聖女の魔力は真っ黒でした
「魔力の匂いが同じとは、ど、どういう意味かしら? ホ……ホホホ! 魔物はたったいま聖女たる私が退治してさしあげましたのよ?」
プラムの指摘に明らかに動揺している。プルゥーシアの聖女パンティラスキ・ケジャルコフは、すっとぼけたように視線を泳がせる。
魔物の出現が、この性悪聖女の自作自演であるとプラムは看破した。同じ疑いを抱いていたヘムペローザとマニュフェルノも、プラムの指摘により確信へと変わる。
「ウチの師匠に、濡れ衣を被せるつもりだったようじゃが……。まぁ疑われてもしかたがないけどにょ」
「自演。お安い芝居でしたね」
「な、何を根拠に!? だっ、だいたい魔法使いでもない小娘に、魔力のいったい何がわかるというのかしら?」
上ずった声で論点をずらそうとする。
「たしかに魔法使いではありませんけど。あの黒い魔物とおばさんの魔法が、同じ下水みたいな臭いがするってことぐらい、わかりますよ」
プラムの口調はおっとりしているが主張は曲げなかった。まっすぐに金髪の聖女を見据えている。
「うぐ……!」
――竜人族の超感覚か……!
対魔法戦闘に特化した伝説の種族、竜人族は、魔力の感知能力に長けているという。
パンティラスキ・ケジャルコフはそのことを思い出し戦慄した。この羽つき娘は、魔力の性質を変換偽装した魔法さえ見破るのか。
「おっ……同じですって!? しょ笑止千万! この私、プルゥーシアの聖女かつ親善大使に対する侮辱は万死に値しますわッ! そこの衛兵たち! さっさとあの無礼な娘をとっ捕まえて、連行してくださいな!」
金切り声で命令を下す。
ここはルーデンスのアークテイルズ城。当然、パンティラスキにそんなことを命じる権利など無い。
衛兵たちは何も反応を示さなかった。
「残念ですわ。せっかくの……お茶会でしたのに」
元王妃がぽつねんと残念そうにつぶやいた。衛兵たちは元王妃の様子に、自国への侮辱と感じとった。
腰のサーベルを一斉に抜き、金髪の聖女に切っ先を向ける。場の空気が変わったのを見計らい、ヘムペローザが動いた。
「というわけで、ワシが代わりに確保じゃ!」
蔓草魔法を励起し、蔓草を放つ。床を稲妻のように蔓が走り、数メルテ離れた窓辺に立っていた聖女、パンティラスキに一瞬で絡みついた。
「まぁあっ!? なんてことをッ!」
足首から脹脛、腰へと蔓が絡まりながら這い登り締め上げる。そして緑の葉がみるみるうちに茂り、腰から下がまるで緑のオブジェのように束縛した。
「カマトトぶるでないにょ、はーん、なるほどにょぅ」
「何がなるほどよ、解放なさい! 国際問題よ! 死刑よ!」
「ワシの蔓草はにょ、直接触れることで相手の魔力特性を感じ取れるからにょ! プラムのいったとおり、一皮むけば内側はドロドロの暗黒魔法で満ちておるようじゃ……な!」
ビシィ! 蔓草が両腕までもを縛り付けた。
「今だ、その女を引っ捕らえろ!」
衛兵たちが殺到する。
パンティラスキ・ケジャルコフがプルプルと拳を握り締め、唇を戦慄かせた。
「貴様ら、いい加減にィイ……!」
束縛していた蔓草に明確な変化が生じた。緑の葉が急に茶色く変色し、はらはらと葉が散りはじめる。
「ぬにょっ!?」
ヘムペローザは蔓草から伝わる魔力が、みるみる変質してゆくことに気がついた。白い光を装っていた化けの皮が剥がれ、どす黒い粘液質の魔力へと。
「ヘムペロちゃんの魔法が、枯れちゃう……!?」
擬似的な生命を与える蔓草魔法が朽ちてゆく。まるで腐朽の魔法を浴びたように生命力を失い、急速に枯れて輝きを失う。
「下民どもが、聖なる私に……触れるなぁああああああっ!」
パンティラスキ・ケジャルコフが激昂した。
ドウッ! と全身から黒い嵐のような波動を爆発的に放つ。
「にょほっ!?」
「化けの皮が剥がれましたねー」
蔓草の拘束を解いた。茶色く朽ち果て、粉砕されて床に飛び散ってゆく。
「下がるにょ! これはヤバイやつにょ!」
ヘムペローザは『蔓草の杖』を振り、更に蔓草を繁茂させる。一瞬で十数メルテをカバーするほどの量の蔓草を爆発的に育て、緑の防壁を築きあげた。それはマニュフェルノやプラム、そして衛兵や元王妃たちを防御するための物理的な結界だった。
「まぁ、まぁ……!?」
驚く元王妃を衛兵たちがかばった。黒い魔力の波動が蔓草の障壁に衝突するや否や、白煙が立ち上った。緑の壁の表面が朽ち果て、茶枯れてゆく。生命力を奪う、毒性を帯びた魔力が発散されたのだ。
「希にみる汚ったならしい魔力じゃの!」
「うー、これは腐臭ですね」
思わず顔をしかめる。鼻が曲がりそうな悪臭は、魔女でなくて感じれるほどに酷いものだった。聖女と名乗る者が放つ魔力とはとても思えない。
「ああああああ!? うるさい、うるさい! 黙れェエエ! もういい、茶番は終いよ……! そうだわ、なんてことはない……! 殺せばいいじゃない……! おまえらを皆殺しにして、目撃者をひとり残らず消せばいい……! そうすれば計画通り! ぜんぶ、ググレカスのせいになるわ! すべてはヴォズネッセンス様の思し召しどおりに……!」
パンティラスキ・ケジャルコフが両手を広げ、聖女の仮面を外した。美しい顔は狂気で歪み、金髪を振り乱す。
「やっぱり悪い魔女でしたか、酷い顔ですよー」
「黙れ小娘……! 私は美しい! 清らかで純粋なる魔力を宿した聖女なのよ……! 美しいヴォズネッセンス様だけが認めてくださった……!」
腐臭を帯びた魔力へのコンプレックスが、清らかな聖女を演じる原動力だったのだろう。歪んだ本性をあらわにする。
「何が聖女じゃ、頭も悪いようじゃのぅ」
ヘムペローザは完全に戦闘態勢をとった。防壁とした蔓草の壁に花を咲かせると、長い豆の鞘が一瞬で成長する。鞘は一斉に聖女の方に狙いを定める。
「やかましいわ、殺すぁああああッ!」
金髪の似非聖女は絶叫し、爆発的に黒い魔力を放った。それはまるで髪の毛のように自らの身体に絡み付き、渦を巻きながら収斂してゆく。
「変化。自らの身体に魔力を……!?」
ギュルギュルと黒い粘液のような嵐がまとわりつき、全身を黒く染め上げてゆく。ボコッ、ボコボコと腕や肩、胸、両脚が筋肉質に隆起し、ズムズムと巨大化し、黒い悪魔のように変容した。
その姿はまさに中庭に出現した黒い魔物たちよりも醜悪にして邪悪、悪鬼そのものだった。
「ギィヒヒヒィイ……! あぁああ! 最高ニィイ気持ちィイイイッ!」
頭部にまとわりついた黒い魔力が実体化し、黒山羊のような二本の角がギュルリと伸びた。背中には巨大な蝙蝠じみた羽が生え、悪魔族のような姿を成す。
「悪鬼。なんて禍々しい姿……!」
マニュフェルノが呻く。
「魔法聖者連序列2位の魔女が本気、というわけかにょ」
ヘムペローザが蔓草の杖を振り向けた。絡まった蔓の先端に実った鞘が弾けた。
破裂音とともに勢いよく弾けると、黒い種を散弾のように浴びせかけた。
だが、黒い種の弾丸はすべて弾きかえされた。
「魔法装甲ですー!?」
「らしいにょ……!」
先ほどの黒い魔物とは明らかに別物だ。黒い悪魔じみた姿は強固な外骨格、あるいは鎧のようにパンティラスキの全身を覆っている。
「見たかァアア! これぞ聖女の美しギィイイ魔法ウォオオゥウウ! 神ノォオオ! 祝福によリィイイ得た黒鬼憑変魔法、デーモニア・ジャケッツ!」
狂気じみた笑みを浮かべ、再び邪悪な魔力波動を放った。それは衝撃波となり部屋の中の人間に襲いかかった。
「聖女のくせにデーモンとか言っちゃておるにょ……!」
蔓草の壁で辛うじて防ぐが、窓ガラスが一斉に吹き飛んだ。城が激しく鳴動し、何事かという叫び声が聞こえてきた。
「おのれ、化け物め!」
「聖女じゃボケェエエエ!」
「ぐはぁ!?」
衛兵たちが果敢に斬りかかるが、腕の一振でなぎ払われ、吹き飛ばされた。
「プラムにょはマニュ姉ぇと逃げるにょ」
「ヘムペロちゃん、そうはいかないです」
「拒否。これぐらい慣れっこですから」
プラムとマニュフェルノは、共にヘムペローザに並び立った。
「にょほ……!」
「祝福。災いから守りたまえ」
魔法を二人にかけ、聖母のように微笑む。
幸運度のステータスが一気に上昇することで、防御力と俊敏性が同時に高まるのを感じる。
「マニュ姉ぇのパワー、もらいました」
「……そうだったにょ」
忘れるはずもない。マニュフェルノはかつて六英雄のひとりとして魔王と対峙したのだ。極限の戦場において、度胸と覚悟は比類なきもの。まさに英雄クラスに他ならない。
「なぁにをゴチャゴチャぬかしとるかぁあぁああ! 清らかに死んで、天に召されなさいぃいいい!」
ドウッ! と偽りの聖女が床を蹴った。
魔力強化外骨格装甲、デーモニア・ジャケッツに黒い魔力を纏い、拳をヘムペローザに向けて放つ。
「たぁあああっ!」
プラムも同時にダッシュ。目にも留まらぬ早さで体勢を整え、丸太のような黒い拳を蹴りあげた。
「ぬぐっ!?」
ベクトルをずらされた衝撃波が壁を粉砕、ガラガラと崩れ落ちる。中庭に集まり始めていた衛兵や侍女たちが、黒い巨大な魔物の姿を目にした。
金髪の聖女の顔をした、悪魔を。
「またか、竜の小娘がぁああッ!」
二発目の拳を避け、プラムはバク転しながら相手の反対側に回る。
「きゃうっ……!」
だが黒い拳は邪悪なる魔力を同時に放っていた。見た目の間合いとは異なり、避けたつもりでもダメージが襲う。プラムのスカートの裾が裂け、血が滴る。
「おまえから引き裂いてやる……!」
「やなこってす」
プラムは前衛としての役割分担をこなしながら、ヘムペローザが攻撃する隙をつくっていた。
「使いたくはなかったが、仕方ないにょ」
本気でいく。
仲間の想いに応えるために。
師匠である賢者ググレカスが「禁忌」と呼んだ魔法を解放、励起する。
蔓草がヘムペローザの脚に、腕に、華奢な胴体にと包みこむ。自在に動く緑の蔓草が絡まり、束になり、人造の筋肉を形成する。さらに塊は膨れ上がり、小柄なヘムペローザを包む巨大な玉座のような形状を成した。それは天井に届かんばかりの緑の小山のような姿となった。
「あまり見せたくはない姿じゃが……!」
人の姿を捨て、緑の魔法強化外骨格を纏う。
ボッ! と背中から複数の触手が生えた。それぞれの先端がバックリと裂け、竜のような牙を生やした大顎を開く。
「嗚呼。ヘムペロちゃん……!」
マニュフェルノは息を飲んだ。その姿は、かつて死闘を演じた悪魔神官――魔王軍最高位のダークエルフの纏った魔法装甲にそっくりだったからだ。
『キルキル……キシャァア!』
独立して動く蛇のような無数の触手がうごめき、一斉に聖女の黒い悪魔に咬みついた。
「なっ、なにぃいい!?」
「これが――蔓草魔法・妖緑装甲……じゃ!」
<つづく>




