ルーデンス国境紛争(後編)
「くっ!?」
サーニャが魔女と対峙するや否や、地面から黒い稲妻が襲いかかった。
「地雷黒龍閃から逃れる術はないぞ」
魔女マガルータがほくそ笑んだ。
着地するタイミングを狙った攻撃は、自動追尾型の地雷として仕込んでおいたものだ。間合いに踏み込んだ敵に対し瞬時に食らいつく。幾重にも張り巡らされた魔女の罠、その術中に飛び込んだサーニャは飛んで火にいる夏の虫も同然だった。
「姫ッ、きゃつめの魔法は、地を這う毒蛇と同じですぞ!」
老戦士リュカドゥは叫びながら飛び出した。同じ魔法を食らい、全身が痛みに悲鳴をあげているがお構いなしだ。
「リュカドゥ!?」
サーニャ姫に迫る黒い稲妻を、遮るように猛然と突進すると、斧を地面に振り下ろした。ドンッと地面を叩くと、黒い電撃は割って入った老戦士に襲いかかった。
「ぐぅおおお……ッ!」
「ちっ、死にぞこないが邪魔を!」
魔女マガルータが舌打ちをする。
「やらせはせぬッ……!」
全身がズタズタに切り裂かれるような激痛と苦痛。致死的な魔法に耐えているのは、竜撃戦士ゆえの強靭な肉体と、精神力によるものだった。元国王陛下より「跳ねっかえりの我が娘、サーニャを頼む」と仰せつかっているのだ。誇り高きルーデンスの戦士として、無様な姿は見せられない。姫を守らねばという使命感が、魂を繋ぎ止めているのだ。
「姫、我が背を蹴って、跳ばれよ……!」
「ダメ、リュカドゥ!」
古参の竜撃戦士、リュカドゥは戦いの経験と直感で、魔法の特性を見切っていた。
魔女の魔法は地表を滑る。両足が地面に着いていれば電撃のような呪いを受ける。魔法は地面に接触した部位から、毒蛇のように這い上がり心臓に達するのだ。
――引きつけている間に、魔女を討ってくだされ!
視線で訴えるとサーニャは、瞬時にリュカドゥの意図を汲み取ったようだった。しかし、抜け目のない魔女の気を引きつける必要がある。
「ふん……ぬッ!」
朦朧とした意識のなか、リュカドウは渾身の力で斧を投げつけた。狙いはダークエルフの魔女だ。
「無駄なことを、理性を持たぬ野人めが!」
とはいえ、魔女は斧の投擲を避けざるを得なかった。重質量物体を弾き、避ける結界など無いのだから。地面に仕込んでいた黒い魔法の反発力を利用、サイドステップを踏み避ける。
斧をやり過ごしたものの、魔女マガルータは息を飲んだ。
――しまった、あの娘は何処だ!?
斧を避け視線をはずした僅かな合間に、視界から小鹿のような娘が消えていた。
銀色の髪をなびかせた、小生意気な蛮族の姫――
「たぁああッ!」
「な……ブッ!?」
メキィ! と、顔面に蹴りが炸裂した。
上空から飛んできたサーニャの蹴り。体重を乗せた攻撃をまともにくらった魔女は、もんどりうって倒れた。
「ぐっ、ぐはぁ……ッ!」
サーニャは魔女が立っていた位置へと着地。束ねた銀色の髪を振り払い、魔女に油断なく睨めつける。
「野人に蹴られた気分はどうかしら?」
「あああッ、痛ッ……ぁああっ、血が、聖なる魔力を秘めた……私の血がぁああ、くっそがぁあ!」
魔女が半狂乱になりながら顔を上げた。ダラダラと鼻血が流れ出している。
衝撃で目が霞む。歪んだ視界の先にサーニャがいた。その向こう側では老戦士が立像のように固まっている。斧を投げた右腕は、勝ちどきをあげるかのように高々と掲げられていた。
サーニャはリュカドゥの大きな背中と腕を瞬時に駆け登り、空へ飛んだのだ。
「貴女がこの馬鹿げた襲撃のリーダー?」
サーニャは数メルテ先にいる魔女に向かって詰問した。血の色合いのマントを羽織ったダークエルフは、荒い息を吐きながら肩を怒らせ、不吉な気配を漂わせている。
「殺す……!」
七色砦の攻防戦は、一進一退が続いていた。
黒服の襲撃者たちと守備隊との戦いは、守備隊の優位に傾きつつあった。サーニャ姫とリュカドゥが奮戦し、魔女の支援が途切れたことが大きかった。
剣と剣が交差する音、怒号。黒服の特殊部隊員たちが徐々に退路を探すかのように視線を交わし始める。
「一体、なんの目的で? 答えなさい!」
「蛮族の姫に語るものか……」
魔女は鼻血を流しながら上半身を起こし、憎しみと怒りに燃える視線を叩きつける。
「喋れなくなる前に聞いておこうと思ったのに」
サーニャは両手に持ったナイフをくるりと回し、切っ先を向けた。片刃で湾曲したナイフは、野獣の硬皮を貫き、筋肉を裂くためのものだ。魔女の喉元を掻き斬るなど造作もない。
サーニャが地面を蹴った。
一息に間合いを詰めて魔女に迫る。が、
「小娘が、油断したね!」
ダークエルフの魔女が地面を踏みつけると同時に、地面が黒い泥のように粘性を帯びた。
「くっ!」
泥で滑り、足を取られただけではなかった。足を毒水にでも浸けたように激痛が走り、サーニャの動きが鈍った。
黒い人影が獣のように迫り、一瞬でサーニャの身体を切り裂いた。黒い刃が振り抜かれると、血が舞った。
「あぁ……ッ!」
「不意打ちは、オレらの専門でね」
黒服の特殊部隊のリーダー格が着地と同時に、びゅんっと黒いナイフを振り抜いた。サーニャは黒い泥のなかに崩れ落ちた。
「う、ぐうっ……!」
苦痛にうめき声を上げるサーニャ。
「遅いわ、ペツナルフ」
魔女が苛立ちも露に睨み付ける。
「へへ、すんませんね。まさか偉大なる魔女さまが、蹴飛ばされるなんて、思わなかったもんでねぇ。慌ててフォーメーションを組み直し、参上したってわけでさぁ」
「ちっ……!」
魔女は怒りが収まらない様子で、サーニャの腹を蹴飛ばし、斬られた肩を踏みつけた。
「あぁああッ」
「動くなァアア! ルーデンスのクソ蛮族どもァア!」
魔女マガルータが金切り声で叫ぶと、戦場が凍りついた。
魔女の足元に倒れているのは、果敢に魔女に挑んだサーニャ姫だった。生きてはいる。だが出血している。
「姫ッ!?」
「サーニャ様ッ!」
残っていた守備隊数名と、残り三名の竜撃戦士見習いの若者たちが動きを止めた。
「見ての通りさ。投降しなァ! 手間ぁかけさせるんじゃないよ! それとも、コイツの腹ワタを、生きたまま引きずり出してやろうかぁ? キャハハハ」
踏みつける脚に力をいれてサーニャを黒い魔法の呪詛に浸ける。
勝ち誇ったような高笑いに、誰も動くことができなかった。
黒服の戦闘員たちがここぞとばかりに竜撃戦士を激しく蹴飛ばし、武器をその腕から奪った。
「やれやれ、オレら悪党みたいっスねぇ」
ペツナレフがため息を吐く。誇り高きプルゥーシア皇国の特殊部隊と、最強の誉れ高き神域極光衆は、皇国の大義のために動いている。だが、戦いは常に清らかなものばかりではないのだ。
「よし、この娘以外は殺せ」
「……へい」
上級魔女の命に従い、部下たちへの合図を下す。
ペツナレフが片手を挙げた、その時――。
「え?」
ジュッ! と、音がした。
上空から放たれた一条の赤い光線が、ペツナレフの右腕を貫通したのだ。瞬きをするや、まるで油まみれの松明のように盛大に炎を噴き上げ、右腕が燃え上がった。
ペツナレフが「ぎゃぁああ!?」と悲鳴を上げ、地面を転げ回る。
「なッ何いっ!?」
ダークエルフの魔女が光の放たれた方角、上空を見上げる。空中に大きな木の葉のような物体が旋回していた。距離にして二十メルテほど上空。そこから正確無比にペツナレフの右腕を焼いた光は、魔法に違いない。それも上位術者でも会得したものは殆ど居ないという、伝説級の火炎魔法。
「ポ、指向性熱魔法だと……!? あの位置から、この正確さで……!」
炎の熱を閉塞結界内に封じ、輻射熱を反復することで増幅、指向性をもたせたうえで一気に放出する。熱エネルギーの一点投射により対象物を急激な加熱、熱膨張による破壊、融解といった効果を得る特殊な魔法だ。
「――低熱量・指向性熱魔法だよ」
空から声が響く。音声拡張魔法で拡声された少年のような声に、戦場の誰もが空を見上げた。
「ぎゃ!?」
「あぁあああ!?」
「う、わぁあああっ!」
次々と黒服の戦闘員たちの腕が燃え上がった。天罰のように空から赤い光が降り注ぎ、戦闘員たちの腕を照らす。光線魔法から逃れる方法は無かった。光に包まれた腕は瞬く間に炎上し、持っていた黒いナイフは加熱され手を焼いた。
隊員たちは悲鳴を上げながら武器を投げ捨てると、我先にと森へと逃亡を図りはじめた。
「殺さないよ、ググレに怒られるから」
レントミアの正確無比な狙撃により、見える範囲の敵は一掃されていた。仲間の敗走を知り、慌てて七色砦から逃げ出す隊員も平等に、例外無く、右腕が松明のように炎に包まれた。
上空からの支援攻撃による形勢逆転。竜撃戦士たちがあまりの火力と正確さに、呆気にとられていた。
勝ちどきをあげることさえ忘れ、上空に現れた援軍の姿を見上げている。
「レントミア……さ、ま?」
倒れていたサーニャも、視界の片隅にその姿をとらえた。
間違いない。夢ではない、レントミア様だ。
姉のファリアと常に行動を共にしていた、ハーフエルフの魔法使い。賢者ググレカスと共に「最強の魔法使いだ!」と姉のファリアが太鼓判を押し自慢していた彼。危機が訪れる度、これまで何度もルーデンスを救ってくれている救世主だ。
そして今回もまた、来てくださった。サーニャは苦痛に喘ぎながらも、嬉しさと感謝に涙がこぼれた。
「お、おのれぇえええええ!」
魔女マガルータは怒り心頭に達していた。一見すると不利だが、こちらには人質がいる。身動きの取れない娘を盾に――。
「……はぁッ!」
「ぎゃっ!?」
サーニャが気力を振り絞り、魔女の脚を斬りつけ、撥ね飛ばした。ダメージを負ってはいたが傷は浅いのだ。人質にとペツナレフが手加減したのが仇となった。
魔女はよろめき倒れた身体を、拾い上げた黒い杖で支え再び立ち上がった。人質の小娘、サーニャは脱兎のごとく逃げおおせ、仲間たちと合流していた。
「ちいいっ……!」
歯軋りをするが、自らの失策で手札を失った。これにより大勢は決したように思えた。
「残ったのは君だけだけど、どうする? 超高熱・指向性熱魔法」
どうする? と尋ねつつ魔法を放つレントミア。
黒服戦闘員たちに放った魔法よりも更に切れ味の鋭い、超高熱の熱線が魔女マガルータの左耳を貫いた。
「なぁああああッ!? きき、貴様ァアアッ」
――魔法結界が効かぬ!?
魔法が高出力過ぎ、防御結界が意味を成さない。並みの結界では防げないことに愕然とする。
「うわ、紙みたいに薄い結界だね。それじゃ死んじゃうよ」
賢者ググレカスと比べるのも憚られるが、戦闘時には十数枚以上の結界を展開する彼の、一枚分にも満たない。
レントミアの見立てでは、目の前のダークエルフの魔女はプルゥーシアの上級クラスの格好をしているが、見かけ倒しだ。
若草色の髪をなびかせて、魔法の浮遊板の手綱を使って巧みにターン。高度を急速に下げながら、魔女の真正面から向かってゆく。
「メタノシュタットの魔法使いイィ……!」
レントミアだと? その名を知らぬはずがあろうか。魔王大戦後に急速に力をつけた新興国。メタノシュタットにおける最上位クラスの術者として名を馳せている。
侮っていた訳ではないが、これほどとは思わなかった。眩いばかりの白いマントが忌々しい。
レントミアは頭上に幾つもの光球を浮かべ、指で弾くようにひとつを差し向けた。弾けた光が瞬時に収束すると、魔女マガルータの周囲で爆発が起こり、魔方陣や結界を焼いた。
もはや勝負はあったかに思えた。
「くっ……! まだだ、切り札がある……!」
魔女マガルータは炎から逃れ、背後の森へと走った。魔法力を励起し緊急制御コードを転送する。
森の木々と迷彩シートで隠された、秘密兵器。
今回の作戦における実戦投入を、上層部も期待している。プルゥーシアが誇る最新鋭の魔導ゴーレム兵器。無人自律戦闘試作、零号機……!
「起動せよ、タイプ・ゼロ・リモーティア・エンクロードッ!」
<つづく>




