ルーデンス国境紛争(前編)
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ルーデンス自治州の州都アークテイルズ。
深い森に囲まれた元王国の中心都市は、伝統的な赤い焼き瓦のとんがり屋根が特徴で美しい古都の趣がある。
周囲には森を開墾した村々が点在し、牧歌的でのどかな風景が広がっている。
住民の多くは牧場を営み、肉用乳用を問わず牧畜業が盛んであるがゆえ、季節ごとに、あるいは突発的に招かれざる客により家畜が被害を被ることがある。
家畜を狙って襲来する野獣や魔物、あるいは統治を受けない亜人種による盗賊行為だ。
しかし、ルーデンス人は「いつものこと」と僅かな被害を許容しつつも、精強な自警団により撃退するのが普通だった。
しかし最近はこれとは別の脅威に神経をすり減らしていた。
「襲撃の知らせがあったのは何時のことだ!?」
アークティルズ城の前で慌ただしい動きがあった。
勇ましい女戦士が、用意されていた大型の馬に飛び乗る。馬上装備の軽装甲を肩と胸、そして腹に装備したファリアだ。
馬具の調子を確かめると、銀色の長い髪を馬の尻尾に束ねる。
賢者の館に赴き、楽しい時間を過ごしてから二週間が過ぎていた。故郷へと戻ったファリアの日常は、やはり退屈とは程遠い。
「つい先ほどです。しかし魔法通信の受信状況が悪く、詳しい被害状況までは確認できておりません。守備隊は『七色砦』に立てこもり防戦中、奮戦しているということですが、相手は武装集団二十数名。どれほど持つか……」
ルーデンス州政府の大臣を務めるケアリーグ・アレイが青ざめた顔で報告する。
体格のいい壮年の男は、ルーデンス王家にずっと仕えていたが、有能さを買われ州政府の大臣の肩書を得た。今は事務方のトップの肩書きを持つが、政治行政から会計帳簿の監査、軍事防衛問題に至るまで、マルチな能力が求められ、かつ多忙を極めていた。そこへ今回の騒動である。
「ルーデンスの『七色砦』を襲撃するとはいい度胸だ……! ただの盗賊団ではないな」
「報告では、剣と魔法を駆使する武装集団との事です。以前から国境付近の森林地帯を、我が物顔でうろついている者たちかと」
「プルゥーシアの手のものか」
「おそらく……。密猟団を装った武装民兵かと」
「くそっ」
ファリアは険しい表情で眉根を寄せた。
城の従者が二人がかりで運んできた戦斧を軽々と片手で受け取ると、肩に担ぐ。
馬は重さで鼻息を荒くしたが、四肢を踏ん張って姿勢を崩さない。農耕馬として泥濘や深雪で鍛え上げられた黒毛の馬、筋骨隆々たる北方馬だ。
「我が国の支配が弱まったと考え、威力偵察に出たのでしょう。キョディッティル大森林の要衝たる『七色砦』が奪取されれば、我が国は実効支配の名実を失いかねません」
ルーデンス王国がメタノシュタットに併合されたことにより、辺境の勢力図にわずかな変化が生じていた。
広大な森林地帯が大海のように広がるキョディッティル大森林は、ルーデンスとプルゥーシアの領土紛争に決着が付いていない。ただ『七色砦』と呼ばれる、森の中の島を思わせる巨大な岩塊が国境線として暗黙のルールとなっていた。
この領域の支配権を虎視眈々と狙うのは、極北のプルゥーシア皇国だ。
ルーデンスの領域へ頻繁に調査名目で武装調査団を送り込み、侵犯を繰り返すことで既成事実を積み重ねる。そして支配権を弱め、ルーデンスの統治に楔を打ち込み、実効支配。最終的に己の領土へと編入しようという意図が垣間見える。
今回の武装民兵は、一見すると個人的な密猟者や、密猟団と見分けがつかない。
しかしその実情はプルゥーシア皇国が後ろ盾になり、元軍人や『神域極光衆』に席を置く魔法使いも混じっている戦闘武装集団だ。
「現在、ルーデンス自警団……竜撃戦士団は各地に散っております。季節性の魔物の襲来への対応で手一杯、防衛線が伸び切ったタイミングを狙ってきたのでしょう」
「だから私が出る! 他に動ける駒が無いのだ!」
「単騎では危険です! ファリア姫自ら出撃せずとも、明日にはルーデンス竜撃戦士団を再編成し、迎撃に向かわせるのが上策かと」
「それでは遅い! 『七色砦』には、サーニャがいるのだ。そこが落城すれば……。それと私を姫と呼ぶな」
「し、失礼しました。ファリア様」
ルーデンスの統治の象徴として、アンドルア・ジーハイド・ラグントゥス元国王は、メタノシュタット王国から公爵という高い爵位も与えられている。これにより第一王女のファリアは、公爵家のご令嬢という身分に変わっていた。
そして公爵家は辺境を治める地方領主としての責任が生じる。
ひとたび問題が起これば、先頭に立つのは長男のセカンディアか、長女のファリアということになる。
だが頼りになるはずの長男、血気盛んなセカンディアは西部の魔獣討伐に遠征中。次女のサーニャが少数の手勢を率いて『七色砦』へ駐屯していた。
「我ら二騎、同行可能です!」
そこへ馬を駆る兵士二人がファリアに合流した。
剣と槍を装備する、若い竜撃戦士見習いたちだった。灰色の短髪の青年と、青い髪を切りそろえた少女の面影を残す女戦士だ。
「オーテックとレーベン、お前たちは城の守り手を仰せつかっているだろう!」
「国王陛……領主様がお許しくださいました!」
「ファリア様どうか、我らも共に戦います!」
「……わかった」
ファリアは頷いた。手勢はこれで三名。
だが相手は二十数名の武装集団だという。『七色砦』に籠城しているものは、非戦闘員も含め十数名にすぎない。もはや事は一刻を争う。
「しかし武装集団の中には、強力な魔法を使う者もいるとの報告が……!」
ケアリーグ・アレイ大臣が不安げに言葉をかける。
「心配には及ばん。私の大切な連れを忘れたか?」
ファリアが微笑むや、一陣の風が吹いた。
庭木の木立が揺れ木の葉が舞う。風の強さに目を細め、上空を見上げると、大臣と三騎の竜撃戦士の上空を何かが横切った。
「――おぉ!」
「あれは!」
「六英雄の!」
大きな「木の葉」が目の前で右旋回、ターンするとふわりと静かに着地する。
若草色の髪をなびかせ、ハーフエルフの青年が降り立つと、純白のマントを振り払った。
「おまたせ、ファリア」
「レントミア……!」
幅1メル、長さ2メルほどの木の葉型の魔法の絨毯は、特製の飛行魔法具だ。
『流体制御魔法』の応用で、編み込まれた特殊な魔法の繊維一本一本が、空気の流れを生み出し、強力な推力を生み出している。
手綱を通じ魔法力を注き続けねばならないが、早馬にも勝る速度と、三次元機動を可能とする。
「寝坊しちゃってさ。その……」
「皆までいうな、すまないが手を貸してくれ」
「ファリアたちは前衛で、僕が空から魔法支援する」
「心強い、頼むぞ」
「まかせて」
短い言葉を交わし、拳を軽くぶつけ合う。以心伝心、阿吽の呼吸。連携については心配無用なのだ。
「いくぞ! 秘密の近道を使う」
「「はっ」」
ファリアたちが馬を駆り、『七色砦』を目指す。
ここから森の中の通商路を通れば半日かかる行程も、ファリアたちが知る秘密の近道を使えば二時間もかからない。
「さて、僕も」
レントミアは木の葉型の絨毯に乗り、ふわりと空へ舞い上がった。滑るような動きでファリアたちの馬を追った。
「ご武運を……!」
◆
「賢者ググレカス、レントミア様が」
「うん。把握している」
高々度魔法通信中継気球を通じ、情報を収集する。
メタノシュタット全土に数機存在する魔法の気球が、魔法の通信をリレーし、遠隔地との通信を可能としている。
レントミアが一報をくれたのはつい先刻だ。
ファリアと武装集団の討伐に向かうという。ファリアとレントミアのコンビなら戦闘力は申し分ないが、一抹の不安があった。
それはプラムやアルベリーナが乗る森林地帯調査船、ホウボウ号の襲撃事件があったからだ。あの時はプルゥーシアの魔法戦闘集団『神域極光衆』に属する魔法剣士が、同じく魔法剣を装備する騎士チュウタと激しい戦いを繰り広げた。
魔法戦闘においては、容赦のないアルベリーナがいたからこそ撃退できたが、並の魔法使いでは勝てなかっただろう。
無論、レントミアが後れを取るとは思えないが……。
「――ルーデンス州政府からの要請で、既に『中央即応特殊作戦群』が警戒態勢のレベルを上げておりますわ。さらに『量産型・雷神剣』を装備した魔装特殊急襲部隊(MSAT)に出撃命令……! 精鋭の8名が強化育成型翼竜四頭に分乗し出撃とのこと」
妖精メティウスが戦術情報表示に矢継ぎ早に表示される戦況を読み上げる。
「とはいえ、ルーデンスのさらに北、『七色砦』までは空路でも最速でも三時間か」
「はい……、大丈夫でしょうか?」
ファリアとレントミアの接敵のほうが早い。
戦術情報表示に映し出しされた戦域マップには、ルーデンスの森林地帯北部を示している。
赤い輝点が敵集団のいる『七色砦』そこへレントミアを示す青い輝点が急接近してゆく。
レントミアは既に、強力な索敵結界の魔力波動を放射していた。
包み隠さず『七色砦』の方向に向けて放つ魔法の波動は、敵の魔法使いの気を引くためとはいえ身を危険に晒す。
「二人を信じるしか無いが……。出来る限り支援しよう」
「はいっ、賢者ググレカス!」
<つづく>