白きハイエルフ、ヴォズネッセンスの真(まこと)の魔法
「賢者ググレカス、お一人では危険です!」
「メティ」
妖精メティウスが俺のところに戻ってきた。
リオラとミリンコは館の入口付近に下がっている。各種の魔法攻撃に抵抗できる『賢者の結界』を個別に展開しているので心配はないだろう。
しかし相手は三人。
それもプルゥーシア最強の魔法使い、魔法聖者連の上位組ときた。此方に有利なホームでのご対面とはいえ油断はできない。
「くそッ!? ググレカスてめぇ! オレ様を愚弄しやがったな!」
ハーフダークエルフの魔法使い、マトリョー・シルカスは激昂した。俺の術中に嵌っていたことに気が付き、口汚く叫びながらも逃げるように距離を取った。
館の敷地に許可もなく踏み込んだ代償として、認識撹乱魔法と幻惑魔法のブレンドカクテルをたっぷりとご馳走してやった。
独り相撲しているところを観察させてもらっていたが、白いハイエルフの言葉で術が解けた。どうやらあの男の言葉には一種の解呪に近い効果があるようだ。
『情けない姿を晒すとは面汚しめ』
「うるせぇベールクルト! お前がそもそも捕虜になったマヌケだろうが!」
『な、なんだと』
飛竜とハーフダークエルフがいがみあう。
白いハイエルフの後ろで控えている飛竜、どうやらあれは飛行型ゴーレムの名手、捕虜のスホイ・ベールクルトが古の魔法で変化した姿らしい。襲撃の目的が彼の救出という予想は正しかったようだ。
「おやめなさい」
静かに一人と一匹をたしなめたのは、飛竜から人の姿に戻った男、ヴォズネッセンスだった。
プラチナホワイトの髪に白い肌、青い瞳。美形のハイエルフ。
遠隔通信魔法で連中の本部をハッキングした際に知っていたが、いざ目の前にすると幻想世界から抜け出してきたかのようなな美しい姿に息を呑まざるを得なかった。清らかな輝きに満ちた存在感に圧倒されそうになる。
「なんかすごい綺麗な人……」
「絵本の挿絵でミター……」
リオラとミリンコがうっとりとしている。
「天使のようなお方ですわね」
「ううむ、悔しいが生きる彫像みたいなヤツだな」
「ベールクルト、シルカス。不用意に彼の屋敷に足を踏み入れるべきではない」
「くっ……!」
『魔法の罠か……』
翼竜が首を曲げ、爬虫類のような縦長の瞳を俺にを向けた。
「魔法と呼ぶにはあまりにも異質で猥雑。魔法への侮辱に満ちた魔法術式が、そこかしこに塗りたくられている」
顔が美しいのは認めるが、いちいち癇に障る。
端からこちらを見下し、下等生物でも眺めるような視線が気に食わない。
「……失礼な奴だな。何百年生きてきたか知らないが、相手への礼儀は必要だろう」
「真っ当な相手ならね、ググレカス。君はあまりにも罪を重ねすぎた。わが祖国プルゥーシアに対する度重なる侮辱と挑発。崇高なる魔法への愚弄……。礼儀を持ち合わせていないのは君の方だよググレカス」
口元は薄笑いを浮かべているが心は読めない。無感情で、氷のような冷たい声色だ。
「俺の魔法が猥雑とはな。魔法は自由さ。使いたいように魔法を使うだけだ」
「それが侮辱だと言っている!」
ヴォズネッセンスの心に微かな波がたったようだ。
どうもあの男は魔法というものに特別な思い入れがあるようだ。
ヴォズネッセンスが右手を天にむけた。
すると、魔導列車の停車駅と賢者の館全体を包み込んでいた結界が、急速に縮小。
薄紫色の結界が急速に小さくなる代わりに密度を増し、この館の周囲五十メルテを半球状に包み込む形に再編された。
「少し、思い知らせてやるとしよう」
――魔素濃度上昇……!
――空間歪曲率上昇……!
索敵結界が検知した空間の異常に、戦術情報表示が警告を発する。どうやら全周を覆っていたドーム状の結界の主は、ヴォズネッセンスのようだ。
「賢者ググレカス! 空間が……歪んでいますわ!?」
「ヤツが結界を館の周囲に集中させたようだ」
何か仕掛けてくるつもりらしい。
濃密な紫色の霧が、館全体を包むように渦巻いていた。
『――(ザザッ!)最大戦速! 本機は賢者ググレカス殿の援護に向かう!』
『――(ザッ!)急げ! 連中を逃がすな!』
だが、魔導列車のほうは結界の影響から抜け出したようだ。魔法通信が回復し、ゴーレムのタランティアの操術士とマジェルナの声が聞こえてきた。
ゴーレムは目視できる位置、館まで三百メルテの距離まで接近してきていた。
おそらく一分とかからずここへと突っ込んでくるだろう。つまり、ヴォズネッセンスを含め、連中が三対一という圧倒的優位で戦えるは三十秒程度。
その僅かな時間で、俺を圧倒しようというのか。
ヴォズネッセンスは指先に、炎の魔法を励起した。
ごく普通の、拍子抜けするほどに普通の、小さな火炎魔法。
やつとの距離は十メルテほど。あの位置から放たれたとしても容易にかわせる。
戦術情報表示も特段の警戒を発しない。それもそのはず。賢者の結界の一枚もあれば弾き返せる程度の熱量しか無いのだから。
だが嫌な予感がして思わず身構える。
「ご退場いただこう……!」
俺は魔力糸を操り、ワイン樽ゴーレムをガレージから放った。
猛烈な勢いで転がり出た九体の量産型ワイン樽ゴーレムたちが、一斉に招かれざる客たちに向けて転がってゆく。
「なんだぁっ!? ワイン樽だとぉ!」
『ヤツの得意な術だ、避けろシルカス!』
翼竜の姿に化けたスホイ・ベールクルトが、後ろ足でマトリョー・シルカスの首根っこを掴むと、慌てて空へと逃れた。コウモリのような翼を羽ばたかせ浮上する。
「逃がさん」
当然、上空へと逃げることなどお見通しだ。ワイン樽ゴレームたちも空へと跳ねる。投石機から弾き出された岩石のように跳ねたワイン樽たちは、圧搾空気を噴出しながら鋭角的な軌道を描き、翼竜とハーフダークエルフへの突撃攻撃を敢行する。
「うぉぉお!? 樽が追いかけてきやがるッ!」
『賢者の空飛ぶ樽に……また!』
真下と前後左右、さらには頭上から。計六体による逃げ道を塞ぐ形での圧殺だ。
同時にヴォズネッセンスへも三体のワイン樽ゴーレムを突撃させていた。
「貴殿にもご退場いただこう」
物理攻撃は、魔法使いが最も苦手とする攻撃だ。
並みの魔法結界では防げず、操っている術者を攻撃しても止められない。運動エネルギーを保持した物体の突撃は、防ぐのが難しいのだ。
「愚かな」
だが、ヴォズネッセンスは余裕の表情を変えなかった。
ワイン樽ゴーレムが直撃する直前、指先から火炎魔法を放つ。それは俺の目前で爆ぜた。軽い熱と衝撃に一瞬だけ視界を奪われる。
「ぬ!」
十六層重ねている賢者の結界の一枚も傷つかない。威力も弱く戦術情報表示も攻撃された事実を伝えたが、警告さえ発していない。
――目くらましのつもりか!?
「そう、君と直接話しがしたくてね」
ヴォズネッセンスが目前に現れた。
賢者の結界を踏み越えて、ほとんど一メルテの眼前に。戦術情報表示が接敵警告をけたたましく発する。
「きゃあっ!?」
「なにっ!」
結界が破壊された!? 火炎魔法で目くらましをした僅かな間に?
いや、違う。この男は踏み込んできたのだ。足で一直線に。結界を押し退け、壊すこともなく、バリケードを蹴散らすように。
静かでありながら、強引な力技。いまだかつてこんな方法で賢者の結界を突破した者はいなかった。
甲高い振動音とともに閃光がヤツの手のひらで輝いた。
極大級の火炎魔法――!
「下がれメティ!」
「賢者ググレカス!」
妖精メティウスを抱きかかえつつ、賢者の結界を追加で展開。
次の瞬間、目の前でまばゆい閃光と衝撃が弾けた。
強烈な輻射熱を賢者の結界で相殺しつつ、同時に『粘液魔法』障壁を展開する。
「うぬおおっ……!」
しかし俺は踏みとどまった。
地面から分厚い粘液質の壁を生み出す。全力で出現させた噴水のようなスライムの壁で、爆風を押し返し、さらなる攻撃に備える。
前に腕を突き出し、更に魔力を注ぎスライムを巨大化。直径5メルテを超える巨大なスライムの塊で、爆風とヴォズネッセンスを押し返す。
背後では爆風で賢者の館の窓ガラスが割れる音がした。リオラとミリンコはずっと離れて身をかがめていた。
「く……! メティ! 無事か!?」
「あ、あたくしなど構わず、ご自身をお守りくださいまし」
「よかった」
彼女は無事だった。抱き寄せた胸の中で妖精の羽と黄金色の髪が輝いた。
ほっと胸を撫で下ろす。
視線を巡らせると、ヴォズネッセンスは五メルテほど後方に下がっていた。スライムの塊で押し流せたか、あるいは飛び退いたか。
「……私の二段攻撃を防いだのは君が初めてだよ、ググレカス。曲がりなりにも賢者を名乗るだけのことはある」
「お褒めに預かり光栄だ、ハイエルフ」
ヴォズネッセンスが髪を耳にかきあげながら口元を緩める。
目くらましからの突進、そしてゼロ距離で極大級の火炎魔法を叩き込む。
なかなかにエゲツない攻撃で、普通なら死んでもおかしくない。
「それにしてもスライムを自由自在に操るとは聞いていたが、品がないにも程がある」
ヤツの衣服は粘液でヌルヌルになっていた。イヤそうな表情で袖を振り払うと糸を引いた。
しめた。
すべての粘液は俺の制御下にある。足元に散らばったスライムの断片、ヤツの衣服に染み付いた粘液。それらを瞬時に硬化させる。
ビシッ! と粘液を硬化させる。
ガラスとまではいかないが、天然ゴム並の弾性を帯びた。動きを封じ、さらに麻痺毒性を浸透させる。
「……ほぅ? こんなことも出来るのか」
「ここは俺のテリトリー。貴殿らには不利だと思うが?」
その余裕綽々がいつまで続くか試してやる。
「だとしても、君は私には勝てない。ググレカス」
「け……賢者ググレカス!」
妖精メティウスが悲鳴をあげた。
俺もその声にハッとして、周囲を見回した。そして息を呑んだ。
止まっている……!?
「なん……だと」
空中で翼竜とハーフダークエルフが止まっていた。四方八方から激突したワイン樽ゴーレムたちも、ピタリと静止し、まるで絵画のように浮かんでいる。
振り返ると、館ではリオラとミリンコが石像のように動きを止めていた。
薄紫色に覆われた空の下、すべてのものが色を失い灰色の石像のように停止していた。動いているのは俺とメティウス。そして目の前のヴォズネッセンスだけだ。
「私が時間を止めた」
「時間を停止したというのか、魔法で……!」
「時間操作の魔法なんて、伝説にさえありませんわ!」
妖精メティウスが唇をわななかせる。そして俺も愕然としていた。
あまりに衝撃的だった。そんなバカな、だ。
それもそのはず。
時間操作の魔法など、検索魔法で調べても存在さえしていなかった。
生命錬成の魔法、竜化などの変異魔法。そこまではいい。実在し実際に駆使する術者がいるからだ。
だが時間操作の魔法となると話は別だ。
それは千年帝国の書物にさえ記述されていない。
だとすれば、これはどんなカラクリだ?
「真の魔法。古の魔法を超越した、魔法の真髄。私はそれを極めし存在。ゆえに可能なのさ」
ヴォズネッセンスが硬化スライムの束縛を解いた。
ヤツは本当に時間を止めたのか?
そんなことが可能なら無敵だ。
絶対に勝てない。
誰であれ、だ。
俺たちなど根こそぎ皆殺しにも出来る。
それどころか、いまごろ世界を掌握し、神を名乗っていてもおかしくない。
だが、そうなっていない。
やつはこうして「ちっぽけな」俺たちを相手にしている。
何百年もの寿命を誇るハイエルフとはいえ、神になっていない。
カラクリがあるのだ。
魔法には違いないが魔法ゆえに限界があるはずだ。
停止できる時間の限界、あるいは範囲――
そうか……!
ヤツは展開していた結界を縮小した。
そして賢者の館だけを包み込んだ。濃密になった結界に秘密があるのだ。
「詮索したいところだろうが、折角ふたりになったんだ。魔法を極めし者同士、少し話をしないか」
ヴォズネッセンスは静かに口を開いた。
「話だと?」
「賢者ググレカス、いけません! 耳を貸しては!」
「永遠が欲しくはないか?」
「何?」
奴は思わぬことを口走った。
「永遠だよ。時間を操り、生命を操り、世界を操る。君ならわかるだろう、賢者ググレカス。愛する者たちと永遠の楽園で暮らせるんだ。その資格が君にはありそうだ」
<つづく>




