ルーデンス国境紛争(中編)
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――七色岩塊。通称『七色砦』。
ルーデンスの州都、アークテイルズから直線距離でおよそ三十キロメルテ北方に位置する、直径百メルテほどの岩塊だ。
マグマの結晶分化作用により、七種類の火成岩が地表に露出。広大な森林地帯の上空から眺めれば、まるで海に浮かぶ小島のように見える。
森で暮らす亜人族や、狩人たちにとっては森の目印であり、岩塊の下には洞窟状の空間と水場があり、雨風もしのげる。
森の民にとっては欠かせない拠点であり、同時に古くから旧ルーデンス王国の砦として利用されてきた。
「えぇい、まだ攻め落とせぬか……!」
ダークエルフの魔女が苛立たしげに七色砦を睨みつけた。
尖った耳に日に焼けたような肌の色、こけた頬につり上がった目、紫色の唇。灰色の長い髪を簾のように幾筋にも編み、手にはねじくれた黒い杖を持っている。
その姿は古来よりの魔女そのものだが、軍服じみた衣装の上に、赤く派手なローブを羽織っている。ローブの背中には大きな蛇の図柄が描かれていた。それはプルゥーシア皇国の誇る魔法兵団――神域極光衆の上位術者を意味する記章だった。
冷たく光る紫色の瞳。魔女の視線の先では、無数の亜人族が七色砦に群がり、攻撃を続けている。砦の入り口には木の柵が巡らされている。守備隊は奮戦し、木柵を防衛線として維持し続けている。
魔女のもとへ、青白い肌をした二匹の亜人族が駆け寄ってきた。
「トリデ、守リ、カタイ」
「竜撃ノ戦士……イル、ツヨイ」
「お黙り、泣き言を許した覚えはないよ。何人死のうが構わない、お前たちは攻め続けるのだ」
魔女は手に持った黒い杖で地面を叩き、術式を亜人族の脳に流し込む。
途端に二匹の亜人族は頭を抱え、苦痛の呻き声をあげる。やがて虚ろな目に、狂気の光が宿った。
「……突撃、トツゲキ」
「……攻撃、コウゲキ」
青い肌に腰布を巻きつけただけの亜人族は、個体によっては人語を理解する。だが半獣人よりもずっと魔物に近い存在だ。オークやオーガ、ゴブリンなどがこれに該当する。
彼らの多くは森の奥で狩猟と採集生活を営み、一族で移動しながら暮らしている。しかし、ひとたび人間の生活圏と交われば必然的に争いになる。
「捨て身で攻撃を。竜撃の戦士を減らしなさい」
「コロス」「コロス」
ルーデンスの誇る自警団の精強さは周知の事実。亜人どもも恐ろしさを知っていた。特に「竜さえも狩る」力を持つという竜撃戦士は、並の魔物の襲撃など物ともしない。
七色砦を攻め落とすにあたり、彼らを損耗させることが最優先課題だった。占領する本国の意向が働いたとはいえ、正規の大軍を派遣するわけにはいかない。あくまでも静かに占拠し、実効支配することが大切なのだ。
だから少ない手駒の代わりに、亜人族の集団を暗黒の魔法で洗脳、集団意識を操り砦を襲撃させた。だが所詮は数ばかり多い烏合の衆。まるで使えない。
「マガルータ様、そろそろ俺らの出番ですかね」
背後の森の暗がりから、全身黒ずくめの装備で身を固めた男が一人、静かに進み出た。
太刀筋が見えぬように黒く塗られた短剣を右手に、左腕には対魔法効果のある小型シールドを装備している。身分を示す物は何一つ身に付けていないが、プルゥーシアの特殊強襲部隊、黒豹に属する者が使う装備で身を固めている。
「ペツナルフ。やはり亜人ごときでは何ともならぬ」
「やはり、ルーデンスの武装民兵は噂以上ですなぁ。正面から戦を挑むのは無謀でしたな」
顔に傷のある男は、戦闘のプロといった凄みを漂わせていた。
「案ずるな、私が魔法できゃつらの機先を制する」
「期待しとりますぜ、魔法兵長殿。いざとなれば、切り札もあるんですぜ?」
チラリと背後の茂みに視線を向ける。
木々の葉と、迷彩されたシートで偽装されているが、大型の魔法機動兵器、ゴーレムが一騎鎮座している。
今回の作戦遂行に当たり、特別に支給された最新鋭の機体だ。
「最初から投入しても良いってのに、あんな亜人どもに頼るなんざ」
「誇り高き皇国の魔女が、玩具に頼るほど、苦戦すると思うてか」
魔女マガルータは口角を持ち上げた。
「へへ、違いねぇ」
口には出さないが、最初に亜人どもをけしかけて正解だった。
ルーデンスの武装民兵、すなわち守備隊の戦闘力は、想定を超えていた。七色砦に駐屯していたルーデンスの守備隊は、わずか7名。他には砦に常駐していた非戦闘員がおよそ十名。それらは馬飼いや飯炊き女。無視してもいいと判断した。
半刻前、襲撃をしかけた亜人族の兵力は、総勢五十匹を超えていた。森に身を隠して近づいての一斉攻撃。
しかし、突然の襲撃に浮足立つかと思ったが、ルーデンスの守備隊は逃げ出すどころか、驚くべき反撃速度で次々に亜人族を撃退しはじめた。
想定外だったのは非戦闘員と侮っていた連中さえも、武器を手に戦闘に加わったことだ。
亜人族の群れは攻めあぐね、小競り合いを繰り返すうちに、半減。今や二十匹程度にまで減っていた。
「ま、お陰で連中の戦力は把握できましたぜ。しかし、守備隊の戦力と体力を削れたかは怪しいもんですがねぇ」
苦笑するペツナレフ。
砦からおよそ二十メルテ離れた木々の陰から、魔女マガルータとペツナルフは進み出た。
と、七色砦に籠城していた守備隊の一人が防衛線を越えて飛び出してきた。
「亜人どもが、もう終いか!?」
大声で挑発したのは、戦闘用の斧を担いだ白髪混じりの大男だった。魔法に操られた亜人族の群れは、突出してきた敵を自動的に攻撃する。棍棒や剣などの武器を手に、一斉に男を取り囲んだ。
だが、ロマンスグレーの大男は、取り囲まれるのを待っていました、とばかりに戦斧を振り回した。瞬く間に二匹の亜人の頭部が砕け、一匹は上半身と下半身が泣き別れた。
「――ガハハ! 流行り病で気でも違ったか亜人ども! 我ら、竜撃戦士に敵うと思うてか!? くらえぇいい……! 竜撃羅刹、拡散裂破衝!」
大男を中心に竜巻のような突風が吹いた。それは闘気によって練られた破壊の波動だった。
「ギャァアア!?」
「ヒギャァ!」
ドゴゥッ! と円形に衝撃波が爆ぜた。
爆風で周囲が広範囲に薙ぎ払われ、亜人たちがまるで木の葉のように吹き飛ばされる。樹木や地面に次々と叩きつけられ動かなくなるが、起き上がった亜人は情けない悲鳴を上げながら、一匹また一匹と森へ逃げてゆく。攻撃の衝撃で、魔法の呪縛が解けたのだ。
「あれが……闘気による技か」
ダークエルフの魔女は呆れたように呟いた。
無詠唱、無意識に操る原初的な魔法の一種にも思えるが、強靭な肉体から放つ技は、常識を超えていた。体力頼みの戦士とは思えない戦闘力だ。
「ルーデンスでも名の知れた称号つきの戦士でしょうな。情報通り、砦の中に身分の高い御仁がいるようで」
「だからこそだ。元王族の姫が、少数の護衛のみを引き連れて、季節性の魔物退治に遠征中……との情報があったからな。飛んで火に入る夏の虫。こんな辺鄙な場所に、ノコノコ来たのが運の尽きさ。……殺さずに生け捕ってたっぷり可愛がっておやり」
「へいへい、最善を尽くしやす」
魔女マガルータは黒い杖を地面に突き刺した。
僅かな精神集中で魔力を励起する。黒い魔法円が周囲に生じると、黒い渦を巻きながら、蛇のような稲妻がバリバリと地表で迸った。
「地雷黒龍閃!」
地面を這う黒い稲妻は、まるで地を這う蛇のようだった。狙うは二十メルテ先。放たれた黒い蛇の魔法が向かったのは、亜人族を蹴散らしたばかりの白髪頭の竜撃戦士だ。
「――ぬぉおおおっ!?」
黒い蛇のような魔法が襲いかかった。凄まじい爆発が、竜撃戦士を吹き飛ばした。
「いけ」
「作戦開始だ、野郎ども!」
「「「ハッ」」」
森の木々をかき分けて、黒ずくめの戦闘集団が姿を見せた。全員が同じ近接戦闘装備に身を固めている。その数はおよそ十二名。一斉に砦に向けて進撃を開始する。
「アルファチームは砦の背後へ、ブラボーは正面攻略、チャーリーはブラボーの支援!」
獣のように駆け出すと三班に分かれる。ザザザ……! と黒い獣の群れのように砦へと殺到する。
「な、なんだこいつら!?」
木柵越しに槍を構えていた守備隊員の一人が、一瞬で斬り伏せられた。次々に防衛線の内側へと侵入する。
「敵襲!」
「新手だ、プロの戦闘集団だ!」
七色砦が俄に騒がしくなった。魔法攻撃と新たなる敵の出現に緊迫の度合いが高まる。
「さぁ、竜撃戦士、私が相手になるわ」
ゆっくりと歩を進め、砦へと近づくダークエルフの魔女。
歩きながら再び魔法を励起。黒い稲妻を纏う。それは地属性の魔法地雷黒龍閃。大地の電位相を狂わせ、呪いの雷として放つ暗黒の魔法だ。
「リュカドゥ、無事か!?」
「魔法攻撃、魔女か……!」
砦の正面、洞窟のような入り口から竜撃戦士がさらに二人飛び出してきた。見るからに血気盛んそうな若者と、中年の戦士の二人だ。
初撃で吹き飛ばされて倒れた白髪頭の大男に駆け寄る。
「ふん」
マガルータは問答無用で黒い稲妻を放った。地表をジグザグに疾走する黒い雷撃は、一瞬で二人の竜撃戦士に到達。地面を炸裂させ二人を一気に吹き飛ばした。
「なにぃっ!?」
「ぐはぁっ!?」
体勢を崩し倒れた竜撃戦士に、黒ずくめの戦闘集団、ブラボーチームが襲いかかった。二名づつに分かれ確実に留めを刺す。抜き身の剣を向け、刺し貫く。
「ふふ……そう、その調子」
魔女マガルータは高揚する気分を抑えられなかった。
失敗は許されない。
しかし成功すれば上の地位が約束されている。
汚れ仕事を請け負う魔法兵団、神域極光衆などよりも、更なる高みへと至る道が。偉大なるプルゥーシア皇国が誇る、伝統と格式ある魔法使いの頂点。燦然と輝く世界最高峰の魔法使い集団――『魔法聖者連』の序列へと、名を連ねる事ができるのだ。
その時、一陣の風が吹いた。
「たぁ、ああっ!」
束ねた銀色の髪をなびかせた、身軽な女戦士だった。
「――!」
小鹿のような俊敏な動きで、黒づくめの戦闘員の間合いに入り込む。同時に二本のナイフを抜く。突き出された黒豹の刃を左手のナイフで弾き、右手のナイフで相手の腕の靭帯を切断する。
「ぎゃブッ!?」
悲鳴をあげ倒れかかる黒服の戦闘員を駆け上り、顔面を蹴りつけ跳ねた。そして背後から迫っていた二人目の黒服戦闘員に対し、急降下しつつナイフを逆手に握り直す。
「踏み台に……!?」
落下の勢いを乗せ、黒服の両肩にナイフを突き刺した。
「ぎゃぁ、あ!?」
両肩から赤い噴水を撒き散らした時、銀髪の女戦士はもういちど跳ねて、倒れた仲間たちと合流していた。着地と同時に髪をふわりと振り払う。
「なんてやつだ……!」
「チャーリーチーム、カバーに回れ!」
トリッキーな攻撃に黒い戦闘員二人が一瞬で倒された。
装甲された部位を避け、関節や首筋などの脆弱な部分を正確に狙い、確実に戦闘力を削ぎ落とす戦法。それは身軽さと速さを兼ね備えねば出来ない戦い方だ。
「サ、サーニャ姫……!」
魔法で爆死したかと思われた白髪頭の大男がムクリと起き上がった。そして傍らに降り立った少女を見上げ、感激の涙を流す。
目の前にいたのはルーデン王国の次女、サーニャ姫だった。
「あら、よかった。生きていたのねリュカドゥ」
「いけません姫、前線に出てこられては……ごはっ」
「砦に撤退を」
短くいい終えると再び身構える。
胸と腹、そして膝とスネ。必要最小限の部位を、軽量な革の鎧で守っている。
「ガ……ガハハ、失敬。少々………不意をつかれましてな」
血を流しながらも起き上がるリュカドゥ。
「それと、もう姫ではないでしょう」
「ワシらにとっては、ファリア様もサーニャ様も、姫でございますからな! 共に戦いますぞ!」
老兵の無事に目を細めると、サーニャは再び襲撃者たちと対峙する。
「姉上……私に力を」
両肩にナイフが二本、腰の後ろに二本、太ももに二本。そして手に持ったナイフの計八本を装備した、雄々しい姫の姿。
「姫に続け!」
「おぉおおお!」
砦の守備隊から気勢があがった。
「この襲撃は、ただ事では無いようです」
サーニャが魔女の姿を見つけ呟いた次の瞬間。地面から黒い稲妻が襲いかかった。
<つづく>




