賢者の館で朝食を
◇
実体を持たない魔法使い、ゼロ・リモーティア・エンクロードの集団感染事件から、数日が過ぎた。
世間には「元勇者エルゴノートとスヌーヴェル姫殿下の婚姻騒動」のほうがスキャンダラスに報じられる結果となったが、それでいい。魔法使いたちの暗闘など、人知れず行われるべきものだから。
「とりあえず、仮想魔法使い騒動は一段落ということかな」
ここは賢者の館。
爽やかな朝の光が差し込む書斎で、朝食の準備ができるまでの一時を過ごしている。階下からリオラたちの楽しげな様子が伝わってくる。
「城内の感染者はすべて、新型の対呪詛駆除術式で回復しました。もう安心ですわ」
妖精メティウスの言うように、城内の騒ぎは丸一日がかりで終息することができた。
地下の談話室は、時代錯誤な魔女狩りならぬ「ゼロ狩り」で大騒ぎになった。幸いだったのは城内がエルゴノートとスヌーヴェル姫殿下の婚姻騒動でお祭り騒ぎだったことだ。
その喧騒とドタバタに紛れ、魔法使いたちにとっての恥ずべき失態は注目されることはなかった。
「だが油断は禁物だ。ゼロは掴み所の無い悪霊のような存在だ。いつまた感染者がでるかわからん。ヤツは魔法使いの心の闇にそっと忍び寄り、宿主にしてしまうのだからな」
「まぁ怖い。賢者ググレカスもお気をつけあそばせ」
「はは、仕込み呪詛など、そんな間抜けな罠にかかるものか」
などと言いながら、魔術の本場プルゥーシアから取り寄せたばかりの秘蔵の魔導書を開く。見慣れない魔術式と魔法円を眺めると、目の奥がチリチリしてきたが、このぐらいはいつものこと。メガネに仕掛けた強固な防御術式と、賢者の結界で無害化処理を施して、内容を読み砕く。
例えるなら河豚の内臓を避けて喰らうような、禁断の美味がここにはある。
まぁ、並みの魔法使いにはお勧めしないが。
ところで魔法使いたちの間で流行した「ゼロの集団感染」よりも、目下王国内を揺るがしているのは婚姻騒動だ。
「――カンリューン公国の失恋王子ことボダーン卿の別荘が炎上、落雷か隕石か? 恋も資産も防弾に失敗……って、酷い記事だなぁ」
大手報道業者が毎日発行する魔法新聞には、今朝になってゴシップ記事が踊っていた。
隣国の王子、スヌーヴェル姫の元見合い相手だが、評判はそもそも良くなかったらしい。世間一般もカンリューンの公太子との婚姻には反対の世論があり、どことなく揶揄するような論調になっている。
「ずいぶん扱いも小さいですわ」
妖精メティウスが机の上に広げた新聞記事の上を、軽やかに散歩している。朝の光が差し込む窓辺。細くて小さな、人形のような四肢が跳ね、きらきらと美しい金髪が舞う。
「人間的な魅力、配慮に欠けていたのさ。姫殿下へのプレゼントに粗悪品まで混じっていたわけだし」
視線を転じると、メタノシュタット王城の裏手が見えた。三日月池のほとりに広がる森は、まだ朝もやに煙っている。
神威鉄杭砲に関しては一切の記述が無い。報復攻撃の件は国を挙げて隠蔽する気らしい。カンリューン公国側も何も言ってこないところを見ると、ボダーンは「梯子を外された」のかもしれない。
「ボダーンさまはご健在のようですわね」
「黒幕にしては実に中身の無い、スッカスカの男だったな」
拍子抜けするほど安い男だった。あれがカンリューンを代表する大貴族では、国の行く末が危うい。
しかし、俺たちは出し抜かれたのだ。秘かに邪な計画を遂行する根回しの巧妙さ、手際の良さは一目置くに値する。
当初カンリューン公国が一連の事件に噛んでいるとは、考えもしなかった。実際にゼロ・リモーティア・エンクロードを製造したのはプルゥーシア皇国であり、俺もプルゥーシアを疑っていた。だが、こそこそと裏で糸を引き、メタノシュタット王城に入り込もうとしたボダーン卿は、思わぬところで、馬脚を現すことになった。
悪知恵と奸計に長けたボダーン卿も、流石にエルゴノートの突拍子もない行動までは予測できなかったのだろう。
「今朝も一面のトップがエルゴノートさまとスヌーヴェル姫殿下ですわ。えぇと、お二人は神聖教会で伝統的な婚姻の儀を行うご予定であり……ですって。そりゃそうでしょう」
「話題には事欠かないし、しばらくブームは続きそうだなぁ」
世間はエルゴノートとスヌーヴェル姫殿下の婚姻に関する話題でもちきりだ。
結婚指輪をどうするだの、ドレスはどこに発注しただの、馬車は賢者ググレカスがカボチャで作るだの……。世紀のロイヤルウェディングに国中が浮かれている。
その裏では、メタノシュタット王城を揺るがす二つの事件が並行して起こっていたことは知られていない。
ひとつはボダーン卿の企みにより、王家内で疑心暗鬼が渦巻き、王宮が分断されたことだ。国王陛下と王妃は心の病を発症。寒々しい夫と妻の別離、父と娘の絆が分断された。
だが、元勇者エルゴノートが、父親である国王陛下の元に殴り込み、正気を取り戻させスヌーヴェル姫殿下を奪還。婚姻を成し得た、というものだ。
絶対王政の権力の前では、例え娘であろうとも「女性の権利」は無下にされてしまいがちだ。国王陛下は、スヌーヴェル姫殿下を意に沿わぬという理由で幽閉した。少なくとも世間的にはそう見られていた。
そこへ颯爽と乗り込んだのがエルゴノートだ。
下手をすれば――しなくても普通は――極刑だが、我が身の危険を省みず、己の愛と想いを貫いた。
これは世の女性たちを狂喜乱舞させた。
魔王大戦で世界を救った勇者のブームはとうに去っていたが、再び脚光を浴びた。物わかりの悪い頑固親父を殴り倒し、囚われの姫を救う。
これに喜ばぬ乙女たちがいるだろうか。
一度は互いに惹かれ合い、恋仲になった。やがて運命の荒波にのまれ、二人は幾度となくすれ違った。魔王大戦から長い年月が流れ、二人はついに結ばれる運びになったのだから。
「書籍化に魔法映画化、いろいろ盛り上がり関連グッズも……」
さて。
それはそうと、賢者の館も気がつけば賑やかになった。
朝から階下のリビングダイニングが騒がしい。
朝食の準備ができたようだ。
階下に降りていくと、焼きたてパンのよい香りと、カラス豆のお茶の香ばしい香りが満たされていた。
リビングダイニングの扉を開ける。
眩しい光、窓辺で揺れるレースのカーテン。
そして、賑やかな声と笑顔があった。
「久しぶりに全員集合だ」
「ほんとうに、壮観ですわね」
妖精メティウスの言うとおり。リビングダイニングには家族たちが集まっていた。
「朝食。できたわよ」
「おはようマニュ、もっとゆっくり寝ていていいのに」
「習慣。そうもいかないの」
大きなお腹を抱えたマニュフェルノは、一緒に寝ていたのに俺よりも少し早く起きて身支度を終えていた。銀色の髪をいつものゆるふわに編み込んで、椅子に腰かけている。
朝食の準備をするのに、人手には事欠かない。
「あっ、ぐぅ兄ぃさま、ちょうど呼びに行こうとおもっていました」
「おはようリオラ、今朝も可愛いよ」
「はいはい、お席へどうぞ」
フライパンごと焼き終えたベーコンを手に、パタパタと忙しそうにテーブルへと向かう。栗毛の娘は成長し、メイド長としての風格と余裕が出てきた。
「カリカリベーコン増し増しのヒト、手をあげて」
亜人の娘、ミリンコは妹分として仲良く働いている。相変わらず俺の行動を監視する「有能なスパイ」だと言って憚らない。
「私はカリカリ増し増しでー」
「ワシは柔らかいほうがいいにょ」
プラムもプルゥーシア方面森林探索遠征から戻り、ヘムペローザとのコンビがひさしぶりに復活した。
今は台所でチーズの塊を切り分け、皿にのせる作業をこなしている。
「特製サラダも一丁上がりだ」
頭ひとつ大柄な女性がいるが、ファリアだ。
彼女も見合いに失敗し、ルーデンスから傷心旅行という名目で、プラムとアルベリーナの一行についてきたらしい。
ちなみに一緒に来たイオラは、リオラとの再会を喜んだ後、フィノボッチ村へといっている。昨夜は村長宅――以前世話になったセシリーさん――に泊まったらしいが、大丈夫だろうか。
「ファリア姉ぇのサラダ美味しそうですねー。私もいただきまーす」
「たんとお食べ。茹でた薄切りの鶏のササミ肉に、爽やかな果実酢のドレッシング。これがルーデンス伝統のサラダだ」
ファリアと新婚さんになれば、毎朝このサラダが食べられるのか。って、おい。
「いやいや、待つにょ!? 野菜は? フルーツは?」
代わりに愛弟子のヘムペロがツッコミをいれてくれた。
「サラダに葉物などは必要ない」
「あるにょ! むしろ主役じゃ」
「はっはっは」
何やら騒がしい朝だが、これが懐かしくも落ち着く、わが賢者の館の光景だ。
「さぁ、みんなで席について。朝飯を食べようじゃないか」
「「「はーい」」」
朝飯を食べたらどうしようか。
一日のんびりステイホーム。家にいて本を読み耽るのもいい。たまの休日だ、フィノボッチ村に足を伸ばしピクニックをしてもいい。
窓の外から見える風景は、輝きに満ちていた。様々な色が混じりあい、世界をかたちづくっている。
「そうだ、あとで話を聞かせてくれないか?」
「おー?」
「ワシらのかにょ?」
プラムの経験した冒険、ヘムペローザの冒険の話を。
彼女たちが見た森の色、砂の色、星の色の話を。
<章完結>
【作者より】
長い章でしたが、お付き合い頂きまして感謝です。
ひとまずここで章は完結となります。
さて、次章は――――
気軽な展開の章をいくつか考えています。
暫しお待ちくださいね★
お知らせ(宣伝w)
平行連載中の『未来賢者カレルレン』、
ググレカスと同じ世界観で千年後の物語です。
宇宙人の侵略からはじまる壮大な超時空SF、
完結直前ですが、よろしければどうぞ★




