三人の戦友と、新しい命
消毒薬の臭いが漂う長い廊下の突き当り。壁際に置かれた長椅子に、三人の男たちが並んで腰掛けていた。
フィノボッチ村で小麦農家を営むギムハット氏。
王国の誇る『神託の十六騎士団』の騎士団長、ヴィルシュタイン卿。
そして、王国の賢者こと俺――ググレカス。
「ずいぶんと長い時間がかかるもんだべなぁ。牛の出産は手伝ったことがあるだども、それよりも長いべぇ」
「無礼者め! 誇り高き騎士の子を牛と同じと申すか!?」
「ひっ、なんで怒るだか?」
「まぁまぁ騎士どの。生き物は皆同じ、生命誕生の奇跡、生まれてくる命の尊さに変わりはない。と、ギムハット氏は言いたかったのですよね」
「えっ? んだべか……」
騎士と農夫の噛み合わない会話の狭間で、なぜか苦労する俺。
「なるほど、さすが賢者どの。言葉の裏に隠された深い意味、真意を瞬時に見抜かれるとは、恐れ入りました。私の無知と思慮の浅さを恥じずにはいられません。すまなかった、ギムハット殿」
俺の右側に座っていた騎士ヴィルシュタインが、左側に座る農夫への謝罪を口にする。
「いや、何も気にしてねぇだども」
身分に関係なく、誰でも平等に利用できる産院。この素晴らしいアイデアを思い付いたスヌーヴェル姫殿下を尊敬せずにはいられない。こうして、普段は交わることのない者同士、互いを知る機会になるのだから。
「我ら男は、ここでは皆一様に無力な存在です。せめて奥様方の奮戦を祈りましょう」
「おぉ、賢者どののおっしゃる通りです!」
「んだな」
身分も立場も違う俺たちだが、気持ちはひとつ。
我が子が無事に生まれてほしい、その願いは同じなのだ。
「出産は女にとって命がけの戦い。ならば勝利を信じ、我らで凱歌を歌おうではありませんか!」
「ちょっ」
拳を振り上げ、立ち上がるヴィルシュタイン卿。
「産院ではお静かに!」
案の定、速攻で中年の看護師がすっとんできた。
「やれやれ」
しかし、無事に生まれるだろうか。夕方からマニュフェルノが産気づき、分娩室で奮闘中だが、二時間は過ぎている。メティからの連絡もない。
「生まれてくる赤ん坊を間違えないといいだが」
「確かに、それは心配だ」
ギムハットの言葉に騎士がうなづく。
物語などではよく、子供が取り違えられる。
王子様と貧しい家の子が、ひょんなことから取り違えられ、育てられ、やがて……というのは昔からの定番のストーリーだ。
おまけにここにいる三人は「いかにも」な組み合わせ。
騎士の子が農家の子に、農家の子が賢者の子に、賢者の子が騎士の子に……なんてことになったら、ややこしい。
「ですが心配には及びませんよ。目の色、髪の色、それぞれ違いますから。まぁ奇跡的に同じような見た目の子供が三人、同時に生まれてくれば、その時は流石に気を付けねばなりませんが」
「ははは、確かにその通りですな」
「んだなぁ、おらんところは茶髪、賢者様は黒髪、騎士さまは金髪だものな」
「そういうことです」
なんとなく和む俺たち。
と、その時。
――ほ、ほぎゃぁ……ほぎゃぁ!
分娩室の中から、泣き声が響いた。
「「「生まれた!」」」
三人は同時に立ち上がった。固唾を飲んで、分娩室の扉の向こう側の様子を窺う。
誰だ、誰の子が最初だ?
やがて、扉が開き白衣を身に着けた看護師さんが出てきた。
「ヴィルシュタインさん、元気な女の子ですよ!」
「よっしゃぁああ、でかした! よくやった」
「お、お静かに。奥さまもお元気、母子ともに健康です。いま、処置をしたら会えますから、そのままお掛けになってお待ちください」
そういうと看護師さんが再び扉を閉めた。
「おめでとうございます、ヴィルシュタイン卿」
「めでてぇだ、騎士さま」
「二人とも、ありがとう……。ううっ、感激だ、こんな嬉しいことはない」
おいおいと男泣きをする騎士に苦笑しつつ、次はどちらだと気が気ではない。
何よりもギムハット氏の奥さんは逆子で身ごもっている。
スタッフも相当がんばっているのだろう。励ます声や、様々な話し声が聞こえてくる。
――おんぎゃぁ、おんぎゃぁ!
「「「生まれた!」」」
またも三人同時に声をあげる。
今度は俺か、農夫か?
「ギムハットさん、元気な男の子ですよ……!」
「やったどぉ! おおお、やったどぉおお! でも、嫁は……カカルアは!?」
「落ち着いて聞いてください。母体の方が危険な状態です。お子さんは逆子でしたが、なんとか無事に。でも、奥さまの方は……」
「なんだと!?」
最初に声をあげたのは騎士ヴィルシュタインだった。
「そんな……! カカルア! がんばるだ!」
「なんとかしろ! 危険の無いようにするのが産院の役目だろうが!」
「ヴィルシュタイン卿……!」
担当の看護師に掴みかからんばかりの騎士を俺は制止する。言っても仕方のないことだとわかってはいる。だが、言わずにはいられなかったのだろう。
「医術師も、魔法治癒師も必死で処置をしています。ですが……」
恐らく五分五分、と言いたいのだろう。覚悟をしてくれと表情から読み取れた。
看護師は一礼をすると再び中へと入っていった。
立ち尽くすギムハット氏を座らせる。騎士ヴィルシュタインも、まるで自分の事のように沈痛な面持ちで腰を下ろした。
「なんてことだ、神よ……」
我が子の生まれた喜びも束の間、たまたま居合わせた農夫の奥さんの容態を案じているのだ。
「賢者さまも騎士さまも、勿体ない。おらんとこの問題だで、気になさらんで」
虚ろな笑みを浮かべつつ、弱々しい声でギムハットが顔を両手で覆いうなだれた。
「えぇい、ここに居合わせた以上、戦友! 案じてなにが悪い。全員生きて戻る……! それでこそ勝利だ」
「だども……。お気持ちは嬉しいだが」
確かに、今俺たちに出来ることはない。
中で懸命に治療しているスタッフの健闘を祈るしかないのだ。それに俺の子は大丈夫なのか。マニュフェルノは辛い想いをして、頑張っている最中なのに。
そもそも、ちゃんとした子供が生まれてくるのか?
騎士と農夫はすくなくとも子供は無事で元気だ。
だが、俺は……。
記憶こそ失いつつあるが、異世界から転移し、再構成された肉体を持つ俺。スライムを操る魔力を持つ魔法使い。
妻のマニュフェルノは、治癒と腐朽という二つの相反する――生体細胞を活性化するという意味では同じ――魔力を有する魔女だ。
二人の間に生まれる子は、いったいどんな魔力を宿すのだろう?
いや、あるいはごく普通の子が生まれるのか。
数年間、俺たちには子供ができなかった。マニュフェルノとはそれなりに、あれやこれやしたのにもかかわらず。
世界樹の街で環境を変え、そしてようやく授かった子供なのだ。
まさか、玉のようなスライムが生まれて来る……なんて事はなかろうが。ぶるぶると頭をふる。
『賢者ググレカス……!』
不意に、魔法通信が開いた。魔法用医療道具に影響しない、ごく低出力の魔力波動。妖精メティウスからの合図だ。
「きた……!」
――もにゃぁ、ひにゃぁ……。
と弱々しい声が聞こえてきた。
スタッフが慌ただしく動き回る様子が伝わってきた。
「ぬっ? 中の様子が……赤子の声だ」
「生まれただか……? 声が……」
小さい。
泣き声が遠い。
くそっ、メティウス。中の様子を教えてくれ。
だが、影響を考慮して俺は一切の魔法を断っている。生まれたことは間違いない。
だが、声が弱々しくか細い。そして徐々に赤子の声も聞こえなくなった。
「どうした!?」
マニュフェルノは無事なのか。叫びそうになるのをこらえる。焦りと戸惑い、時間ばかりが過ぎてゆく。
中から看護師が出てくる気配もない。
いったい中で何がおこっている!?
俺は立ち上がり分娩室の前で立ち尽くした。
「賢者どの……」
「賢者さま……」
「だ、大丈夫。ありがとう」
こんなとき支えてくれる戦友がいてくれたことが、本当に心強かった。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
ドアが開いた。分娩室の中から白衣を着た、年配の女性医術師が出てきた。女性看護師長だと名乗る。
「ググレカスさん」
「は、はひっ」
直立不動の姿勢で、ごくりと息を飲む。
「元気な、男の子と女の子ですよ。お二人、姉弟ですわ」
「ふっ、ふたご!?」
「へその緒が絡まっていて危なかったのですが。なんとか、無事に生まれました。呼吸も問題ありません」
「おぉおおおっ! やりましたな賢者どの!」
「すごいだ、よかっただ!」
「ありがとう、ありがとう……嬉しい」
更に女性看護師長は言った。
「それにギムハットさん。奥さまの容態も安定しました。ググレカスさんの奥さま、マニュフェルノさまが治癒の魔法を……稀有な、本当の治癒魔法を使って、傷を癒してくださったのです」
「マニュが……!?」
治療術師では癒せないほどの重症。それを癒せるのは確かにマニュフェルノの「真の治癒魔法」しかないだろう。だが、そんなことが可能なのか。
「ほんとうに、本当にがんばりましたのよ、賢者ググレカス! マニュさまは」
妖精メティウスが飛んできて俺にダイブした。泣きじゃくりながら顔をすりつける。
可憐な光輝く妖精の姿に騎士と農夫が驚く。
「メティ、マニュの様子は!?」
「となりの分娩台の奥さまの、傷を癒されたところで気を失われましたわ……。でも命に別状はありません」
「よかった……」
安堵。これほどの安堵があるだろうか。
そして、とてつもない喜びの感情が溢れだしてきた。
生まれた。
俺たちの子が、二人も……!
<つづく>




