静止した刻(とき)のなかで
「永遠が欲しくはないか?」
ヤツはそう言った。
純白の魔法使い、ハイエルフのヴォズネッセンス。身に纏うのは装飾が施された純白の法衣。整った顔に銀糸のような髪。尖った耳。この世の者とは思えない美しさ、神々しさに圧倒されそうになる。
青いサファイアのような瞳がまっすく俺を見つめている。
それは常に頂点に君臨し、上から他人を見下ろすのに慣れている者の目だ。
俺とは正反対の存在なのだと認識させられる。
日陰で暮らすスライムをこよなく愛し、目立たず、ひっそりと本でも読みながら、静かに暮らしたいと願う自分とは違う。
「賢者ググレカス、ここは危険ですわ。索敵結界が減衰され、賢者の結界も再生できておりません……!」
「一種の隔絶結界か」
「結界内とはいえ、あの殿方が時間を止められる以上、こちらが圧倒的に不利ですわ」
妖精メティウスは俺の襟にしがみつきながら早口でまくしたてた。
「不利というより、瞬殺されかねんよ」
「そ、それはそうですわね……」
さすがの妖精メティウスも恐怖でひきつった笑みを浮かべた。
時間停止が可能なら、瞬殺さえ可能。
しかしヤツはそれを行っていない。
魔導列車から仲間を救出する作戦も、時間を停止して助け出せばいい。だがそれもしていない。文字通り密室から逃げ出すという離れ業も披露していない。
つまり時間停止とは「まやかし」で、限定的にそう見せかける魔法なのだ。
使用するには制限があり、タイミングと発動効果範囲、対象の位置など、すべての条件が揃わなければ励起でない類いの儀式魔法とみた。
俺と妖精メティウスは時間停止の効果が及んでいないというのも、ヤツが時間停止の範囲、対象を自在に操作できることを匂わせるためのもの。
実際は幾重にも重ねた賢者の結界が、時間停止の効果を防いでいたのだ。
「それに、俺の時間まで停止したら、話ができないからな。ヤツは話がしたいらしい」
「惑わされてはいけませんわ、賢者ググレカス」
「その時は君が殴ってくれ」
「おまかせあれ。グーパンチですわ」
妖精メティウスがいてくれたことは幸いだった。
味方が話しかけてくれるというのは、心強いし惑わされにくい。
「私の手塩にかけた者たちが、次々と君に敗北してしまった。その理由を知りたくてね。こうして虎の子の魔法を使った」
ヴォズネッセンスが静かに口を開いた。
「それはそれは、申し訳ないことをした」
魔法界において、西国ストラリア諸侯国と並び称されるプルゥーシア皇国は一目置かれる存在だ。栄華を誇った先史魔法文明、千年帝国の直系であることを彼らは誇りとしている。伝統と格式に彩られた魔法を使う事を善しとし、偉大なる魔法の知恵を脈々と受け継ぐことを至上とする。
故に、俺を含めたメタノシュタットなどの新興国家の魔法使いを軽んじ、格下だと侮った。
だがプルゥーシアの魔法使いたちは敗北を重ねた。
白き聖人バッジョブ。
氷結の魔法使い、キュベレリア・マハーン。
神根聖域勧誘組合の大僧正、カットゥーラ。
魔法は自由であり無限の可能性を持つ。しかし古き伝統と格式ばかりに囚われ、革新的な魔法を産み出せなかったのが奴らの敗因だ。
すでに応用魔法工学分野などでは、プルゥーシア皇国は新興国家と侮る我々に後塵を拝しつつあるのがその証左だ。
「もういちど問おう。ググレカス、君には資格がある。永遠を手にする資格が。君は選ばれたのだ」
なんだその誘い文句は。まるで悪質なセールスマンだ。
「お断りする。興味はない」
「無いはずがないだろう、ググレカス。ここには私たちしかいないのだ。素直になればいい。永遠に生きられることを想像してみたまえ。手に入るのは富と経験だけじゃない。圧倒的な愉悦、無限の叡知、あらゆるものが君のものになる」
両手を広げ何かをつかむような仕草をするヴォズネッセンス。白く細い指先は何をつかんでいるつもりなのだろう。
「貴殿は十分に長寿なハイエルフ族だ。ならばその理論の空虚さ、愛するものと別れる寂しさも理解できるはずではないのか?」
俺は問い返した。
「無意味な問いだ。永遠こそが、すべてを手にすることだからだ」
「話にならない。お前の国の魔導師、魔法使いの多くがそれを求めて散っていっただろうが」
永遠を追い求めるものは、孤独だ。
ことごとく正気を失い朽ち果てた。
幾度もそうした連中と戦った。
永遠に生きることは牢獄だ。
愛する家族や、仲間たちとの別れ。耐えがたい苦痛と寂しさに苛まれるのはわかりきっている。
「彼らには足りなかった。覚悟が。永遠に至る資格があったにもかかわらず。あぁ……認めたのはこの私だ。しかし彼らは楽園に至る道を見失った」
感情もさしたる感慨もなく、ヴォズネッセンスは言葉だけを発する。
「バッジョブも貴殿の弟子なのか」
「左様。バッジョブの転生は上手く行きかけたが、永遠には至らなかった。残念なことだ」
純白のハイエルフは静かに目を細めた。
「貴殿がすべての元凶か」
目の前の男、白き神のような存在。それが多くの魔法使いを狂わせてきたのか……!
「ひと聞きの悪い。元凶ではなく、チャンスを与えたにすぎない。永遠の生命、転生、魂の保持。あらゆる可能性を、無限の存在へ至る道筋を示したのだ」
「……!」
聖人バッジョブ。プルゥーシアの至宝と呼ばれた魔法使い。ヤツは幾度もの転生を繰り返したが、永遠は手に入らなかった。
仮に『八宝具』たちのように自らの魂を結晶に封じても、魂の劣化は止められない。永劫の時間の流れのなかで人の心はすり減り、人間として自我を保てなくなるからだ。
不老不死、永遠の命、魂と記憶の保持に転生――。
そうした「結果」を追い求め、魔法や魔術で実現しようとした者は、例外なく自滅への道を歩んだ。
俺は幾度も魔法を交えて戦い、見てきた。
永遠という甘美な言葉、希望の光を求めて進んだ先は破滅の闇がくちをあけていた。
転生を繰り返した聖人・バッジョブ。
幾度も繰り返した転生により、魂の真名を失った怪人。彼は海のクラゲへの転生という末路を辿った。
千年帝国の遺産、『八宝具』もそうだ。朽ちることのない器に宿りし、太古の英傑達の霊魂。
肉体を捨てた彼らは魂と記憶だけで『世界の管理者』――アーキテクトとして永遠に生き続ける事を選んだ。その目的は「正しい」魔法だった。
しかし永き時間を経て霊魂は劣化し、醜い本性と欲望、生への妄執に囚われた悪霊に成り果て、世界に害悪を撒き散らした。
「ジ・ア・エンドロストという亡霊も知り合いか」
「……懐かしい名だ。かつてストラリアの魔導図書館で語りあった。千年墓所の存在を教えたのは私さ」
南国マリノセレーゼの海で遭遇した闇霧の魔法使い、ジ・ア・エンドロスト。
ゾルダクスザイアンの創始者であるという魔法使いは『不老不死』を追い求め、千年墓所より、禁忌とされた魔法を持ち出し使ったという。
結果は、死ぬことの出来ない呪いを受けた。
骨だけの姿に成り果て、朽ち果てて海を彷徨った。滅びることさえ許されない魂の牢獄に囚われたのだ。
誰も彼もが失敗した。転生や再生を願う魔法使いは、例外なく狂い、自らを失い身を滅ぼした。
「……そして次に俺を誘おうというのか」
「そうだとも、彼らでき損ないを退けた。それだけの力と知恵がある君なら、きっと永遠に至れるだろうからね」
「クソくらえだ!」
魔法力を爆発的に励起させていた。溜め込んでいた体内の魔素を循環させ、賢者の結界を戦闘出力で再生。続けて全身にスライム装甲を兼ねた魔力強化外装を励起する。
「君ならわかってくれると思ったのだが。ググレカス」
「悪質なセールスはお断りだ」
「永遠が欲しくはないのか? 不老不死、世界の支配者になれるチャンスだというのに」
終わりのない人生に、物語に意味があるのか。
終りがあるから、人は努力する。
精一杯生きようとする。
綺麗じゃなくてもいい。
醜く生きて何が悪い。
それが人間だ。
「あぁ、要らないな。美しく至高の存在たるハイエルフ様にはわかるまいが」
フッと笑みを溢す。
「何がおかしい?」
「お前のバカさ加減がちゃんちゃら可笑しくてな」
「そうだ。君は一度……殺そう」
ヴォズネッセンスは指先を不気味に動かした。まるで指自体が意思を持っているように、ワサワサと。
「賢者ググレカス!」
「メティは服の内側に」
「一度殺し、首と胴体を切りはなそう。そこで意識が消えないよう、首だけ時間を動かし、改めて私の永遠計画に参加するか確かめるのは……どうだい?」
「断る」
周囲の背景は停まったままだ。ヤツの仲間の魔法使いたちは空で動きを停め、リオラとミリンコも石像のように驚きの表情のまま動かない。
ここはヤツの結界の中。内側からぶち壊すか、外側から破壊するしか脱出する方法はない。
俺は周囲に更なる結界を展開する。
――隔絶結界……!
直径二メルテの球形結界を展開する。空間隔絶型の無敵結界。あらゆる事象を断絶し、一切の攻撃を受け付けない。
「それがググレカス、君の最強か……! いかに守りを固めたところで、時間を停められる私に、勝てる見込みなどない! 予言しよう。君は次の瞬きのあと、首が胴体と離れている――」
ヴォズネッセンスの周囲に光の刃が無数に生じてゆく。それは並みの魔法ではないことは明白だった。あらゆ物体、空間さえも切断する無尽の刃。
だが、
「予言するよ、お前の脳天がブっ飛ぶとな」
俺が隔絶結界を展開した理由は別だ。
「な、にっ!?」
次の瞬間頭上の空間に真っ赤な亀裂が入った。ビギシッ! と耳障りな音を立てて亀裂が拡大。
『――ずぉりゃぁあああ! 砕けぬものなどあるか! くらぇあああ! 魔法のステッキによる殴打――バールのようなもの!』
「マジェルナ様の魔法ッ!」
妖精メティウスが胸元から顔を出して叫んだ。
「バカな!? 私の時空結界を外側から砕――」
ヴォズネッセンスの叫びは、巨大な光の解体棒によって押し潰された。
ズドォオオム……! と鈍い音がした。
空が赤い亀裂と共に破砕され、世界が再び動き出す。
無論、衝撃は俺の頭上にもふりかかった。
超竜ドラシリアの無敵結界さえこじ開けたマジェルナの破砕魔法が、ヴォズネッセンスの魔法結界を外側から打ち砕いたのだ。
衝撃を辛うじて隔絶結界が受け止めた。
そして土煙の向こうから青髪のマジェルナが現れた。気分爽快という顔で、汗をぬぐう。
「おっと、ググレカスも巻き添えに……なっていないのか、しぶといやつめ」
「お前なぁ……」
<つづく>




