賢者と農夫と騎士
六の月になり短い雨季がやってきた。
程よい雨は大地を潤し、麦を大きく育てる。やがて青葉の間から出穂する頃になると、雨季は終わりを告げる。
次にやってくるのは爽やかな初夏だ。麦の穂は色づき、王都メタノシュタットはまるで金色の海に浮かぶ島のようになる。
大小様々な農村や集落では一斉に麦の刈り入れを迎える。つまり農夫はここからとても忙しくなる。
だが、目の前にいる彼は、それどころではなさそうだ。
フィノボッチ村で農夫をしているという彼――ギムハットは、自分の麦畑を従姉妹らにまかせ、この王都へとやってきたという。
「あぁ、賢者さま、大丈夫だべか」
「心配ない、うん、大丈夫」
消毒薬の臭いが漂う、長い廊下の突き当り。
壁際に置かれた長椅子に、俺たちは並んで腰掛けていた。
ここは、王都中心部。数年前に建てられたばかりの、『王立戦勝記念平和母子健康周産期医院』という長ったらしい名前の、いわゆる産院である。
夕方からマニュフェルノが産気づき、分娩室で奮闘中。
家ではリオラとプラム、ヘムペローザが留守番中。あまり大勢で産院に押しかけても迷惑だからだ。
夕方、陣痛に顔を歪めはじめたマニュフェルノに、リオラもプラムもヘムペローザも大慌て。事前の打ち合わせも虚しく、右往左往してしまった。
「マ、マニュ姉ぇがー」
「ヘムペロちゃん、お湯!」
「えっ、ここで産むのかにょ!?」
「いやいや、まて産院にいくんだよ!」
「大丈夫っスよ、まだ時間はあるっス」
そこへスピアルノが買い物から帰ってきた。落ち着き払った様子で、ぴしゃり。そしてテキパキと入院準備の指示を出してくれた。
流石は四児の母。産婆と共同で赤子を産み落としただけの事はある。
危うく自宅出産するところだったが、ここは天下のメタノシュタット中心部。
王都に戻っていたのは幸いだった。城の裏手、三日月池の畔から普通の馬車でわずか十五分、最先端の産院に運び込めた、というわけだ。
「こげな、新しく出来たばかりの産院より、村の産婆さんのほうがよかったべか……」
革張りの長椅子に腰掛けたギムハットが、祈るように両手を合わせながら不安を口にする。不安なのは俺も同じ。
ギムハットの奥さんも同じく分娩室の中で頑張っている。
たまたま産院で居合わせたのだが、同郷ということもあり意気投合。二人で待つことになった。
ちなみに分娩室は男子禁制、立入禁止。
分娩室の前でこうして、オロオロと待つしか無いのだ。
異世界では一緒に分娩室に男性が入り、旦那のほうが失神……なんて話も聞いたことがあるような無いような。
ちなみに、妖精メティウスは特別に付き添いで中にいる。
三十メル以内なら魔力が途切れることはない。流石に分娩室内の映像と音声はメティウスが遮断。流石の俺も今ばかりは普通の旦那としてマニュフェルノと子供の無事を祈りつつ、待つしかない。
「さ……産婆さんでは厳しかろう。逆子……なのだろう?」
「んだども、村長のところのセシリー様も逆子だったと。それでもああしてお元気にお生まれになっただ」
「なんと、セシリーさんが逆子だったとは」
ん? セシリーさんが逆子だったのか、まさか産んだ子供がそうだったのか。少々混乱するが、今はそれどころではない。
フィノボッチ村は思い出深い村だ。
魔王大戦の褒美として頂戴した『賢者の館』が建てられた場所だった。
「だった」というのは途中から賢者の館は魔法で歩き回り、空に浮かび、王都や世界中の空を飛び回ったのでその場所には居ないからだ。
一夜にして館が消え、当時のフィノボッチ村の人々は腰を抜かしたという。
今でも飛び立った後には大穴が空き、周囲には珍種の「館スライム」が勝手に繁殖。人懐っこい館スライムをひと目見ようと観光客も来るらしい。
いまや「元・賢者の館」の跡地として、フィノボッチ村のちょっとした観光名所になっているのだとか。
ちなみに、元・賢者の館の敷地の横には小さな小屋が建っている。そこには更生したカミラとカルバ姉弟――世界樹を神格化し崇めていた宗教団体のお神輿だった――が、村の一員として働きながら暮らしている。
おっと少々回想しすぎたようだ。
「ギムハットさん、この産院は最先端の設備が整っている。人体透過魔法装置に、超音波診断魔法装置……。治癒術士資格のある看護師も大勢いる。安心だよ」
治癒術士とは傷口の再生促進、痛みの暖和ケアなどの魔法術式を使える魔術師の総称だ。マニュフェルノの稀有な『治癒魔法』とは異なるが、同様の効果が得られる。
「難しくて逆に不安に……」
「そ、それは困ったな」
「だども、賢者様がおっしゃるなら、間違いはねぇだ」
「そうだとも」
互いに励まし合うように苦笑する。
中からは苦し気な声や、励ます声が聞こえてくる。
俺たちの奥さん以外にも同時に生まれそうな妊婦さんもいるようだ。
スヌーヴェル姫殿下の発案で出来たばかりの産院を見回す。清潔で明るく、明瞭会計、低価格。
王都最大の最先端の産院は、誰でも等しく診療をうけ出産をサポートする。貴族も平民も農夫も関係ない。亜人や半獣人も専門のスタッフがいる。
運営資金は、理念と慈善の志に賛同した貴族たちの寄付で賄われているという。
深い慈愛と先見の明に、心より尊敬の念を抱くばかりだ。
と、廊下の向こうから何やら仰々しい音を立てながら、男がやってきた。
案内役の看護師よりもずっと大きな男は、ひと目で騎士だとわかった。青い貴族服に身を包み、金髪をきっちりと整えた長身の男。
腰に下げた装飾の施されたサーベルが、高い身分を物語っている。
「ローザ! 無事か!」
「お静かに、ここは産院です!」
騎士は廊下で大声をはりあげた。産院だというのにお構いなしだ。中年の看護師がたまらず注意する。
「騎士に命令する気か、いいからドクターを呼べ。状況を報告させろ」
「出来かねます。産科専門医は皆様、出産の対応をしておられます。今日は同時に三組が分娩室にはいられまして」
「なにぃ? 平民の出産など産婆にでもまかせればよかろう」
隣でギムハットが身を固くするのがわかった。
ちょっと俺もカチンとくる。
みたところ相当に身分の高い騎士だ。金と銀の装身具が見え隠れする。
察するに奥方様が分娩室の中にいるのだろう。
普段は冷静沈着、礼儀正しい王国の騎士様なのだろう。しかし、ご自分の奥方様が出産となり、いささか周りが見えていないようだ。
そして騎士の顔には見覚えがあった。
王国の誇る『神託の十六騎士団』のひとり――
「おや? その凛々しい声は、ヴィルシュタイン騎士団長殿ではございませんか」
「む、なっ……? ググレカス殿!?」
きょとん、と騎士様の動きが止まる。
「いや、村の産婆が孫の誕生日パーティの最中でね。こちらの産院でお世話になっているんですよ。うちの妻が」
分娩室の方にひらりと手を向けて一礼。
案内役の中年看護師が、くすりと笑う。
「そ、そうでしたか。これは……奇遇な、いや、お互いに大変な一大事で」
細い眉を上げ下げし、ヴィルシュタイン卿は顔を赤くしつつ、ひきつった笑みをうかべた。
「まぁここで待ちましょう。幸い、長椅子は三人がけだ」
「賢者様は騎士様相手でも、同じ調子なんだなぁ」
となりで農夫ギムハットは感心した様子でつぶやいた。
「道化の特権だからね」
<つづく>




