白いハイエルフが手のひらを二人に向ける。
『フ……フハ、フハハハァアア!』
不意に高笑いが響いた。
ヴォズネッセンス以外の全てが静止した空間で、舐め腐ったような笑い声が。
「やはり、君か」
白いハイエルフが足を止めた。さして表情も変えずに声の方向を見据える。
『お、俺には通じませんこと……じゃなかった、効かぬわ……フゥハァハァハ……!』
従来型の認識撹乱魔法の歪みの向こうから、黒髪のメガネ男がゆっくりと姿を見せた。メタノシュタット王国の賢者のマントを身に着けた黒衣の男――
「賢者ググレカス……!」
<つづく>




