カンリューン公国の黒幕
「け、賢者……ググレカス!」
「そう驚くな。玉座の間から逃げ出した者は、漏れなく追跡させてもらった。逃げられるはずもなかろう?」
「う、うぅ」
他にも三人ほど逃げ出した宮廷魔法使いがいたが、居場所は割れている。隠蔽型魔力糸で目印を付けておいたので、追跡は容易だった。
この男を優先的に追跡した理由は明確だ。城内から外部へ、許可されていない魔法通信を行った痕跡があった小部屋に向かったからだ。
名前は確か――ロングガット。以前、城内の図書館周辺に存在した『スーヴニィル型隔離空間』の調査に協力してくれた有能な魔法使いだ。
「残念だよ。同じ穴蔵の仲間だと思っていたのだが」
魔法使いの談話室、通称城の穴蔵でも見かけていた。宮廷の魔法使いたちとはいろいろあったが、それでも魔法使いの仲間として奇妙な連帯感があった。
なのに裏切り者が出るとは。余程、耳障りの良い言葉で懐柔されたか、魔法使いとして魅力的な報酬を提示されたのか。
俺は王国軍の特務情報機関の情報にもアクセスできる。そこには城内で蠢く、怪しげな反体制的な連中の動向まで逐一記録されていた。実際、外部との連絡を取っているメンツに、ロングガットの名前もあった。例の国王陛下の側近のメリハメールもあったところをみると情報の精度は高い。内通者としては黒だ。
まぁ何故か、最も忠義に厚い俺の名前もあったのはご愛嬌。それだけ連中は職務に忠実で有能だ、ということだ。
「これは……その」
「あっと、言い訳は要らん。ノーサンキューだ。より強い魔力が欲しいとか、名誉や地位が欲しいとか。おおかたそんなところだろ? わかる、わかる」
「お、お前に何がわかるっ!?」
何やら半ギレで叫んだが、図星だったか。
「そこに座っていろ、じきに衛兵が来る」
相手にする価値はない。魔法使いロングガットは椅子から床に転がり落ち、青ざめた様子で腰を抜かしている、
既に魔法通信でレントミアと連携をとり、他の容疑者の確保に動いている。城内の上階はお祭り騒ぎだが、下層の魔法使いたちの巣窟はこれから大騒ぎになるだろう。
机の上にあった旧式の水晶玉が俺の足元に転がってきたので、そっと拾い上げ透明な石の中を覗き込む。
『――貴殿がググレカスか、高名なメタノシュタットの賢者とこうして直接対面できるとは』
水晶玉に映っていた男は、余裕綽々といった風だった。逃げも隠れもしない様子から、何か策を持ち合わせているのだと直感する。
男は、薄い水色の瞳を細め、幅の広い唇の端を不敵に持ち上げた。髪をきっちりと整えた優男は、三十路にさしかかった頃だろうか。自信家らしく、あからさまに他人を見下した視線をむけてくる。いわゆる典型的な貴族然とした、嫌な印象の男だった。
こんな奴が姫殿下の見合い相手とは。スヌーヴェル姫の心中も察して余りある。
少々どころかいろいろ難はあるが、エルゴノートのほうが圧倒的に人間的魅力に溢れている。
「こちらこそ存じ上げております、ボダーン大公殿下。お目にかかれて光栄の極み。カンリューン公国三大公爵家の一角、オークヴォ家の現当主にしてスヌーヴェル姫殿下の、元見合いの相手でございますし」
検索魔法ですぐに素性など知れる。高名な貴族なら尚更だ。文献を調べるまでもなく、溢れんばかりの富と名声に満ち溢れた、カンリューンでの暮らしぶりが窺える。
『――元、だと?』
眉間にシワを寄せ、しかし笑みを絶やさずに聞き返してきた。決定的な一言が突き刺さったようだ。
「えぇ、つい先程、此度の見合い話は無かったことに……と、コーティルト国王陛下が決断されました故。のちほど正式な書面、親書をお送りするとのこと。こうして先にお耳に入れておけば、心の傷も浅かろうと思いまして、えぇ」
丁寧な口調で嫌味を込めて伝えておく。遅かれ早かれ知れることだ。
『――そうか。すべて水泡に帰した、というわけか』
「はい。それはもう。何処かの誰かが、こそこそと、実に用意周到に準備した姑息な罠も、企みも。すべて白日の下に晒されました故」
俺は水晶玉に映る男に向け、恭しく礼をする。これが最後通告、宣戦布告だ。
ボダーン大公殿下。
今回の事件を裏から操っていた黒幕で間違いない。
表向きは友好国として、古き盟友としてのカンリューン公国。だが、その裏でメタノシュタットを陥れようと画策していたのだ。
この男の身辺を調べればいくらでも証拠は出てくる。国としての繁栄はすべて、己の見栄と野心の実現の道具。欲にまみれたカンリューン公国の次期国王候補の一人。蓋を開けてみれば興味の湧かない、実につまらなそうな男だ。
プルゥーシアで開発された仮想魔法使い――ゼロ・リモーティア・エンクロードを利用し、我が国の魔法使いと戦わせる。あたかもプルゥーシアが黒幕のように見せかける用意周到さで。
育てた仮想魔法使いを次に、メタノシュタット城内に放つ。それによる魔法使いの離反、混乱、王族の疑心暗鬼を煽り、憎悪で満たそうとした。
そして、自分は完全に安全な場所から高みの見物だ。
許すまじはぬけしゃしゃとスヌーヴェル姫殿下と見合いを行い、堂々とメタノシュタット城内に入り込んだことだ。
おそらく、その機に乗じて部下の魔法使いに魔導書や魔鏡など、いろいろな「仕込み」をさせていたのだろう。
メタノシュタットの王家を分断させ、スヌーヴェル姫と婚姻を結べば、奴の計画は完遂される。
最終的にはメタノシュタット王国を、戦わずして乗っ取る算段だったのだろう。
唸りたくなるほどに、卑劣なりカンリューン。
盟友の皮を被った最悪の敵がすぐ隣国にあった不幸を嘆いても仕方ない。
今はこの男を殴り付ける方法を探るとしよう。
『――君は誤解をしている。私は貴国との永遠の友好を、共存共栄を望んでいる。道化師風情には理解できぬかもしれないが、大局的見地で考えているのだよ』
「お言葉ですが、大公殿下。国家間には永遠の友情も敵もございません。あるのは純粋な国益のみ、かと」
『――知った風な口を』
「失敬、私としたことが」
『――貴様のような得体の知れぬ魔術師風情、スヌーヴェル姫と婚姻を交わした暁には、真っ先に絞首台に送り込んでやったものを。実に惜しいことをした』
「それは残念でございましたな。大公殿下。覆水盆に返らず。おっと、これは我が国の古い格言で御座いまして」
『――その諺は我が国が起源だ!』
実に安い挑発に乗る男だ。程度が知れる。
こうして時間をかければかけるほど、通信先――居場所の座標が特定されることが分からないのか。それとも此方が何も出来ないと、高を括っているのか。
「しかし残念で御座います。貴公との婚姻は、国益にそぐわないと判断されました。まぁ、勇者エルゴノートの愛に負けたのですから仕方ありますまい」
『――愛……愛だと!?』
コーティルト国王陛下とスヌーヴェル姫殿下の確執は、確かに存在した。それは父と年頃の娘があたかもコミュニケーションがとれずに仲違いするような。
だが、すべて潰えた。
エルゴノートの常識を超えた馬鹿げた大暴れのお陰で、その呪縛も罠も破壊された。今やメタノシュタット王国の中枢は、再び強固な絆で結ばれた。すなわち、家族の絆でだ。
『――どこまでも目障りな男よ、賢者……ググレカス!』
冷静さを装っていた男の瞳に、怒りの炎が揺れる。
黒幕がこうして姿も隠さず、目の前に出てきたということは、勝算があってのこと。おそらくは次の手段。実力行使でせめて一矢報いる気だろう。
「奇遇でございますなボダーン大公殿下。それで何を」
『――やれ!』
水晶玉の向こうで大公殿下が吠えた。部下に何か命じたのだろう。背後で手下が魔力を励起した気配が伝わってきた。
「は、はイイイッ……ハイィイイ! わ……我が名はァアアッ! ゼロ・リモーティア・エンクロードッ!」
ドウンッ! と背後で床板を蹴る音がした。振り返るとロングガットの姿がない。
――何っ!?
「上か!」
見上げると、天井に黒い影がいた。四肢を虫のように曲げた魔法使いがへばりついている。首だけをぐるりと不自然に回し、虚ろな瞳をこちらに向ける。
「完全に意識と肉体を奪われているのか!」
「ウリィ……はァア! ゼェエエロ・リモォオオーティア・エンクロォオオオオドォオ!」
戦術情報表示が眼前に浮かび、魔力反応極大化を警告する。次の瞬間、真っ赤な光線魔法を放ちながら飛びかかってきた。
賢者の結界で激しい火花が散る。一種の指向性熱魔法だが、距離が近すぎる。咄嗟の対応が遅れ、掴みかかられる。なんとか倒れずに踏みとどまるが、ここまで接近されては魔法の結界は無意味。
肉弾戦、つまり不得意な近接格闘戦となる。
「くっ! 目を覚ませロングガッ……!」
「我ガ名ハァ、ゼェロオオオデェエエエエス!」
がばっと口を開けて噛みつこうとする。もはや正気ではない。ゼロ・リモーティア・エンクロードに憑依され、完全に壊れてしまっている。
『――大公殿下、制御できません……!』
『――構わぬ奴に直接送り込め、ゼロの媒体を!』
水晶玉の向こうでボダーンとその一味が身を乗り出し叫んでいた。この狂人じみた振る舞いは、最強の仮想魔法使いとしては不完全。イレギュラーな状態なのか。
その時だった。胸ポケットの文庫本から飛び出した妖精メティウスが、勢いもそのままにパンチを食らわせた。
「賢者ググレカスから離れなさい、ましっ!」
「ゼェオッ!?」
「メティ!」
妖精はほとんど物理的な力は持たない。両腕の拳に魔力を集め、両目を同時に突き刺したのだ。
だが効果は抜群だった。蜂のひと刺しよろしく、ロングガットが絶叫。両目を押さえ後ろに仰け反った。
俺はその機を逃さず魔力強化外装を励起。
「賢者キィイック!」
「ぐはぁッ!」
華麗な回し蹴りを叩き込む。確かな手応え、いや脚応えがあった。
「実は肉弾戦もいける口でね」
魔法により神経と筋肉を制御した正確な蹴りによって、ロングガットは部屋のドアを突き破り、廊下へと転がってゆく。
外にいた魔法使いたちが何事かと集まる。だが、同じような騒ぎが起きはじめているのか、大声と魔法で争っている音が聞こえてきた。
「魔法協会内部で抗争勃発とは……少々面倒だな」
「大丈夫ですか、賢者ググレカス」
「あぁ、助かったよメティ。それより、城にいるときは出てこないんじゃなかったのかい?」
「緊急事態の時は別ですの。って、指先がぬるぬるしますわ嫌ぁ……」
両手についた眼球の汁を嫌そうに、両手を振るメティ。
「さてボダーン大公殿下、これはもう完全に、我が国に対する宣戦布告と受け取ってよろしいですな?」
『――くっ!』
<つづく>




