老魔導師の敗北
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「なんたることじゃ! ワシの傑作ゴーレムが……!」
老魔術師が白い顎髭を振り乱し、床板を力任せに踏み砕いた。
作戦指令室に並ぶ魔法の投射映像が、ノイズと赤い警告で埋め尽くされてゆく。機体の状態パラメータを示すグラフが、一斉に心停止したように波打つのを止めた。それは即ち、実戦投入した新型ゴーレム、『罪人』が完全に破壊されたことを示していた。
薄暗い作戦指令室には、他にも数名の制御担当の魔導師達がいた。
「き、機体反応、完全に消失……!」
現地からの魔法通信による中継映像も完全に途絶えた。
壁に並んだ魔法の投影装置には、さっきまで戦場の映像が映し出されていた。それらが消えたということは、『魔法の目』を装備した特殊急襲部隊が全滅したことを意味する。
プルゥーシア皇国・聖都ムスクシアの中枢、皇国の魔法兵器開発局の中央作戦司令室が静まり返った。
最新鋭、かつ最先端の魔導工術を注ぎ込んだ、次世代実証機が失われた。
それはすべて、『魔法聖者連』の仲間や、国の上層部の許可を得ず、独断で投入した老魔術師ボキュート・タイタニアの責任となる。
「役に立たぬ奴等め! 簡単な作戦だと言うから、力を貸してやったというのに……」
悔やんでも遅かった。プルゥーシア皇国軍の一部、急進派が決行した「確実な作戦」とやらに乗じ、甘い果実を齧ろうとした老魔導師の判断ミスだ。
ルーデンス領、七色砦の奪還作戦は失敗した。
駐屯する兵力は一個中隊にも満たない人数の、素人集団だと分析官は嗤っていた。だが、蓋を開けてみれば百戦錬磨の傭兵集団、いや化け物の群れだった。
常人離れした戦闘力を持つ竜撃戦士の猛反撃、それに加勢してきたメタノシュタットの最上位級の魔法使い――!
だが、それでも勝算はあった。
戦闘部隊に貸与した新鋭ゴーレムの実証機は、圧倒的な戦闘力を有していた。特に対人戦闘においては無敵。二個中隊の兵士が束になっても、死体の山を築くことができるはずだった。
実際、量産化するため、実戦データの収集さえできればよかったのだ。
だが――
「ゼロ・リモーティア・エンクロードによる戦闘稼働データ、確認できません! バックアップを確認中……! ダメです、一部ロストしている可能性が」
「機体の自爆魔法回路が高熱により溶断! このままでは機体の機密が、敵国に流出する恐れが」
「な、何ということじゃ! クソが」
荒れ狂う老魔導師が、近くの制御盤を拳で叩く。
通常、虎の子の試験機を投入するなら、回収部隊を随伴させるのが常識だ。だが、今回は特殊急襲を目的とした単独行動。
百パーセントの勝算が有ったが故、そうしたバックアップを講じていなかった。
破壊されたとはいえ、機体には最先端の新素材が使われ、情報を記憶した記憶石や魔法通信の機構が積んである。自爆さえ出来ないとなれば……最悪、自ら赴き回収せねばならない。
「おのれ! あやつが悪い、あの……メタノシュタットのハーフエルフの小僧っこめが!」
ドワーフの老魔術師の剣幕に、周囲の魔導師たちが震え上がる。
プルゥーシア皇国魔術師の最高位『魔法聖者連』における序列、第四位を誇る魔術師。錬金魔導工術師、ボキュート・タイタニア。普段は温厚な老魔導師だが、高齢故か感情の抑えが利かない。
「フェロンは、対ゴーレム戦闘においては無敵! 計算上、メタノシュタットに制式採用されたタランティアシリーズなぞ、三体を同時に相手にしても凌駕する性能があったというに……!」
だが、信じられないことに対人戦闘で破れた。たった一人の魔法使いを相手に。
メタノシュタット王国の最上位魔法使いだったとはいえ、相手はたかが一人なのだ。
「ボキュート老よ、だから言わんこっちゃないぞい」
人形のような小顔の少女が、呆れた様子でため息を吐いた。
壁際の椅子に腰掛けたまま、ふわふわしたロリータ風の黒いドレスの裾から覗く、白いストッキングを履いた脚をパタつかせる。
「ア……アレクシア、おぉアレクシア、ガ……がはは、すまんのぅ、見苦しいところを」
「よいよい、元々見苦しい顔じゃろう」
「あのハーフエルフを知っておるか?」
軽口を無視し、老魔術師が血走った目でアレクシアに問いかけた。
背が低くがっしりとした体形、ドワーフ族の魔術師の伝統衣装の裾を邪魔臭そうに振り払うと、アレクシアに向き直る。
「ま……知らぬわけではないがの。あれは、ググレカスの親友じゃぞい」
「賢者……ググレカス!」
メタノシュタットの暗黒頭脳、粘液の悪魔、邪悪眼鏡。
プルゥーシアでは様々な二つ名で呼ばれ、恐れられる男は、幾度となくプルゥーシア皇国の栄光を穢してきた仇敵だ。
名だたる魔法使い達が破れ、再起不能にされた。
先日は事もあろうに『魔法聖者連』の秘密集会に対し、秘匿回線を通じて侵入、メガネと黒髪の魔術師が高笑いを響かせた。
「ボキュート卿! 映像、回復します!」
「なんじゃと!?」
ボキュートが目を輝かせ、指令室内の魔法投射装置に駆け寄った。
「魔法秘匿回線、再接続……! 『罪人』の感知魔石や記憶石に魔力が……」
「おぉ!? 緊急回路が生きておったか!?」
砂嵐の映像が、緑の豊かな森と空に切り替わる。
『(ザザッ)――これでいいかな? 見えてるの(ザザッ)かなぁ?』
「ぬわっ!?」
大写しになったのは、美しいハーフエルフの青年だった。魔法使いレントミアが感知魔石を覗き込んでいる。
作戦指令室内が再び凍りついた。
機体が敵の手に落ちたのだ。
『(ザッ)いいとも、魔導回路さえ生きていれば、そこから(ザザッ)バックドアを介して侵入して……と』
さらに別の声が交じる。
「なんじゃ!? 一体なにがどうなっておるのじゃ!? 自爆は!?」
「無理です、一切の信号を受け付けません! 完全にシステムを遮断、乗っ取られています」
ボキュート・タイタニアが愕然としていると、映像が再び乱れ、砂嵐となり、やがて薄暗い室内の映像に切り替わった。
『(ザザザッ)――フッハーハハハハ、よぉし繋がった! 魔法通信規約など万国共通、多少暗号化しようが秘匿化しようが、このとおり……!』
高笑いと共に大写しになったのは、黒髪で眼鏡を光らせた男だった。
「ほれみい、賢者ぞい」
「け、けけ、賢者……ググレカス!?」
ボキュート・タイタニアが目を見開き叫んだ。
『(ザザッ)――んー? プルゥーシア側の音声だけは聞こえるが、はて? どちら様かな……? 首謀者なら幸いだ、とりあえず紳士的に警告はする。これは、ルーデンスの七色砦への侵略に対する、報復だ』
細面の青年がニタァと不気味な笑みを浮かべた。
背景は薄暗い室内、メガネに光が反射して、視線をうかがい知ることはできない。
「ほ、報復じゃと!?」
血の気が引く。だが老魔導師は気力を振り絞り、魔法の投射映像を睨み付ける。
「ボ、ボキュート卿! コントロール系に異常が、指令室内の操作系統が反応しません……!」
「外部から猛烈に、ハッキングを受けています!」
「ば、バカな……!」
ドワーフの老魔導師がよろめく。信じられないことが起こっていた。魔法兵器開発局の機密保持と防御結界は鉄壁を誇っている。
こと魔法通信結界関しては特殊な暗号化術式で幾重にも防御している。魔導師百人が束になってたところで、複雑かつ多層的な防御結界の術式は解析できるはずがない。
「は、速い!?」
「えぇい、なんとかせよ!」
「攻撃元の通信回線をランダムに変更されています! 追尾、対処できません!」
「なん……じゃと」
鉄壁のはずの魔法通信結界が突破され、侵入を拒む暗号シールドが次々と無効化され、全体の制御を奪われつつあるのだ。
しかも尋常ならざる速度で。
『(ザザッ)――足掻いても無駄だ。俺のスペシャルグレートな暗号結界解析術式を128個、並列状態で超駆動し演算処理しているのだ。……さて、君たちは何人いるのかな?』
黒髪メガネの言っていることは意味が分からない。
だが、人智を越えた演算速度だということだけは理解できた。相手は一人。だが明らかに数百人同時解析に近い処理速度なのだ。
――これが、賢者ググレカスの力か……!
「通信防御結界、第二層、第三層突破……! 最終防衛ライン、突破されました!」
「暗号ブロック、すべて解除されてゆきます! しゅ、主幹系の魔法通信回線に侵入されました!」
女性の魔導師が悲鳴じみた声をあげた。
「魔法通信回線を遮断じゃ! 何をしておる!」
「ダメです! メインコントロール系が奪われ、操作できません」
「ならば壊せ……!」
『(ザザッ)――壊せば、今から始まるショーが見られないぞ』
「ショーじゃと?」
作戦指令室内はすでに大混乱。慌てふためく魔導師達が様々な操作術式を投入するが、コントロールを取り戻せない。
突如、警報が鳴り響いた。
ドォン……! と鈍い衝撃で施設全体が揺れた。
「な、なんじゃ! どうした!?」
「ボキュート卿! 第三工廠で爆発です! 開発中のゴーレム試作機が、次々と暴走……!」
『――ウィルス術式への対応は未実装だったようだな? 君たちのゼロ・リモーティアほどではないが、ささやかなプレゼントだ』
魔法の映像投影により、格納庫内部の様子が映し出された。
開発中の巨大なゴーレム兵器が武装を破裂させ、火の手が上がった。
「な、なぁあああああ!?」
非常灯に切り替わり赤い光で照らされる。再びの衝撃。内部で次々と爆発しているのだ。
――施設内、火災発生!
――退避! 全職員は施設を破棄、緊急退避! 繰り返す
『――俺の大切な友人たちを傷つけた報いだ』
「うぉあおおおおのおおおれぇええええ、賢者……グゥグゥレェアカァアアアスァアアア!」
血涙を流しながら絶叫。老魔導師ボキュート・タイタニアは両ヒザを床につき、ズシャァアと崩れ落ちた。
『――んん……! 実にいい懺悔の嘆きだ。それが聞きたかったのだよ、フハハハハ……! では、無事を祈る』
魔法通信はそこで途切れた。
「やれやれ、何度目かのぅ。ぬしのような叫び声を聞いたのは」
アレクシアは首を振り、肩をすくめた。
そして廃人のようになった老魔導師の手を引き、他の魔導師たたちと共に非常口へと急いだ。
「ほれ、逃げぬと焼け死ぬぞい」
「うぅ……ワシの……研究がすべて燃え……」
だから止せばいいものを。
アレクシアの呟きは、爆発音にかき消された。
<つづく>




