レントミアの土産 ~誘いの魔導書~
正午を回るころ、空飛ぶ賢者の館は王都メタノシュタット中枢部へと到着した。
空中騎士たちの歓迎を受けた賢者の館は『三日月池』の湖畔へと近づき、ゆっくりと降下する。
「降下速度、秒速ゼロコンマ5メルテ、3、2……」
「接地いたしますわ」
「沈降する」
半球形の底部が地面に接触するが衝撃は無い。そのまま溶け込むように土地と一体化しながら沈み、平らな敷地にあたかも初めから館が立ってたかのような状態になった。
「……着底完了、係留術式にて固定。全工程完了ですわ、賢者ググレカス」
「ありがとうメティ。助かったよ、ゆっくり休んでくれ」
「そうさせていただきますわ。今夜は夢の中で労って下さいまし」
「おう、もちろんだとも」
妖精メティウスはひらりと舞うと、二階の窓辺へと飛んでいった。好きな本の中に潜り込み、昼寝をするつもりだろう。
魔力の供給回路が繋がっている妖精は、時おり夢の中に入り込んできては俺に遊びましょうとせがむ。それこそ無邪気な少女のように。
「池だ、泳ごうぜラーナ!」
「あっ、こら遊泳禁止だよっ」
早速飛び出してゆくラーズをラーナが追いかけてゆく。
敷地の周囲には、かつてマニュフェルノが植えていハーブたちが繁茂していた。種を飛ばしたのか根で増えたのか、周囲に生い茂っている。
「気を付けろよ二人とも。湖には主がいるからな」
数年間暮らしていた土地は変わりなかった。森に囲まれた静かで落ち着いた雰囲気のままだ。古くからある貴族の邸宅が、ポツポツと湖畔の向こう側に見える。
「おかえり、ググレ。みんなも元気だった?」
着地を待っていたレントミアが敷地を跨いでやってきた。
「あぁ、レントミアこそ久しぶり……って、三週間ぶりぐらいだけどな」
「えへへ、そうだけどさっ」
相変わらずな様子のレントミアと軽くハグを交わす。
元々俺のほうが背が高いが、あまり成長しないハーフエルフとの差は開く一方だ。
「お土産があるんだけど、皆がいる場所じゃちょっと、ね」
「わかった。俺の書斎へいこう」
何やらレントミアは何やら本を抱えていた。厳重に封印魔法が施されている。例の姿の見えない仮想魔法使い、ゼロ・リモーティア・エンクロードへの罠が仕掛けられている魔導書だと予想がついた。
楽しげに這い回りはじめた館スライムの群れを避けつつ、館の中へと戻る。レントミアはみんなとの挨拶を終えると早速、二階にある俺の書斎へとやってきた。
広い書斎は大きな数段構えの書棚と立派な机、それと大きなソファーがしつらえてある。
レントミアを座らせて、エメラルドグリーンの瞳を覗き込む。
「んっ……」
「キスじゃねぇよ、目を開けてじっとしてろ」
「ちぇっ」
俺がまず気にしていたのはレントミアの左目だ。
メリハメールに魔導書を見せられ『感染』した憑依の魔術。それはお守りのググレスライムから解呪を送り込んだが、完全に除去できたか確認する必要がある。
頬に手を添えてゆっくりと魔力糸を伸ばし術式の残骸が無いか確認する。
「古代ユークルシア系の呪詛は、単語一つでも意味を成す圧縮系の言語だからな。念入りに……よし、無効化出来ているようだ」
「よかった」
そっと俺の手に指先を重ね見つめるレントミア。この雰囲気はまるで口づけを交わす3秒前みたいだ――が。
「妻にガン見されているわけだが……」
「腐々。どうぞ続きを、むしろ続行を期待っ!」
ソファの反対側ではマニュフェルノが血眼で俺たちの様子を観察していた。手に持ったスケッチブックに超高速で鉛筆を走らせている。
「とんだ叙述トリックだね!」
「なんだそりゃ。それとマニュフェルノ、胎教に悪いからあまりBLフェロモンを発散するんじゃないぞ」
「英才。むしろすごい才能の子が生まれるかも」
「ボクもググレの子供を産みたかったな」
「アホか!」
「鼻血。二人といると飽きないわ」
「お、おいマニュ! ほんとに鼻血出てんぞ!?」
とまぁ、冗談はさておき。
レントミアのおかげで目的のアイテムが手に入った。王立図書館に持ち込まれたこの本は、一連の事件を解決する手がかりになる。
深緑色の革細工で装丁された分厚い魔導書。開いてみると特殊な書体で書かれてはいるが、翻訳魔法で解読できる。
魔法の解説書のようだが、読むと何やらルールめいたことが書かれている。
――魔法闘技場では敬意を。戦いは、互いの尊厳を守り……
「気をつけてググレ、油断するといきなり入り込んでくるよ」
「ハハ、俺に通じるかこんなも……って痛ッてぇえッ!?」
右目に激痛が走り、思わずソファから立ち上がった。
「ググレ!?」
「速攻。なんかやられてますけど……」
多重防御結界も何もあったもんじゃない。視線で文字を追っただけで感染した。魔法の文字列が脳裏で魔法円を結び、魔法の効果を連鎖的に発生させる。単純が故に防ぎにくい。
「痛たた……。確かに……これは並の術者なら防げん……」
「嗚呼。ググレくん大丈夫?」
「火炎魔法で眼球を焼こうか?」
「やめんか、なんだか楽しそうだなおまえら!?」
マニュフェルノとレントミアは心配そうに声をかけてくれたが、本気で心配している様子はない。
とはいえ戦術情報表示が呪詛への感染を警告し、真っ赤な警告表示を次々とポップアップする。ここは慌てず冷静に。レントミアの呪詛を解いた時に利用した対抗術式を展開、入り込んだ呪詛を無力化する。
「……ふぅ。もう大丈だ、問題ない。はぁはぁ」
「普通に危なかったじゃん」
苦笑するレントミアが代わりに本を閉じた。
「確かに危険だな、こりゃ」
「誰がこれを作ったんだろうね」
「おそらく、最初に本を作ったのはプルゥーシアの魔法聖者連の連中だろう。中に書かれている内容からピンときた。これは魔法の決闘を行う際のルールブックみたいなものだ。魔法の効果を制限するための術式と、ここに筆者の名前が綴られている」
レントミアが本を恐る恐る覗き込む。
「あ、ほんとだ。パンティラスキ・ケルジャコフ?」
「魔法聖者連の序列二位の魔法使いの名前にあった」
「そうなんだ? これで魔法の決闘をしていたってことか。そう考えると、この魔法にも意味があるね」
「あぁ。おそらく誰かが仮想の魔法使い――ゼロ・リモーティア・エンクロードに感染し、演者となる。そして魔法の決闘を行う」
「なるほどね」
自我が芽生え、意思を持ち、暴走しはじめたゼロ・リモーティア・エンクロード。
実体が無いがゆえに、力を発揮するには肉体を必要とするのか。
「よし、この本を使ってゼロ・リモーティア・エンクロードを捕獲しよう」
「どうやるの? 危ないよ誰かが犠牲にならなきゃならない」
「俺たちにはアレがあるじゃないか。おあつらえ向きの闘技場も」
「あっ……そうか!」
「『世界樹の冒険 ~ユグドヘイム・オンライン~』にゼロを誘い込む」
レントミアとマニュフェルノが顔を見合わせて「なるほど」と頷く。
「仮想魔法使いを、仮想のアバターに感染させて倒す、ってことね」
「そのとおり。捕らえたら外部からの魔法通信を遮断。完全な密閉魔法空間にしてしまえばいい」
何よりも聖剣戦艦に搭載されていた魔導頭脳、演算処理装置を流用した仮想空間は俺の制御下にある。そこに捕らえてしまえばアバター同士の戦いで決着がつく。
「名案だね」
と、決戦のシナリオが出来たところで書斎の水晶玉が光を放った。
「魔法通信だ」
それはイスラヴィアに出張中の一番弟子、ヘムペローザからだった。
『――にょほほ、賢者にょは元気かのー?』
元気のいい声とともに黒髪乙女が大映しになった。褐色の肌に白い歯が眩しい。
「おうとも元気だよ。なんだか日焼けしたな?」
『うっ、気にしてるんだからそれは言うでない。それより、もうすぐ王都なんじゃが……エルゴノートが王宮に乗り込むって息巻いておるんじゃよ』
「なんだって? スヌーヴェル姫殿下を救い出すヒーローにでもなるつもりか」
国王陛下は近衛魔法使いのメリハメールに言葉巧みに騙され、スヌーヴェル姫を軟禁状態にしてしまった。直属の実力部隊『中央即応特殊作戦群』では不満が燻り、内乱に発展しかねない雰囲気だ。
『姫殿下の親父……いや、国王陛下に直接話をしに行くらしいにょ』
「エルゴノートに説得なんて出来るものか」
肉体言語で語り合い、殴り合うのは得意だろうが。国王陛下に流石にそれはマズイ。いや……エルゴノートならやりかねんが。
『兎に角、マジェルナの姉御と一緒に王城に向かうから、賢者にょも来るのじゃ』
「やれやれ、わかった」
どうやら此方の面倒事を、先に片付けねばならないようだ。
<つづく>




