ゼロ・リモーティア・エンクロードの恍惚
「メリハメール殿、そこまでです。貴方は事と次第によっては国家反逆罪に問われます」
大量の本の下敷きになった魔法使いに、レイストリアが警告を発し、掌の上に光球を浮かす。それが貫通魔弾系の不可避な攻撃魔法であることは明白だった。無力化どころか殺傷すら厭わない、そういった姿勢を見せつける。
「……げ、げほっ、こ……国王陛下の近衛たるこの私に、こんなことをして……ただで済むと思うてかレイストリア!」
メリハメールが上半身を起こしながら怒りを露にする。
「神聖な図書館の静寂を乱した咎は受けましょう。ですが、今は城内に巣食う害虫の駆除が優先です」
「が、害虫とぬかすか……!」
「得体の知れない魔法に身を委ね、国王陛下のお心をかき乱したのではありませんか?」
「な、何を証拠にそのような……」
と言いかけてレントミアに視線を向ける。期待していた効果は無く、術中に嵌まってもいない。明らかに本の罠を解呪している。
「貴殿には訊きたいことがあります」
「く……っ!」
館内に響き渡った音と声に、学徒や司書、他の宮廷魔法使いたちも何事かと集まってきた。
彼らがそこで見たのは、書棚に激突し本に埋もれている国王陛下の最側近、メリハメールだった。対峙しているのは姫殿下の近衛、最上位魔法使いのレイストリアにレントミア。彼らの尋常ならざる対立の様子を目にし、皆一様に驚きと戸惑いを浮かべて立ちすくんでいる。
「僕が証人だよ。君が口にした邪な陰謀を、この耳で聞いたからね。それだけじゃない。賢者ググレカスもしっかり、スライムを通じて仕込まれていた魔法術式の記録を盗った……じゃなかった、録ったから言い逃れはできないよ」
呪詛から回復したレントミアが、手のひらに乗せたググレスライムをつきだす。小さなゼリーのような生命体はググレカスの魔法情報端末として城内に潜ませていたものだ。
「万事休す、というわけか……」
メリハメールが肩を落とす。
レントミアは術から逃れ、賢者ググレカスにまで聞かれてしまっては、もはや逃れるすべはない。
何よりも恐ろしいのはレイストリアだ。常に冷静沈着で表情を変えないレイストリアが、目の前で怒り心頭といった様子で睨んでいる。
魔眼のごとき鋭さ、呪殺されそうな鬼気迫る眼力に、さしものメリハメールも押し黙るしかない。本に埋もれながら密かに励起しかけていた反撃用の攻撃魔法を解くと、レイストリアも光球を握りつぶした。
降参とばかりに両手を挙げて、自分の頭に載っていた本を片付けるメリハメール。閲覧室を満たしていた緊迫が和らぐ。
「平気ですか、レントミア」
美しいエルフの魔女が、レントミアを気遣う。
「うん、ググレの解呪が無かったら正直、危なかった。まさかあんな手の込んだ魔法の罠があるなんて……」
顔色は悪いが、しっかりとした足取りでレイストリアの傍らに立つ。
「探りを入れるだけではなかったのですか? いきなり本命を引き当てるなんて。そのような悪運まかせの行動は感心しませんし、何より無茶が過ぎます」
「かもね。でも、君が来てくれるってわかってたから」
「レントミア」
長いまつげに縁取られた瞳が、ハーフエルフの端正な顔を見つめる。安堵したという微かな感情が浮かぶ。
『……いい雰囲気のところすまないが』
ググレスライムが甲高い声でピロピロと鳴いた。レントミアとレイストリアは柄にもなく顔を赤らめる。
『レントミアに入り込もうとした呪詛……つまり、本に仕込まれていた魔法術式を少しばかり紐解いてみた』
「流石ググレは早いね、何かわかった?」
『全部を解読するのは相当時間がかかりそうだが、何を目論んだものかは見当がついた』
「お聞かせ願えますか、賢者ググレカス」
レイストリアが問いかける。
『実に巧妙な罠だ。魔法障壁をすり抜け、精神的な部分に裏口を作る魔法術式らしい。精神感応、降霊術に似ているが……これは単なる導入部、前奏曲のようなものさ。開けた穴から更に、別の何かを招き入れるためのな』
「怖いね。変わった呪詛でまるで抗えなかったよ」
賢者ググレカスが早速、秘密の一端を解き明かしたようだ。
鹵獲した魔法の解析にかけて、賢者の右に出る者はいない。戦闘中であっても相手の使う魔法術式に触れれば、たちまち解析し、攻略の糸口を見つけ出すのだから。
『身体を乗っ取り、操る術式を入れるにしては奇妙だ。いや違うな。恐らく仮想人格のような、疑似霊魂のような……。意識や記憶をそのままに、後ろから語りかけ、思考の方向性を捻じ曲げる、そんな術だろうか。本人の無意識下に入り込まれたら為す術がない。まるで心の声のように響く。本に仕込まれていたのは、そうした術式を脳に導き入れる強制憑依とでもいうべきか』
ググレカスは解析作業に没頭しているのか、ブツブツと何かを喋りつづけている。
「……つまり、魔法の本に書かれた一節を読むことで、脳内に魔法の経路が形成され、そこから本格的な魔法が送り込まれてくる。あとは本人が気づかないまま、思考や行動を操られる。そんなカラクリってことね」
『おぉ、レントミアそう言いたかったのだ、フハハ』
「もう」
「その罠は、魔法使いが対象ということですか?」
レイストリアがググレスライムに問いかける。
『そうだな。相手が魔法使いであればこその罠だ。記憶されている魔法術式の知識を逆に利用し、少ない詠唱文字数で最大の効果を得られる。例えば「開けよ月の門」という言葉を聞けば、魔法の知識を有する者なら、大概は基本的な二重の円で囲まれた魔法円を思い描く。そういう連想ゲームのような原理さ」
「なるほど、本に仕込まれたアナグラムを見て相手の脳内に魔法を誘発する仕組み、というわけですね」
『レイストリアのお察しの通りだろうな。しかし、これではまるで俺の逆浸透型自律駆動術式ではないか、誰だ考えたやつはブツブツ……』
「ウィルス? なんですかそれは」
ついググレカスがつい口を滑らせた魔法秘技を耳ざとく聞きつけ、レイストリアが問い詰める。
「あっ、ググレの使う『悪質な魔法』のことだから気にしないで」
『人聞きの悪いことを言うなレントミア。至高の魔法芸術、相手の魔法円に侵入し自らの複製を大量に生成してしまう素敵な仕組みはまさにウィルスのごとき……』
「今度ゆっくりお話を聞かせてくださいね」
『ゲホゲホっ』
「でもねググレ。僕、魔法術式に侵入されかけたとき、見えたんだ」
『何が見えた?』
「冷たい手。ゾッとするような手が伸びてきたんだ。相手は……悪霊? ううん違う。もっと人間臭くて欲望の塊のように複雑で、貪欲な……。上手くいえないけれど、もやもやした実態の無い塊みたいな、魔法使いの精神みたいなものが」
「実態の無い魔法使い?」
「複雑な意思の融合体のような、意志の塊というか。よくわからないけれど」
レントミアが違和感の残る右目を押さえ首を振る。
「ゼロ・リモーティア・エンクロード」
メリハメールがうず高く積み重なった本の中から起き上がり、数冊の本を重ねて近くのテーブルに置きながら呟いた。
「えっ?」
『その名を貴殿も知っているとは驚きだ』
ググレスライムが上下に伸び縮みしながら驚きを示す。
「私がその者の声に耳を傾け、神託と偽り国王陛下の御心をかき乱したのです。その神託……神のご意志の源泉こそが、私に宿りし預言者の御霊『ゼロ・リモーティア・エンクロード』と名乗ったのです」
『なんてことだ』
「神出鬼没の魔法使いは、預言者にまで化けるとはね」
レントミアが呆れたように肩をすくめる。
「レントミア殿の感じた通り、あれはおそらく総体意識だ。悪霊や怨霊、いや疑似霊魂にも似た魔法の意識。実態の無い魔法使いの総意」
『そうか……! なるほどな。暗躍している魔法使いは架空の精神体なのかもしれない』
「架空の……魔法使い」
「そこまでわかっていながら何故、そのような得体の知れぬものに身を委ねたのですか?」
レイストリアが詰め寄ると、中年の魔法使いはやつれた顔に自嘲気味の表情を浮かべた。
「心地よかったのだよ……。受け入れることで目の前が開けた気がした。偉大なる魔法の知恵、魔力を共有している感覚……! おそらく千年帝国の魔導士たちが感じていたのはこれだったのかと、私は得心した。魔法の源泉、知識の総体と一体化することで得られるのは、万能感だった。それに、常に誰かと共にあるという安堵感、それに……止めようもない高揚感! すべて得られた」
目を見開き、恍惚と口元を歪めて告白するメリハメール。
「まるで中毒患者だね」
「そうかもしれない。だがレントミア殿。だからこそ君とも共有したかった……この享楽を、素晴らしき感覚を」
灰色の虚ろな瞳が、若く美しいハーフエルフを映す。
「嫌だね、お断りだよ」
レントミアは同僚の魔法使いの心の闇に、嫌悪を感じ一瞥を投げ掛けた。
『だが、ようやく合点がいったよ。なぜ「ゼロ・リモーティア・エンクロード」なる正体不明の、姿を見せない魔法使いが出没しているのか……。ヤツは次々と伝染し、感染してゆく。心の中を渡り歩いているんだ』
<つづく>




