ゼロ・リモーティアの進化
『姫殿下がゼロ・リモーティアに憑かれたにょ!』
「わかった、今そっちに向かう」
ヘムペローザの声に俺は行動を開始した。
事態は一刻を争う。今、まさにこの城内で、事もあろうにスヌーヴェル姫殿下にゼロ・リモーティアの魔の手が迫っているのだ。
「くそ、レイストリアが姫の側にいたんじゃないのか!?」
最強の近衛魔法使い、ハイエルフの魔女は何をしていたんだ。いや、それさえも突破された……ということか。
何よりも問題なのは、上階で今起きている事態をこの場にいる一部の人間以外、誰も把握していないことだ。
国王陛下への謁見を申し込んだエルゴノートと、旅に同行していたマジェルナとヘムペローザは、おそらく異変を察知した。それはレイストリアからの緊急連絡が、マジェルナに対して行われたからか。
謁見の間、俺の周囲には数名の大臣と近衛騎士、あわせて十数名と、王宮魔法使いが数名いるが、揃いも揃って国王陛下とエルゴノートのやりとりに注目している。
彼らに状況を説明して許可を得ている暇はない。
他の魔法使いたちに知らせたくない、というよりはゼロ・リモーティアの感染を恐れているのだ。マジェルナと目配せをすると、同じことを考えているらしく「行け」と言う風に唇を動かした。
俺はすぐさま認識撹乱魔法を展開し、姿を隠す。
視線を避けて、玉座の横から奥の通路を目指して忍び足で通り抜ける。この先は通常立ち入り禁止の王族の居住エリアだが、緊急時なのだから仕方ない。
俺の姿は大勢の人々の視界から消え、見えてはいないはずだ。
だが一人の腕利きらしい王宮魔法使いが此方の動きを察知したようだ。どうやら最初から俺の動きを注視してたようだが、見失ったらしく慌てて辺りを見回している。索敵用の魔力糸を乱発しているが、賢者の結界によって無効化。残念だがこちらの位置特定は難しいだろう。
「悪いが失礼する」
ヘムペローザはおそらく『花の認識撹乱魔法』でスヌーヴェル姫のところまで一足先に侵入したのだろう。魔法は風に舞う花弁のようで実に優美。ひとたび目で追えば、ふわりふわりと彼女の姿を見失う。
「――スヌーヴェル姫を頂きたい! 私は、気がついたのです。かけがえのない彼女の存在の大切さを。幾千の夜を重ねようと忘れられない。彼女は私にとってただ一人、真の愛を捧げたいとおもうお方なのです」
背後では、エルゴノートが国王陛下相手に「妻問い」をしていた。
謁見の間に悲鳴とどよめきが広がった。混乱は好都合だが、今は魔導に通じた俺たちで、スヌーヴェル姫殿下の安全を確保するのが最優先だ。
「ゆ……許さぬといったであろがエルゴノート! 今までは勇者だからと、甘い顔をしていたが、ワシの目が青いうちは娘はやらぬ。スヌーヴェルはワシが決めた男と、婚姻をすればよいのじゃ!」
身勝手なことを言い放つ国王陛下。
決めた男というのは、カンリューン公国の太閤殿下のご子息だったはずだ。政略結婚以外の何物でもないが、見合いの相手として名前が挙がっていた。
このあたりは報道業者が常に報道していたので間違いないだろう。
だが、時代錯誤な見合いと政略結婚。それこそが国王陛下と姫殿下――父と娘の確執の根本原因なのだと、その場にいた誰もが気づいているはずだ。
無論、それを臆面もなく口に出せる者など誰もいまい――が。
「お言葉ですが国王陛下。望まぬ結婚で、彼女は幸せになどなれるでしょうか。スヌーヴェル姫はそれで悲しみ、苦しんでおられるのです」
その場が凍りついた。
国王陛下の横に居た大臣が貧血になったかのように倒れた。近衛騎士は抱えていた兜を落としそうになって慌てている。
この場で手討ちにされてもおかしくはない暴言だ。
だが、コーティルト国王陛下は寛大だった。
「エルゴノート……! きっ、き貴様! 言うに事欠いて! 身の程をわきまえず、よくもぬけぬけと申したな! 許せん、ワシが直々に貴様を成敗……いや、この場で叩きのめしてくれようぞ!」
流石に世界的に名の知れた元勇者を、私情で、それも玉座の前で断罪するのも筋が通らぬと考えたのだろう。
「国王陛下、自重なさいまし」
「うるさい」
「ひぃ」
白髪の長老大臣が一喝されてぶっ倒れた。さらに騒然とする謁見の間。なんだか面白い事になってしまったようだ。
エルゴノートは悠然と身構え、国王陛下に対して深々と礼をする。
「今から貴様に叩き込むは、国王としてではない。父親として、私情の拳じゃ。顔が崩れても文句は言うでないぞ!」
「直々のお叱り、光栄に存じます」
「よいか、他の者は手出しをするでないぞ」
上着を脱ぎ捨てると、国王陛下らしからぬ凶悪な笑みを浮かべ、ボキボキと手の骨を鳴らしながら近づいてゆく。玉座を降りて歩み寄るその姿は、武王の名に恥じない迫力があった。
老いたとはいえ筋骨は隆々とし、若いエルゴノートに体格でも気迫でも勝っている。
「お相手させて頂きます」
「歯を食いしばれ!」
コーティルト国王はやにわに、エルゴノートの顔面にパンチを叩き込んだ。並みの人間なら頭が首から外れそうな、床で後頭部がバウンドしかねない勢いだった。当たりどころが悪ければ即死しかねない、一撃だった。
「……ッ」
だが、エルゴノートは上半身を竹のようにしならせて、その衝撃に耐えた。
「ぬ、うっ!?」
「……がはっ、私の……姫への想い……愛の力もお見せしましょう、御免!」
エルゴノートは国王陛下のボディにブローを叩き込んだ。
「ごふぁ!?」
ぎゃああと悲鳴を上げたのは、大臣や側近たちだった。近衛騎士たちは何故か涙を流しながら姿勢を正して決闘の行方を見守っている。
「き……効かぬ、それでも勇者か? ぬうんっ!」
「ぐあっ」
今度は国王陛下が、エルゴノートにハンマーのような頭突きを食らわせる。
「ははは、どう……ぐは!?」
「実に……良い、一撃でし……たっ!」
ついにボコボコの殴り合いがはじまった。
「はわわわぁ、こんなのは前代未聞……」
大臣の一人が泡を吹いて気を失った。
国王陛下と玉座の前で拳の応酬、そして取っ組み合いとなり、組伏せようと互いに床を転げ回る。
「いけぇえ陛下!」「勇者どの……! ハハ」
頭を抱え悲鳴をあげる大臣たちを他所に、近衛騎士や魔法使いたちは双方に声援を送り始めた。
混乱の極みになる謁見の間を後に、俺は廊下を走り抜けた。
気がつくと、騒ぎに乗じたマジェルナとルゥローニィが俺の後を追ってきた。
「ここか!」
螺旋階段を駆け上がると更に上階へ。その先に目的の部屋があった。スヌーヴェル姫殿下の仮の居住エリア。軟禁場所だ。
その部屋の前に、レイストリアがよろめきながら壁に身を預けて立っていた。信じられないことにダメージを受けているらしい。駆け寄って肩に手を添える。
「おい!? レイストリア、大丈夫か」
「……ググレカスか、気安く触れるな」
手は払い退けられたが、彼女の強固な結界を貫通するとは、どれほどの魔力か。あるいは、不意を突かれたのか。
「姫殿下を……早く」
「無論だ、何があった!?」
「姿見の鏡だ……。姫殿下の部屋、見合い相手の贈答に……仕掛けが……」
「鏡だな、わかった!」
もっと説明をしたい様子だったが、ダメージが残っているのか綺麗な顔に苦悶の色が浮かんでいる。
よろよろと立ち上がるレイストリアを後に、姫殿下の部屋のドアを開ける。
魔導書に仕掛けを施して、感染させる相手だ。鏡に仕掛けを施しても不思議ではない。
魔法を使える人間に感染するゼロ・リモーティアならば、スヌーヴェル姫殿下に取り憑く可能性も否定できない。
いや、まてよ。となると魔導書といい姿見の鏡といい、その送り主が本当の黒幕――
「姫殿下、しっかりするにょ!」
ヘムペローザの叫び声とともに、魔力の波動が爆ぜた。
緑の光が溢れ出した。蔓草の魔法を励起したのだ。
風の流れに似た動きで、緑色の光が蔓草に変じつつ溢れ出してきた。葉を茂らせた蔦が扉の外側にも絡み付いた。
「ヘムペロ!」
半開きのドアを押し開けて駆け込む。
二十メルテ四方もありそうな部屋は、高級そうな調度品がいくつかある以外は、シンプルなものだった。大きな寝台に、クローゼット。ソファにテーブル。ふんわりと良い香りがするのは姫様の部屋だから当然だが、それらは緑の蔓草で覆われていた。
よく見ると寝台の上にスヌーヴェル姫殿下が倒れていた。金色の髪が波打ちシーツの上で乱れている。緑の蔓草は、姫を包み込み、護る籠のように展開されていた。
ヘムペローザが放ったのは、気を失った姫殿下を守るための魔法だったらしい。
「姫殿下……!」
魔力糸で姫の生体反応を確かめる。脈拍も呼吸も問題ない。軽く気を失っているだけだ。
――だとしたら今、いったい何と戦ってる!?
さらに部屋の奥、正面のバルコニーに通じる扉が開け放たれていた。索敵結界に反応があり、風と魔力はそこから流れてくる。
「外か……!」
部屋の外には空中庭園のような広いバルコニーがある。
再び強い魔力の波動が跳ね上がったかと思うと、黒い蔓草が、濁流のようにガラス窓を突きやぶり、部屋の中に流れこんできた。
「にょほぉおッ!?」
黒い蔓草の激流に押し流され。黒髪の魔女が吹き飛ばされてきた。
「危ない!」
「にょは!?」
魔力強化外装を展開し全身を強化、彼女の身体を受け止める。細く柔らかい身体を抱きとめて、事なきを得る。
「ふぅ、なんだか重くなったんじゃないか?」
「失礼じゃの!」
てし! とおでこを叩かれた。
ようやく立ち上がると黒髪を振り払う。そして照れくさそうに、相変わらずなパッツン前髪をすばやく整えた。
「賢者にょ……遅かったではないかの」
「いや、下でエルゴノートが国王陛下と肉体言語で語り合って、姫を取り戻しに来たらしい」
「何が何だがわからんが、姫殿下が大変なんじゃ。今は気を失っておるが」
「なら、この黒い蔓草は……誰が?」
姫殿下かと思ったが違う。
姫はこんな魔法は使えない。未来を見通す、予言のような魔法を使うことはできるが。
「それは、カウンター魔法だ……! ヤツは瞬時に学習し、魔法を取り込んで、ぶつけてくる」
レイストリアが後ろから俺たちを追い抜いて、バルコニーに駆け出した。
「なんだって!?」
「ワシの『蔓草魔法』さえも、似せて跳ね返してきたんだにょ」
「鏡がスヌーヴェル姫の姿を真似て、実体を得たんだ。中身は、進化したゼロ・リモーティアだ」
ハイエルフの魔女が、光の刃をバルコニーの外に向けて放った。
逆光でよく見えないが、バルコニーの向こう側に禍々しい光を纏った女が現れた。
ギィン! と鋭い音がして黒い稲妻のような光が跳ね返ってきた。
「くっ!」
咄嗟に賢者の結界を戦闘出力で超駆動。ヘムペローザとレイストリア、そして姫殿下を守るように最大範囲で展開する。
「にょほぉおお!?」
バギバギ、ビギィイイン! とすさまじい衝撃で結界がズタズタに切り裂かれた。
「嘘だろ……!」
戦術情報表示が一気に警告表示で赤く染まる。
黒い光の刃は、レイストリアの放った光の攻撃魔法が、強化されて跳ね返されたものだった。
「やはり跳ね返すか」
「分かってるなら撃つなよ!?」
流石にレイストリアにツッコミを入れる。ちゃっかり俺を盾にしていやがるし。
「それだけじゃないにょ……! 姫殿下の魔法も、あやつは取り込んだにょ」
「な、なんだって!?」
未来予見の魔法には、水鏡などを使う。もし代わりに姿見を、戯れで使ったのだとしたら――
<つづく>




