ルゥ猫、猛虎斬月(もうこざんげつ)
実体化したゼロ・リモーティア・エンクロードは、確実にダメージを受けていた。
咄嗟の『カウンター返し』が功を奏し、半透明の体には大きな亀裂が入っている。
『……ギッ』
動くたびに全身からガラス質の表皮と透明な筋肉が剥がれ落ちてゆく。だが完全消滅するには至っていない。
「レイストリア、今のうちに姫殿下を」
「言われるまでもない」
レイストリアは素早い動きで、倒れているスヌーヴェル姫殿下の下へと駆け寄った。
そっと手をかざし魔力による診断を行う。怪我の有無や生体反応の状態、それに呪詛などが蝕んでいないかを魔力糸で探っている。やがて彼女は「問題ない」と小さく頷いた。
「さて、あとはお前の処分だが……」
どうやら階下の騒ぎも収まりつつあるようだ。
エルゴノートと国王陛下が殴り合い、もとい。男同士の会話を続けている間は、上階の騒ぎは届くまい。とはいえ、これ以上派手に戦闘が続けば流石に異変に気づくだろう。
『……』
半透明のクリスタル怪人は、出来損ないのゴーレムのような、ぎこちない動きで再び魔法の攻撃態勢へと移行する。残った左腕を突き出し、掌から魔法円を幾重にも浮かび上がらせて、魔法を励起する。
「しつこい奴め、痛覚も何も無いときたか」
「ワシらだけでは、ちいと手に余るのぅ」
ヘムペローザの言うとおりだった。
魔法使い同士による魔法の撃ち合いは、時として膠着状態へと陥る。
「ヤツは魔法攻撃を跳ね返し、こちらは防御結界で防ぎまた返す。これでは決定打に欠けるのも道理と言うものだ」
「呑気なことを言っている場合かにょ! ほれ、次が来……」
その時だった。
疾風のように俺たちの脇をかすめ、人影が飛び出した。地面を駆け抜ける影は、瞬く間にクリスタル怪人の懐に飛び込んでいた。
「ルゥ!」
俺が叫ぶのと同時だった。
「天昇――猛虎斬月ッ!」
半月のような銀色の光が輝いた。
目にも留まらぬ速さの抜刀術。すなわち超高速の刃が、半透明なクリスタル怪人を、一刀のもとに切り裂いたのだ。
『……!?』
魔法のカウンターで与えたダメージ。脆弱となった傷口を狙った斬撃が、正確無比に怪人の体を真っ二つに両断していた。
まるでシャンデリアが崩れ落ちるような音をたてながら、黒いクリスタル怪人は床の上で砕け散った。
すっと背筋を伸ばすルゥローニィの刀は既に、鞘に収められていた。
「ルゥ猫兄ィ!」
「助かったよルゥ。一撃が欲しいと思っていたところだったんだ」
「前衛無しで曲者と相対するとは、流石に危険でござろ」
表情を緩めトレードマークの猫耳を動かす。
魔法の撃ち合いだったが、これは実戦だ。御前試合ではないのだから、ルゥローニィのような剣の使い手がいれば、早く片がついただろう。
「感謝にょ。しかし猫なのに虎とは、相変わらずの技名じゃのー」
ヘムペローザが近づいて礼を言いつつ、猛虎という技名をからかう。
「と、虎は伝説上の生き物で、猫が進化したものでござる」
「そうなのかにょー」
虎は現在、世界には生息していない。旧世界にいたという伝承上の生物だ。ルゥローニィなどの猫族に言わせると、虎は「猫族の進化形」らしい。
「ルゥ、ついでに壁際の姿見を叩き割ってくれ」
「お安い御用でござるが……うっ、あれは魔鏡でござるか? 妙な気配がするでござるね」
「魔法使いには都合の悪い鏡でね。壊してほしいんだ」
ルゥローニィは剣を抜くと、窓際に近い位置に立て掛けてあった姿見に慎重に近づいた。そして事も無げに剣を突き刺して鏡を破砕してくれた。
「成敗でござる」
少々気恥ずかしそうに眉を持ち上げるルゥローニィ。
俺は礼を述べつつ鏡の破片を手にとった。微かに魔法の気配が残っている。レントミアが見せてくれた魔導書に仕掛けられていた呪詛に近いものだが、かなり巧妙かつ複雑だ。
「……魔法力を持つ人間に反応し、仕込んだ呪詛が発動。相手の姿をコピーして、憑依するための虚ろな体を組み上げる。実によく出来た魔法の鏡だ。まったく、姫殿下の居室にこんなものを持ち込んだのは誰だ」
しかも近衛のレイストリアの目をかいくぐって。
「カンリューンの大公ご子息、ボダーン殿です。姫殿下はお見合いに際して、贈答の品として受け取ったと聞いております。何でもプルゥーシアの美術商から手に入れたとか」
「魔導書も魔鏡も出どころはプルゥーシア。やはり連中には、きちんとお礼参りするべきか……」
うーむ、国王陛下が判断されることだが、このままではメタノシュタット王国の沽券に関わる気がする。
問題は、またしてもゼロ・リモーティア・エンクロードが逃げたことだ。
ここで戦っていた半透明のクリスタル怪人は、いわば分身にすぎない。自律駆動術式で動く人形、魔導ゴーレムに近い存在だった。
魔導書を通じ、呪詛を仕込んだ相手の魔法を取り込んで学習。それを反復活用しながら戦闘を行っていたのだ。
魔法に関して気がかりなのは、姿見に映した姿に加え、魔法の力さえ模写していたら……という点だ。
スヌーヴェル姫殿下の持つ「未来予見」の力を、多少なりとも手に入れた可能性を否定できない。クリスタル怪人の「魔法の再現度」は高くないと思われるが、オリジナルに限りなく近い魔法を使えるとなった場合、次に戦うときは更に厄介な相手になっていることだろう。
「姫……! 急に起き上がられては」
と、そのときスヌーヴェル姫殿下が目をお開けになった。気が付かれたらしく、レイストリアの手を借りてゆっくりと半身を寝台から起こし、部屋の惨状を眺める。
俺とヘムペローザ、そしてルゥローニィは床に跪いた。
「姫殿下、ご無事で……!」
破壊されたバルコニーへの出入り口と絡みついた蔓草、砕けた鏡に粉々になった調度品。どれも姫殿下の大切なものだろう。弁償しろと言われたら、いったい幾らになるのやら……。
レイストリアが何やら姫に耳打ちしている。これまでの経緯と、部屋の有様についての説明をしているようだ。
「……そうですか。私としたことが、迂闊でした」
ベッドから立ち上がると、そこにはいつもの姫殿下がいた。此方に視線を向けて、姿勢を正す。
「面をお上げください、ググレカスも皆も。此度のことは私の心の緩み、油断が呼び込んだ不祥事です。貴方達はそれを救ってくださったのです」
「勿体ないお言葉、痛み入ります」
俺たちは一礼をしてからお言葉に甘え、立ち上がった。
「よく救ってくださいました。いつも私は肝心なときに皆に迷惑をかけてしまいますね……」
なんとお言葉を掛けてよいのやら。返す言葉がない。レイストリアがそっとお身体を支えている。
「下の馬鹿騒ぎを止めさせましょう。エルゴノートが来ているのですね。国王陛下は私が説得しましょう。悪意を持った魔法の品により、私たちは誤解とすれ違いを重ねていたようです」
<つづく>




