賢者の不安と、女子たちの熾烈なお茶会
「賢者ググレカス、時間が再び動き出しましたわ!」
妖精メティウスの言う通り、周囲の風景に変化が生じていた。色褪せたセピア色の風景が徐々に色を取り戻してゆく。それに伴い周囲の喧騒や草木の匂いが戻ってきた。
館の側に待避していたリオラとミリンコも、俺とヴォズネッセンスの戦いの結末を唐突に認識する。驚きと心配のリアクションを交え、欠落した情報に戸惑いながらもやがて現状へと追いついた。
「あ、あれっ今……? ぐぅ兄ぃ様!?」
「なんだか視界が変だったノダー?」
まるで白昼夢をみていたかのような表情で、互いに顔を見合わせている。
「ヤツの時空結界が崩壊し、時間認識の帳尻があわさったのか」
どうやらヴォズネッセンスの結界に取り込まれていたのは、俺と妖精メティウスだけだったようだ。リオラとミリンコ、さらには奴の仲間の魔法使いたちは風景の一部として切り取られ、静止した絵のように見せられていたらしい。
「外側の時間は停まっていなかった、という認識でよろしいのでしょうか?」
「神様じゃあるまいし、世界の時間そのものを停められるはずがない。現にマジェルナが外側から攻撃できたわけだし」
ヴォズネッセンスが展開した『時空結界』の外側では通常通りに時間が流れていたらしい。その証拠に、スホイ・ベールクルトとマトリョー・シルカスは、俺が放ったワイン樽ゴーレム達の自動追尾に追われ、離れた位置まで離脱していた。
そこへ、友軍のゴーレムに跨ったマジェルナが救援に駆けつけ、強力な魔法攻撃を放った。
つまり結界が外側から破壊されたわけだ。それらは状況から考えて、おおよそ60秒たらずの出来事だったはずだ。
しかし――。
俺がヴォズネッセンスと対峙し、戦い、会話を交わしていた体感時間はおよそ三分、あるいはそれ以上に長かったように感じられた。
時間停止、完全ではないにせよやはり時間感覚が狂わされていたことには違いない。
俺が受けた瞬間移動的な攻撃も不可解だ。移動した痕跡もなく、一瞬で間合いに踏み込まれた。
つまり幾つもの魔法を組み合わせた、複合的な術式が行使されていた可能性が高い。
「どちらにせよマジェルナ様には感謝ですわね」
「感謝も何も、俺ごと粉砕する気満々だったようだが……」
「なんだピンピンしてるじゃないか」
昆虫じみたゴーレムの上から俺を見下ろすマジェルナ。彼女は「惜しい」と言わんばかりの表情を浮かべている。
「危なく脳天をブチ割られるところだったがな」
「お前が簡単にくたばるはずもなかろう」
思わず苦笑で返す。
「信頼の言葉と受け取っておこう」
マジェルナのやつは俺もろとも結界を粉砕した。中にいる俺と妖精メティウスなどお構いなしに。
腹立たしくもあるが、半ば予想していた攻撃だった。
ヴォズネッセンスの魔法を目の当たりにしたマジェルナは、全力で仕掛けてくる。
魔法のステッキによる破砕魔法――『バールのようなもの』をフルパワーで叩きつける。彼女の性格なら一撃必殺戦法を選択することは予想できた。
中に囚われている俺になど配慮すれば威力が削がれる。ゆえに全力で確実に、ヴォズネッセンスの時空結界ごと破砕したのだ。
もし俺が『隔絶結界』で身を守っていなければ、ヴォズネッセンスもろとも圧殺、粉砕されていたことだろう。
「ところであの白い魔法使い様は何処へ?」
妖精メティウスが慌てて索敵結界を確認する。
同時に赤い輝点が眼前の戦術情報表示に輝き警告を発した。
「まったく無粋の極み、実に不愉快だ」
鼻にかかるような声が響いた。
「ヴォズネッセンス……!」
二十メルテほど離れた位置にヤツは忽然と立っていた。初めに出現したときと同じように、まるで最初からそこに居たように出現し、立っている。
涼しい顔で長く白い髪を振り払う。
「なにぃ!?」
マジェルナも俺も、奴が『バールのようなもの』の直撃をくらい、下敷きになる瞬間を見た。
しかし奴はノーダメージ。無傷で平然としている。
完全に攻撃を避け、逃げおおせたのだ。
「瞬間移動でもされましたの!? 索敵結界には何も記録されておりませんわ」
「メティ、奴が時間を停められるというのは、あながち間違いじゃないのかもな」
「そんな……!」
無論、ほんの瞬きほどの一瞬だとしても。もし本当にそんな芸当が可能なら、あらゆる攻撃を回避できることになる。
「これでわかっただろう。君たちと私の魔法の次元の差が」
『ヴォズネッセンス様……! 頃合いです』
『くそっ! ググレカスのワイン樽どもがしつこすぎるんだよっ!』
巨大な翼竜が二頭、慌てた様子でハイエルフの背後に舞い降りた。ブルーとグレーの鱗をもつ翼竜は、スホイ・ベールクルトとマトリョー・シルカスか。それぞれ『古の魔法』により変身したものだ。
「おっと戦いは継続中だ」
飛翔するワイン樽ゴーレム数機と、地上を転がる陸戦モードのワイン樽たちを差し向けた。空中と地上、双方から追撃する。
「ここまでにしよう。スホイ」
『ハッ!』
スホイ・ベールクルトがヴォズネッセンスに対して魔法を放ち、ほぼ一瞬で白い鱗の翼竜へと変化させtた。
「竜化魔法……! なんて速さだ!」
マジェルナが叫ぶ。
三頭の翼竜は翼を地面に叩きつけるように羽ばたき、同時に地面を蹴った。急浮上し、ワイン樽ゴーレムたちが目標を見失い右往左往する。
舞い上がった翼竜どもは螺旋を描きながら上空へと逃れてゆく。
「おのれ逃がすか! 撃て!」
『射出!』
マジェルナが六本脚のゴーレム、タランティアのボディをガンッと踏みつけると、背中に装備していた筒状の兵装から矢を射出した。それは上空で炸裂し煙を撒き散らす。
「『魔力妨害撹乱幕』か!」
魔法を阻害し攪乱する微粒子は、奴らの『古の魔法』に効果があるだろうか。いずれにしてもすでに射程外のようだった。
『――ググレッカァアス! 次こそは殺す! 絶対に!』
『――また会おう、ググレカス……! その時に、あらためて答えを聞くとしよう。私と共に、永久の楽園の扉を開こうじゃないか。ハハハ……!』
三頭の翼竜どもは高空へと逃れてしまった。
「高笑いしやがって」
とはいうものの、内心ほっとしていた。
時間停止のカラクリを解析出来ぬまま、戦いつづければこちらが不利。それどころか負けていたかもしれない。
いや……俺は勝てるのか?
あの男、ヴォズネッセンスに。
垣間見せた奴の魔法は、能力の一旦に過ぎない可能性が高い。爆裂攻撃も瞬間移動も、本気ではなかったとしたら。確かにそれだけでも次元の違いを感じるには十分だった。
今までに感じたことの無い不安が渦巻く。
もし俺が太刀打ちできずに倒れたら、レントミアやマジェルナで奴を倒せるのだろうか?
同じハイエルフ族としては姫殿下の最側近、レイストリアがいる。彼女ならあるいは……。
他にも対抗できそうな魔女はアルベリーナだ。
しかし彼女は危険を冒してまで協力しないだろう。楽しいから、聖剣戦艦の遺物を扱えるから、という理由でメタノシュタットに居ついた、気まぐれな猫のような魔女だから。
「くそっ、厄介な奴だ」
そうだ、何よりも俺とヴォズネッセンスには決定的な違いがある。
寿命だ。
ハイエルフは長寿命な生物だ。
今、俺たちとがむしゃらに戦い、勝つ必要など無いのだ。放っておけば俺など数十年で死ぬのだから。
涼しい顔でこのまま二度と姿を見せなくても、やがて時間切れのタイムアップ。こちらの寿命がつきて、敗けだ。
しかし奴は違う。少なくともこの先数百年は生き続ける。ダークエルフの最強魔女アルベリーナや、ハイエルフのレイストリアがそうであるように。
時間の流れと老いには逆らえない。
やがて俺は死ぬ。
マニュフェルノや子供達、プラムやヘムペローザ、リオラたちとの別れの時が来る。
死……か。
精一杯生きてこそ人間だ。などと啖呵をきってみても、死の運命からは逃れられない。
――永遠が欲しくないか?
ヴォズネッセンスの発した言葉が、今さらじわりと心を侵食していた。
まるで呪いのように。
「賢者ググレカス、お疲れですわ」
「そうだなメティ、すこし休もう」
リオラとミリンコが駆け寄ってきた。
ぐだぐだ考えるのはよそう。まずは奴の魔法のカラクリを暴くことが先決だ。
◇
ググレくん、ちょっとマズイかも。
マニュフェルノは湯気で曇ったメガネを外し、ハンカチで拭いた。
茜色の瞳に映る世界はぼやけている。けれど、メガネ無しの裸眼だと、魔法のオーラの輝きがハッキリと感じ取れた。
真正面に座っている相手は、プルゥーシアの女性神官。
魔法聖者連序列、第2位。
神官長・パンティラスキ・ケルジャコフ。
「んふん……ふーふふふ……」
豊満でグラマラスな肉体を、清楚な法衣に無理矢理包んでいる。そのギャップがとても破廉恥だ。銀色の美しい髪を腰まで伸ばし、すこし下がった目尻と泣きボクロがセクシー。
普通の殿方なら一目みただけで前屈みになり、そのまま起立できないにちがいない。
――ググレくんの好みではないと思うけど。
そして、彼女の銀髪はマニュフェルノと同郷かと思われても仕方がない色合いをしていた。
「微笑。うふ……ふ」
腐朽魔法を励起こそしないが、魔力を体内で循環させないと気圧される。
「にょほほほ……」
魔女のヘムペローザの手元では緑の蔓が芽吹き、そして枯れた。
パンティラスキ・ケルジャコフの周囲から漏れだす黒き魔力波動。偶然ではない。あきらかに全身から放つ呪詛のように空間を汚しつつあるのだ。
――性悪。何が聖職者よ。
マニュフェルノが笑顔のまま視線を交わし、魔法力がスパークする。
一見すると静かなお茶会だが、水面下では今にも炸裂しかねない魔法同士のつばぜり合いが行われていた。
ルーデンス自治州の首都、アークテイルズ。
その中心にそびえ立つ小さな古城では、今まさにお茶会が催されていた。
歴史と伝統に彩られた落ち着きのある応接間。三十人が並んで座れる巨大なテーブルは一枚の板から出来ている逸品だ。
森の王国ルーデンス自慢の巨木を切り倒し、まっぷたつにしたという素朴で重厚な欅のテーブルだ。
参加者は互いに向き合い、おいしいお茶とお茶菓子をいただいている。
ルーデンス旧王家主催による、メタノシュタット側のゲストたちと、プルゥーシア側のゲストの初顔合わせをかねた、非公式な外交の場だ。
それも女性限定の。
他のお供のものたちやメンツは別室でくつろいでいる。
目的は和やかなムードで友好親善を行うこと。
明日の国境交渉とは別に、女性だけのお茶会でまずは信頼を……というはずだった。
少なくとも主催者のルーデンスの元王妃は、魔法力の激突に気づいていない。ニコニコと穏やかな顔でゲストたちの様子を眺めている。
もともと魔法に疎く、縁遠いルーデンスの人々。ゆえに古来より他国から来た魔法使い、魔女たちが暗躍し、闊歩する地となっていた。
その縮図が今、お茶会の席で再現されている。
魔力を感じられる面々は、お互いに冷や汗をかきながら、奥歯をガチガチさせ、時には震える指先でお茶のカップをつまむ。
「お、おいしいお茶じゃにょう」
ヘムペローザが震える手でお茶を飲んだ。
黒地に白いレースの縁取りのついたドレス。艶やかな黒髪はストレート。左サイドの耳元に青い花の髪飾り。これは師匠のググレカスからのプレゼントだ。
「そうですねー。このお菓子おいしいですー」
涼しい表情でプラムが焼き菓子を頬張った。
ルーデンスの民族衣装を着こなし、ホストへの敬意を表している。緋色の髪はハーフアップにまとめている。髪を後頭部でとめるバレッタは赤い花飾り。こちらもググレカスからのプレゼントだ。
プラムは成長した背中の羽は畳み、背もたれがわりに使っている。
「まぁまぁ、田舎らしい素朴なお味ですこと」
パンティラスキ・ケルジャコフが、ギリッと魔眼じみた目付きで一同を睨み付けた。それだけでお茶の味が変わる。まるで腐敗したように。
ヘムペローザは対抗魔法として手首に巻き付けた蔓草を瞬時に育て、魔力を中和している。
「プ、プルゥーシアではよほど美味いものを食うておるのじゃな」
「神に仕える身として質素倹約ですわ、ほほほ」
嘘つけババァ、とヘムペローザが爆乳聖女をジト目で睨む。
「なんだか今日は風が騒がしいですねー」
だがプラムはどこ吹く風だ。
涼しげな表情でお菓子を頬張り、まるで魔法が存在しないかのような態度をとる。
黒い魔力波動が染み付いたお菓子でさえ飲み下し、まるで意に介していない。
「…………!?」
パンティラスキ・ケルジャコフが唖然とする。
プラムは魔力に鈍感な一般人というわけではない。極端に魔法耐性が高いのだ。
<つづく>




