勇者エルゴノートのプロポーズ
「スヌーヴェル姫殿下を、私エルゴノート・リカルの妻としてお認め頂きたいのです!」
エルゴノートの力強い声が玉座の間に響いた。
迷いも躊躇いも、怖れも何もない。ただ一途な望みと願いを込めた真摯な言葉だというのは、誰の耳にも明らかだった。
「エルゴノート……!」
スヌーヴェル姫殿下は一段高くなった玉座の横で立ち尽くすと、困惑と嬉しさ混じりの表情を浮かべ口を両手の平で押さえた。
「お、おぉ……!」
「言ったにょ!」
俺とヘムペローザも興奮を抑えられず、思わず声を漏らす。
「俺の知る限り、真正面からのプロポーズは初めての事かもしれん」
「そうなのかにょ? 意外じゃのー」
「スヌーヴェル姫殿下は、魔王大戦の折に魔王軍に拉致された。それを救い出したのがエルゴノート率いる俺たちパーティだったわけだが……。二人はその後、いい雰囲気になり、成り行きでお付き合いをしていた風にはなっていたがな」
「吊り橋効果というやつかの?」
「塔の幽閉効果というべきか」
しかし直球ストレートで「結婚してくれ」と告白したことはなかったように思う。
女性には声をかけて優しくするのが礼儀、と思っている節のあるエルゴノートは、一見すると手当たりしだいに浮気を繰り返していたようにも思えた。だが一線は越えていなかった、という事を信じるしか無い。思い返してみればファリアにもマニュフェルノにもリオラにも、優しくは接したが手は出していなかったわけで……。
「実際のところ、スヌーヴェル姫殿下一筋だったわけだ」
「そうじゃないとこの場で処刑じゃろ」
それはさておき。
場に居合わせた大勢の人々の間にも動揺とざわめきが広がっていた。
しかしそれも止んだ。騎士や衛兵に大臣たち、居合わせた貴族たちに、宮廷魔法使いや王宮の侍女たちも含め、数多くの者たちは時が止まったかのように口を閉ざす。
玉座の間は水を打ったかのような静寂に包まれた。
沈黙は、期待を込めた視線となって玉座に向けられていた。
一世一代のプロポーズを、誰もが固唾を飲んで成り行きを見守っている。
皆、コーティルト国王陛下のお言葉を待っているのだ。
「コホン、エルゴノートよ。ワシへの狼藉を大目に見てやったそばから、よくもまぁぬけぬけと娘をよこせ、などと戯言を言えたものじゃな!?」
眉間に深いシワを寄せ、額にはビキビキと青筋が浮いている。先程まで肉弾戦を演じていた興奮も醒めやらぬ様子で歯ぎしりをしてみせる。
悪鬼の如き形相に、騎士や大臣の多くは震え上がり顔を背けた。それほどまでに恐ろしく迫力のある様子にもかかわらず、エルゴノートは怯むことはなかった。
「お言葉ではございますが陛下、戯言ではございませぬ。本気で申しております。私はスヌーヴェル姫を愛しております。この気持は……いくら時が経とうとも変わらぬと、気がついたのです。私の中の大切な光。それが……彼女であると」
「ちょっ……!」
バカ! とでも言いたげに、流石のスヌーヴェル姫も顔を真っ赤にして狼狽えた。あんな様子の姫殿下は見たことがない。正直、可愛らしいお姿を見てしまった。
「ガハハ! いやはや。よもや呆れ返るのを通り越し、清々しいほどの大馬鹿者めが。よくもまぁ臆面もなく正々堂々、告白できるものじゃな」
「正直に伝えたまでにございます」
「ワシの前で類い稀なる命知らず、いや。よくぞ言い切ったものよ」
コーティルト国王陛下はご自分の膝をバシンと打ち鳴らすと、力の籠った声で叫んだ。
「国王陛下……」
「うむ! 盛りは過ぎたにせよ勇者の称号は伊達ではない、というわけか。かつてその魔眼に睨まれただけで絶命すると云われた恐怖の魔王と真正面から対峙し、討ち果たしただけのことはある。誰もが成し得ぬ所業の理由が、今更ながら納得できたわ。その度胸! 怯まぬ胆力、そして、わが娘への真なる想いを……認めざるを得ぬようじゃな」
玉座よりぐっと身を乗り出し、国王陛下がエルゴノートを真正面から睨み付けた。
「では……!」
「よい。許す」
国王陛下がお認めになった。
ニイッと口の端を持ち上げて、顔面の筋肉で笑みを形作る。
「ありがとうございます!」
「お父様……!」
スヌーヴェル姫殿下が花咲くような笑みを浮かべた。仕掛けられた陰謀による疑心暗鬼、そして幽閉。悲しみに打ち沈んでいた暗い表情から解き放たれた瞬間だった。
「スヌーヴェル!」
「やっぱりエルゴノート様は私の……英雄ですわ」
二人は駆け寄って熱い抱擁を交わした。
「お、おぉおおおおおおお! おめでたい、これは一大事ですぞ!」
老大臣の一人が涙を流しながら叫び、拍手をすると、嵐のような大歓声が沸き起こった。割れんばかりの拍手と、歓迎の言葉であふれかえる。
「にょほおおお! キスをしおったにょほー」
ヘムペローザが横でぴょんぴょん跳ねる。
見ればあのレイストリアでさえ涙ぐみ、ルゥローニィも感激の涙を流していた。
「もっと早くプロポーズしていれば、こんなに何年も互いに紆余曲折せずに済んだような気もするが……」
「ググレにょはその点、素早かったのぅ。人見知りのマニュ姉ぇと速攻くっつきおってからに」
「う、うるさいそれはいいだろべつに」
「にょほほ」
エルゴノートとスヌーヴェル姫殿下は付かず離れず。互いに距離をとったり、くっついてみたり。ときには見合いをしてみたり。
随分とここまで来るのに長い時間がかかったものだ。
「結局の所、炉辺語りの通りに勇者とお姫様は結ばれる定めだったのじゃな」
「あぁ」
それは、誰もが夢見る英雄譚。
勇者は伝説の剣を持ち、悪い魔王を討ち倒した。囚われの姫君を救い出し、二人は結ばれました。そして末永く幸せにくらしましたとさ――。
王国の子供たちがこれからずっと語り継いでゆく物語が生まれた瞬間だった。
歴史的な場面に、こうして立ち会っていることに感慨を覚える。
「今はただ祝おう。二人に幸あれと」
「そうじゃのー」
俺たちもめいっぱいの拍手を送る。
「――ただし!」
玉座の間に満ちた歓喜にかき消されそうになりながら、国王陛下が声をあげた。
「父上……?」
スヌーヴェル姫殿下が不安げな眼差しを玉座に向ける。
「エルゴノートよ、父としての立場ではお前に娘を嫁にはやる。だが! 国王として貴様は王配として迎え入れる事とする。愚かな娘にバカ息子が一人増えた、と思えばいいだけのことじゃからな」
「はっ……! 謹んでお受けいたします」
「イスラヴィア自治区はこれまで通りとする。総統代理を早々に選出し職務の引き継ぎをせよ。王宮での仕事がこれから忙しくなる故にな」
「御意」
国王陛下の言葉にエルゴノートは深々と頭を垂れた。
「なるほど、王配か」
「なんじゃそれは?」
ヘムペローザの問いかけに、魔力糸を通じた音声として伝える。聞こえぬように配慮せねばならない微妙な話だからだ。
「イスラヴィア王国の復活を認めるわけではない。かといって自治区の総統に嫁に出すわけではなく、スヌーヴェル姫殿下の婿に迎え入れるという事さ。まぁ普通に婿養子と呼んでもよいかな。メタノシュタットの王位継承権は無いだろう。事実上スヌーヴェル姫殿下が次期女王になるとの宣言に近い。そしてエルゴノートはイスラヴィア総統の地位を失う。永く続いたイスラヴィア王国は、ここで完全に潰えるわけだ」
メガネの鼻緒を、指先でくいっと持ち上げる。
「なるほどのう。じゃが、いまさら誰も文句は言うまいて」
「だといいがな」
少々、唐突な話にイスラヴィア自治区の王宮ではひと悶着あるだろう。脇腹を刺されたばかりだし、更に刺されないことを祈るばかりだ。
「お父上、いえ……国王陛下。私からもひとつお願いがございます」
「なんじゃスヌーヴェル、申してみよ」
国王陛下の前に立ったスヌーヴェル姫殿下は、静かな眼差しを向けた。
「お母様のことですわ」
「……ユフーウスか」
再び周囲が静まり返った。
「星詠み離宮から開放してくださいまし」
フユーウス王妃は、半年ほど病気療養を理由に王城から遠ざけられていた。
国王陛下はある日を境に気を病み床に臥せた。
疑心暗鬼に駆られた国王陛下は乱心し、フユーウス王妃とスヌーヴェル姫殿下を「忌々しい魔女どもめ! ワシを謀るか!」と罵り、王宮から遠ざけ幽閉されたのだ。
幸いにしてエルゴノートとの肉体言語を通じた「熱き語らい」により、病魔は退散。国王陛下は正気を取り戻された。
全ては王宮に潜む魔法使いが招いた災いが原因だった。
魔鏡や魔導書を通じ、実体を持たない幽鬼の魔導士、ゼロ・リモーティア・エンクロードを王宮内に蔓延させた数名の魔法使いによる謀反だったのだ。
王宮の混乱、そして家族としての分断を誘った原因は排除された。
今なら生じていた綻びを元に戻せるだろう。
「わかった。ワシが今から出向き王妃を見舞おう。じゃが、その……」
国王陛下はバツが悪そうに頬をかいた。
「なんでございますか?」
「実はの、フユーウスがどんな菓子が好みか、ワシは知らぬのじゃ。スヌーヴェルよ」
今更ながら、妻の好みを知らぬことを恥じる。それを聞いてスヌーヴェル姫殿下は微笑みを湛えた。
「それでしたら、私が存じ上げておりますわ」
「おぉ、ならば」
「もちろん私もご一緒いたします。ですから」
「上手く……謝れるじゃろうか」
「大丈夫ですわ。きっと」
スヌーヴェル姫殿下はレイストリアを手招きし、耳打ちをした。するとハイエルフの魔女は踵を返し、近くに居た侍女たちに近づき「シナモンとココナツの入った焼き菓子を」と囁いた。
にわかに王宮が騒がしく、そして忙しくなった。
「婚姻の宴の準備じゃ!」
「ええい、国内外への発表の準備を!」
「焼き菓子を大急ぎで!」
大臣たちが議論を交わしながら走り出し、侍女たちも一斉に動き出した。騎士たちも貴族たちの顔も、喜びと明るい笑顔に満ちている。
気がつくと、王宮を暗く淀ませていた気配は何処かへ消え去っていた。
「結局、勇者の姫に対する想いが、いろいろ救った……というわけか」
「にょほほ、まぁ良いではないか」
「さて、俺は後始末に向かう。あとは頼んだよヘムペロ」
「賢者にょ?」
高密度型の認識撹乱魔法を展開する。
もし俺を注視していた者がいたのなら、まるで闇の霧に溶けたように感じただろう。
姿を隠した俺は、賑やかな玉座の間を足早に抜け出した。
◇
<つづく>




