レイストリアの意地っぱり
パキ……と、割れたガラス窓を踏む音がした。
降り注ぐ光が照らすバルコニーの向こう側に、女性が姿を現した。
「なにぃ!?」
その姿を目にし、思わず驚きの声を漏らす。
現れたのは骨が透けて見える怪人だった。透明な肉に覆われた姿は、まるで動く骨格標本だ。
見えるのは全身を支える骨格と五臓六腑。胸にある脈打つ心臓やそこから全身を巡る無数の血管。そして生々しい肉感を有する脳と眼球――。
それらすべてが透明な筋肉から透けて見える。
辛うじて体のラインは女性――スヌーヴェル姫殿下のシルエットを模写したもの――だと判る。
「新手の露出趣味かの、賢者にょ?」
「ググレカス、あれは姫殿下の写し身、情欲で濁った目を向けることは罷りならぬ」
愛弟子のヘムペローザのジト目と、姫殿下の近衛レイストリアの鋭い視線の板挟み。
「アホか! あんな人体模型なんぞ嬉しくもないわ」
などと軽口を叩いている間に、半透明人間が攻撃を仕掛けてきた。
――魔力増大、魔法励起を検知!
既に戦闘モードで展開中だった索敵結界が、怪人の魔力が増大したことを告げる。
『……』
無言のまま透明な腕を差し向けると、周囲の影から黒い触手じみた、蠢くイバラを出現させた。
敵との距離は十メルテ。自在に動く黒いイバラの鞭が、俺たちめがけて矢のように放たれる。
「ワシの蔓草に似た術……!」
瞬時に戦術情報表示が相手の魔法の分析結果をポップアップ表示する。
俺の領域である索敵結界に踏み込んだ一瞬で、過去の対戦データから魔力特性の一端を解析する。
――蔓草魔法に類似した特性。刺突系魔法で先端部を硬化。魔法結界貫通性を有し、麻痺性の呪詛も検知、複合型攻撃術式。
「まるで魔法のカクテルだ」
「黒い蔓草とはちょこざいじゃのー!」
いろいろな術の寄せ集めだが、賢者の結界で防御できないレベルではない。仲間と横で気を失っているスヌーヴェル姫殿下への影響を考え、突撃のベクトルを逸らす戦術を取る。
十数枚積層させた賢者の結界を使って、跳弾させる。黒いイバラは結界の表面で激しい火花を散らしながら滑り、斜め後方へと逸れた。黒いイバラは壁側へ向かい、天井を支える大理石の柱に命中。石柱と高級家具が木っ端微塵に砕けた。
「ヘムペロは姫の防御に集中! 物理防壁を頼む」
「任せるにょ」
ヘムペローザの蔓草魔法はベッドに横たわる姫殿下を覆うように繁茂し、護っていた。物理攻撃にも魔法攻撃にも耐性を有し、植物の実体を持つが故、魔法の妨害にも強い。
「レイストリア!」
言うに及ばず。既にレイストリアは無詠唱で魔法を励起し終えていた。
「先程の礼をさせてもらう」
右腕に宿したのは『斬光輪』の輝きだった。光が無数の円形の刃を形成、それをブーメランのように投げ放つ。
「レイストリア、本体への攻撃は控えろ!」
「案ずるな」
流麗に腕を振り動かすと、意思を持った鳥のように光の刃が自在に舞った。再び迫り来る黒いイバラの鞭の群れを、螺旋を描きながら切り刻んだ。
「見事だな」
「凄いにょ!」
称賛を他所に、レイストリアは指を「くっ」と真横に動かして、光輪で敵の首を狙った。
不意打ちだ。
やめろと叫びたかったが狙いとタイミングは完璧だった。
黒いイバラの断片に紛れ、死角からのクリティカルを狙ったのか。
怪物の首を捉えたかに思えた光の刃は、しかし何事も無かったかのように、あっさりと通り抜けた。
「っ……!」
期待に反し、首が切断される事もなく、怪物は平然としながら小首を傾げてみせた。
「首に命中したはずなのに、通り抜けたにょ」
「そういう意味でもシースルーか」
透過能力。あの透明な体には相手の魔力を通過させてしまう力があるのか。
「ならば」
ムキになったのか、レイストリアが四方八方から『斬光輪』を一斉に差し向けた。頭部に胸、両手足を切り裂くように同時に急所を狙った軌道で。
しかし、魔法はやはり全てすり抜けてしまった。
「おのれ」
珍しく感情の起伏も露に、歯噛みするレイストリア。
「さっき試してダメだったんだろうが」
「これならば通じるかと」
「意地っ張りめ」
彼女なりのプライドか、魔法が通用しないことが我慢ならなかったのだろう。いつもの澄まし顔はどこへやら、やや上気した頬で、ほつれた髪をエルフ耳にかきあげた。
『……』
――警報、魔法励起を検知……!
「また仕掛けてくる」
半透明の怪物が腕を高々と掲げ上げた。そして二秒と経たぬうちに、黒い円盤状の刃を形成し、バリバリと雷光を放った。
「反撃してきよるにょ!」
「あれは、奴が模写した『斬光輪』か……!」
まさか、もうコピーしたのか!?
おまけに魔法結界の貫通性を有し、麻痺性の呪詛まで増々ときた。
単にコピーして真似るだけではない。覚えた魔法を重ねがけして応用している。
「こちらが放った魔法を模写し、即座に反撃してくるのはやっかいです。長引かせぬよう、一息に一気に倒したいところです」
「そうは言っても一筋縄ではいかんな。あれがゼロ・リモーティア・エンクロードが受肉した姿……究極体だとするなら尚更だ」
「やつは言葉を発さない。まるで抜け殻、操られた木偶人形にも思える」
嫌な予感がするが、レイストリアは冷静さを取り戻したように、俺が見落としていた点を指摘した。
「たしかに。ゼロはベラベラと饒舌な印象があるのだが」
「あれはまるで、魔法を弾き返すだけの、鏡だ」
「鏡……」
レイストリアの直感は正しいのかもしれない。
プルゥーシアの魔法使い共が生み出した実験体は、実体を持たぬが故に神出鬼没。特殊な呪詛を施した魔導書などを媒介とし、あらゆる魔法使いの脳内に侵入することが出来た。それは演習用として生み出されたが故の、優れた特性だったはずだ。
その後放逐されたゼロ・リモーティア・エンクロードは、何人かの魔法使いに憑依し密かに成長してきた。魔法使いの思考を奪い、行動を変え、やがて魔法の知識を書き写すかのように学んでいったのだろう。
自己進化を重ねた、人造の仮想魔法使い。
それがゼロ・リモーティア・エンクロード。
ならば、あの姿には何の意味がある?
自らを肉体という檻に閉じ込めてしまっては、逆に優位性を失う。制限と限界を持つことになるのだから。
ということはやはり、レイストリアの言うように、本当に木偶人形なのかもしれない。
ゼロ・リモーティア・エンクロードが次のステップに進むための実験をしているとしたら……。
『……』
その時、半透明の怪物が黒い光の刃を投げつけてきた。咄嗟にレイストリアとヘムペローザを後ろに押しやって、俺が前に出る。
とはいえ、あの模写能力は相当に厄介だ。
ヘムペローザの蔓草魔法を「模写」して放ち、レイストリアの殺傷性の高い光系魔法さえ真似て撃ち返してきた。
それは部屋に仕込まれていた『魔鏡』の能力に依存しているのか。
ならば、試してみるか。
「少し、本気を出す」
『賢者の結界』超駆動――!
最高強度の結界を128層重ね、全面に集中展開する。
直進してきた黒い『斬光輪』が動きを鈍らせる。粘性を帯びた液中を進む刃のように、目に見えて速度が遅くなる。
ヴォン……! と空間に振動音が響く。空間が歪むほどの重層結界に黒い刃が進めずにいる。
「なっ」
「にょほう!?」
レイストリアとヘムペローザが驚く。
「強い結界の中では、光さえ静止できる」
メガネの鼻緒を指先で持ち上げて、背後の二人に語ってみせる。
ここで結界の位相を変え、進行のベクトルを転換。方向転換させた結界の一端を、一気に怪物側だけ開放する。
「すると、黒い刃は再び加速するッ」
弾かれたように黒い刃が、真逆に飛んだ。つまり放った怪物めがけて襲いかかる。
「反射された魔法を、更にはね返したにょ!」
怪物は避けることが出来なかった。
自らが真似て反射したはずの魔法が、まさか更に跳ね返されるとは、想定していなかったのだろう。
自らが放った黒い刃が直撃する。
ザシュッ……!
『……?』
衝撃音とともに半透明の怪物の体に亀裂が入った。黒い刃は貫通せず、肩から心臓にかけての内側をズタズタに斬り裂いた。
「自らの魔法は跳ね返せない、だろ?」
「相手の力を流用し攻撃とは実に卑劣。流石はググレカス、といったところではありますが」
「あぁもう素直に誉めろよ」
<つづく>




