対呪詛ワクチンと副作用
実体を持たない仮想の魔法使い。ゼロ・リモーティア・エンクロード。
元はプルゥーシア皇国のエリート集団、魔法聖者連たちの手による実験体だ。
ゼロは悪霊のように魔法使いに憑依し、能力を飛躍的に高める効果がある。
本来なら使えないはずの魔法を使えるようになるが、憑依された本人は人格が崩壊。行動に問題が生じ、その間の記憶は曖昧になる。最悪の副作用が生じるわけだ。
例えば――目の前の談話室で暴れている魔女のように。
『すべてを燃やしつくすゥウッ!』
魔女が両手を組み合わせ、まるで赤い花束のような魔法を励起する。テーブルの上に立ち、狂気に彩られた表情が炎で赤く浮かび上がる。
「やめろリゼリア! 気をしっかり保て!」
「どうしたの、やめて!」
「っていうかリゼリアは、回復術が専門だったんじゃ!?」
仲間たちが叫ぶ声にも耳を貸さない。十メルテ四方ほどしかない狭い室内には4、5人の魔法使いが残っていた。
こんな状況で上級の火炎爆裂系魔法など放たれたら大惨事だ。
「賢者ググレカス! 逆浸透型自律駆動術式の準備はできておりますわ!」
「その前に、皆を守らねば!」
俺は談話室の中に飛び込んだ。火炎魔法の励起を妨害するのは間に合わない。
『焦熱砲火ッ!』
真っ赤な炎の塊が放たれた。一撃で魔獣を仕留める威力を持つ軍用の火炎魔法。ゼロに感染した誰かの知恵が流出したものか。
「賢者の……結界ッ!」
超駆動――多重展開!
魔法力を一気呵成に注ぎ込み、賢者の結界を複数同時展開。彼らの目前に光の壁が出現する。
「これは!?」
「賢者様の結界だわ!」
中には用心深く防御結界を展開していた者もいたが、殺傷力の高い軍用魔法までは防げないだろう。
「更にッ!」
焦熱砲火が結界にぶつかり爆発を起こす前に、俺はもうひと工夫施す。賢者の結界を湾曲させながら変形させ、天井の排気口に向けて衝撃波と熱が向かうような経路を形成する。
激しい爆発が起きたが、ドシュンッ……! と間の抜けた音を発しながら炎の渦が排気口に向かっていき、消えた。
「お、おおっ!?」
「火炎魔法を……かき消した!」
「ふぅ、上手くいったようだ」
城の外側にある排気口から、炎が噴き出したかもしれないが、婚姻を祝う派手な演出とでも思われるだろう。
『オノレ! ナラバ氷結地獄ヲ……!』
「そうはさせん」
間髪をおかず、俺はリセリアと呼ばれた魔女の元に駆け寄った。
次弾を放つ前に腕を掴み、タイプⅢの逆浸透型自律駆動術式を流し込む。
『ギャッ』
電撃でも食らったかのように身体を仰け反らせると、全身の力が抜ける。
ガックリと倒れそうになったリゼリアを俺は抱え、そっと机の上に寝かせた。
「賢者様……!」
「もう大丈夫、阻害術式を流し込んだ」
ゼロ・リモーティア・エンクロードは魔法通信経由して感染し、肉体と精神を操る。その秘匿暗号化された魔法通信を司る術式部分を阻害してしまえば、奴は機能を停止する。
つまり外部からの魔法干渉は受け付けない状況にする。これでゼロの端末、器としての機能を失ったということだ。
「推測したとおり、ゼロに効果がありましたわね」
「あぁ、効果はあったようだ」
メティウスもホッとした様子だ。
様々な対・呪詛戦闘を想定して調合しておいた逆浸透型自律駆動術式が役に立ったようだ。これは悪質な呪詛に対して効果的なワクチンに似た働きをする。
呪詛にかかり悪意のある術式に汚染された対象者を、呪縛から開放することができる。
「リゼリア!」
「しっかりしろ……!」
仲間たちが駆け寄りをかけると、明るい茶色の髪をした魔女は目を覚ました。
「あたし……何を」
鳶色の瞳が瞬く。正気を取り戻したようだ。
「賢者様が助けてくださったの」
「まったく、心配させやがって」
「ごめん……なさい。あたし……図書館で近衛魔法使いのメリハメールさまから、『無限の力を得られる』って、魔導書を奨められて読んで……」
「なるほど、十分理解した」
サロンの魔女への感染経路は国王陛下の近衛魔法使い、メリハメール。
さらに元を辿れば、カンリューンのボダーン大公殿下が国内に持ち込んだ品々が原因だ。何人か他にも暴れている魔法使いがいるようだが、何らかの形で接触した者たちだろう。
俺ひとりでは手数が足りない。というか一件ずつ対応していくのは面倒くさい。
「早速だが、少し頼まれてくれないか」
室内に居た魔法使いと魔女たちは、見たところ中級クラスの力を持つ主流派達。頼りになりそうだ。
サロンの棚にあった親指の先ほどの水晶を、ありったけ拝借する。
「質の良い、透明無色の物がいい」
魔法使いたちが注目する中、俺はテーブルの上に山積みにした水晶に手を向けた。無数の魔力糸を放射し『タイプⅢの逆浸透型自律駆動術式』を染み込ませた。
「賢者様、これは……?」
「ワクチンになる魔法のアイテムだ。即席だから効果は1つで一回。さっきのようにゼロ・リモーティア・エンクロードに感染し、正気を無くした魔法使いに押し当てればいい」
リゼリアもよろよろと立ち上がる。まだ身体を乗っ取られたダメージがあるのだろう。
仕事を頼むのは少々危険を伴うが、彼らなら大丈夫だろう。
「わかりました、賢者様!」
「お任せください。魔法使いのサロンを守ってみせます」
「あぁ、頼んだよ。手に負えない場合はすぐに呼んでくれ。適当な魔法通信で呼びかければ、聞こえるから」
城内と談話室内の魔法通信は緊急時につき、全開放。聞こえは悪いが盗聴モードで開放している。
魔法使いたちはワクチンを染み込ませた水晶を手に、早速仕事に取りかかった。
と、神威鉄杭砲がカンリューン領内のボダーン大公殿下の別荘に着弾、完全に破壊したとの情報が入った。
「あっち決着したようだな」
これに懲りて暫く、メタノシュタットにちょっかいを出すなどとは思わないだろう。
「死傷者が出ていなければよいですが」
「王政府間で事前に緊急通信が行われたからな。民間人は避難しただろうさ」
カンリューンも事前通知を受けながら、民間人を見殺しにするわけにはいかない。
「おや?」
気がつくと魔女リゼリアだけが、まだ室内に留まっている。
「……賢者様」
「体調が良くないなら無理をしないほうがいい。慣れない魔法を無理やり発動したんだ。反動でダメージが残っているかもしれない」
「はい……っ」
どうも様子がおかしい。
瞳に熱っぽい、うっとりとした色を浮かべている。
「賢者ググレカス。リゼリア様の瞳、まるで恋する乙女のような」
妖精メティウスが耳元で囁く。
「冗談はよせよ。助けたから惚れられたとか、んなうまい話があるか」
とはいえ、彼女の瞳にはハートが浮かんでいるようにも視える。
リゼリアという魔女は見たところ若いが、真面目そうで惚れっぽい感じにも見えないが……。
「……あっ」
「どうなさいました、賢者ググレカス」
思い出した。
タイプⅢの逆浸透型自律駆動術式は、呪詛に染まった精神を浄化する機能もある。攻撃的な精神状態を鎮めるための鎮静剤の役目も持たせたのだ。
「んー……。警戒心と敵愾心を抑制する術式が、効きすぎたかな?」
「それって、どのようなものですの?」
「戦闘時の使用を考慮しているからな。目の前の俺に敵対行動を慎むようになる。つまり、友好的な気持ちになるわけで、強いて言えば……好きになるとかなんというか」
「賢者ググレカス、やっていることがゼロと同じような気がいたしますが!?」
正面に浮かびながら、ジト目で妖精が詰め寄ってくる。
思わず目を逸らす俺。
「まぁ薬に副作用はつきものだからな」
「もう、後で知りませんわよ」
城内のゼロ・リモーティアも一掃。おまけに敵対する人間が減り、友好的に。何も誰も困らない。平和になるのは良いことだ。うん。
<つづく>




