スライムは無害、そう世間にわからせたい
小鳥たちのさえずりに、木漏れ日の光。
朝の散歩は実に心地が良い。
賢者の館から徒歩三分。
メタノシュタット王城の裏手にある水源地、通称『三日池』を散歩するのが、最近の朝の日課になっている。
「おっ……!? これはキイロタマスライムか。こっちはムラサキネバリの幼体だな。うーむ実に綺麗な個体だ、お持ち帰りしたいなぁ……」
池の畔は湿り気があり、野生のスライムをよく見かける。
散歩の途中で見つけた個体は状態が良く、まるで作りたてのゼリー菓子のように丸く小さく可愛らしかった。
本来、スライムは森の落ち葉などを分解する森の清掃屋。見つけたスライムたちも湿った倒木の陰にいた。
「賢者ググレカス、この子たちは特段珍しい種類ではございませんよね?」
「メティ、確かにそのとおりだ。しかし、違うんだ。スライムとの出会いは。いつも新鮮な感動を与えてくれる!」
スチャァとメガネの鼻緒を持ち上げる。
この付近に生息しているのは普通の、どこにでも生息しているような種類で、メタノシュタットの固有種もいるようだ。大きさは指の先ほどのものや、拳大までさまざま。色は黄色や紫、ピンクなどと実に鮮やかで半透明。ほどよい湿り気のせいか、分裂したての若い個体が多く、どれも状態がとても良い。
「はぁ……それは、ようございましたね」
妖精メティウスがひらひらと背中の羽を動かして、倒木の上に腰掛けた。倒木の上に生えたキノコに腰掛けると、まるで御伽話の挿し絵のようだ。
「おっと、こっはレッドパールスライムの群体だ。まるで赤い真珠のネックレスのような形状が珍しい……! 生命の輝きを感じるだろう? 実にいい。んーんふふ……」
指先でつんっと突いて、ぷるぷる動くのを眺める。
出来ることなら一日眺めていたい。
分裂する様子をじっと応援したい。
だが、王国の賢者としての責務、社会的立場がそれを許してくれない。
「賢者ググレカス、そろそろ館に戻りませんと」
「……そうだな」
「こんな池の淵で、一人でお話ししているところを見られたら、いろいろ問題ですわ」
「メティがいるじゃないか」
「もうっ」
俺は一人じゃない。
妖精は、自分以外に興味を向けると嫉妬してしまう可愛いやつだ。
そもそも、世間はスライムを誤解している。
触ったら「かぶれる」だの「汚い」だの、とんでもない誤解と偏見に満ちている。
落ち葉を分解するための消化酵素や酸、それを粘液として放出する。その性質の延長として、衣服を溶かしたり、肉や骨を溶かしたりする消化酵素を持つ持つものがいる、というだけだ。
スライムは無害!
触れても舐めても害は無い。
クリーンかつ安全、安心なのだ。
本来、病気を引き起こすような病原を持たず、人体に有害な毒素も無い。環境によって体内に取り込まれ、毒性を帯びるだけなのだ。表皮を覆う粘液も、殺菌力の強いもので傷口の消毒にだって利用できる。スライムは時にケガや病気の治療に、額に乗せれば熱冷ましにも。いろいろ使える「出来るヤツ」なのだ。
「いずれ世間の連中にわからせてやるさ」
「賢者ググレカス……?」
まずは王立学舎における「スライム教育の義務化」が目標だ。
王国の賢者としての立場をフル活用し、王政府教育庁に改革案をねじ込もう。教材としてクラスでスライムを飼育し、ふれあいの時間をつくり、スライムに慣れ親しむ。
うむ、実に良い考えだ。
「間違った方向に情熱を燃やさないでくださいまし」
「軽く思考を読むな」
と、妖精メティウスとスライムを相手に話していたら、後ろから不意に声をかけられた。
「お……、おはよう……ございます、賢者……さま」
振り返ると、王都魔法新聞の配達員だった。
若い学生さんだろうか。笑顔だが表情がひきつっている。
小走りで足踏みしながら、丸めた魔法の紙を、おっかなびっくりの様子で差し出した。
「あぁ、ありがとう。ごくろうさま」
「では!」
新聞を俺に手渡し一礼すると、逃げるように走り去った。
「……池の淵で、独りで話していると思われたのでは?」
「なっ? メティとスライムたちがいただろうが」
「私はともかく、小さなスライムまでは普通、目に入っていないとおもいますが」
「うむむ……」
とりあえず賢者の館への道のりを戻りつつ、新聞を広げてみる。
昨日から今日にかけての最新ニュースが印刷されている。
魔法の印刷による新聞は、特殊な水晶玉に落とし込んだ文字列を、魔法の屈折レンズを経由し紙に焼き付ける仕組みだ。
「どれどれ?」
『プルゥーシア皇国の聖都ムスクシア中心部で大規模な爆発!
~軍の秘密兵器開発施設か? 新型ゴーレムの暴走による事故との未確認情報――』
「あら、これは賢者ググレカスの仕業では……」
「はっはっは、そうかもな」
迅速な避難により、死者が居なかったのは幸いだ。
しかし研究開発の中心施設は木っ端微塵、完全に内側から破壊されたらしい。
記事によると、最新鋭のゴーレム開発計画が水の泡に。
他国から遅れているプルゥーシア皇国の次世代ゴーレムの配備計画は、更に数年の遅れが出るであろう。と、専門家による浮かれ気味の論調が続く。
爆発が起きたのはプルゥーシア皇国軍の中枢施設。
何らかのトラブルにより、施設内部で魔法通信システム系でトラブルが発生。その結果、開発中のゴーレム数台が暴走、破壊に至った。
プルゥーシア側の被害は甚大。損失は計り知れない――。
「ふむ……? この事故の責任を取って、技術開発部の最高責任者、ボキュート・タイタニア卿が引責辞任。事実上の更迭であり、処罰が下される見込み……か」
――魔法聖者連序列、第4位。
錬金探求術、ボキュート・タイタニア。
これで再起不能か。
しかし、勝利の余韻に浸るのは早計だ。下の方には、気になる記事があったからだ。
『――ルーデンス自治領に対して、プルゥーシアからの越境、違法侵入行為が後を絶たない。この現状に対しメタノシュタット王政府が正式抗議。プルゥーシア側は極北地域首長会議の開催を要求しメタノシュタット側もこれを受諾。
開催は九の月十二の日と決まった。
会議はルーデンス自治領国、首都アークティルズにて。
国境線の平和的確定のため、プルーシア側は皇国政府特使団の派遣を決定。メタノシュタット側も高官と特使を派遣する。
相手の代表団には、プルゥーシア王宮魔法使い総長代理、マトリョー・シルカス卿も魔法特使として出席するとの情報もあり――――』
「マトリョー・シルカス?」
どこかで聞いた名だ。
検索魔法で過去の情報を洗い出すと、あった。
――無幻術使い、マトリョー・シルカス
――魔法聖者連序列、第3位
――種族、ハーフ・ダークエルフ
「あの時の一人か……!」
魔法聖者連の本拠地への通信、魔法の通信映像に侵入したときに見たメンバーの一人だ。
検索魔法で暴いた文章によれば、序列三位を何年も維持している、かなり武闘派の魔法使い……とある。
そんな人物を交渉団に入れてくるということは、最初から決裂、あるいは力ずくで粉砕することを目論んでいる可能性もあるわけで……。
「何か不穏な感じがしますわね。ルーデンスですか」
妖精メティウスの心配するとおり、アークテイルズにはファリアとレントミアがいる。
レントミアが後れを取るとは思えないが、相手は魔法聖者連の上位ランカーなのだ。
他にも仲間を連れてくる可能性まで考えると、交渉の場の外側が魔法使い達による「暗闘の場」になるかもしれない。
「どうやら、ルーデンスに行かねばならないようだな」
「まずは王城で作戦会議を」
「あぁ、そうしよう」
<つづく>




