見習い魔女マプルと謎の結界
◇
「村外れに不審な結界が……?」
アルベリーナは食後のお茶を口にしながら、聞き返した。
相手は初々しい少女。自分にもこんな時代があったっけ……と懐かしさに目を細める。
「はい。もともと聖堂教会の礼拝堂があった場所です。魔王大戦で廃墟になっていたのですが、そこに誰かが強力な結界を張ったみたいなんです」
無謀にもアルベリーナに相談を持ちかけたのは新米魔女のマプルだった。
ティバラギー村出身の新米魔女は、村を守る『ジャガイモ騎士団』の一員。これまでイオラ達といろいろな冒険を経験し成長してきた。
見た目は可愛らしい少女で、明るい栗毛をくるりと内側に巻き、丸いグルグルメガネ。頭には緑色のとんがり帽子をかぶり、膝上までのチュニック風の民族衣装を羽織っている。
手には藤蔓を巻いた長い杖。誰が見てもひと目で「魔女」だとわかる格好だが、村ではこれぐらいのほうが何かと都合がいい。
「しかし『人避けの魔法』は珍しいものじゃないさね。私有地の境界、野獣避け、虫除け……。生活に必要な常用魔術として、類似の結界術があるだろう? それと間違えていやしないかい」
見習いの魔女の力量と知識を、慎重に確かめるように問う。
「そういった類のものとは違うと……思います。私が未熟なせいもあるかもしれませんが、その場に近づけないんです。すごく巧妙な術が施されていて」
自信なさげに、それでも誠心誠意に説明するマプル。
大先輩である魔女アルベリーナを前に、緊張しているのか杖を両手でつかみギュッと胸に抱いている。
アルベリーナの功績と功罪を全て知っているわけではないが、イオラから「ぐっさんと同じぐらい凄い魔女で、すっごい怖い」という話は聞いていた。
今や教科書にも載っている災厄――魔王の驚異を越えた超竜ドラシリア戦役での活躍。加えて最近ではルーデンスを覆った死の病の元凶、太古から蘇った邪悪な魔女ラファート・プルティヌスを倒した事も知られている。そんな相手と直接話しをしているのだから緊張するのも無理はない。
とはいえ今のアルベリーナに魔女的な要素は感じられない。メタノシュタット王国の軍服、伝統的な艦長の服装に身を包み、マント代わりの薄手のコートを羽織っている。長い自慢の黒髪が肩から胸に流れ落ちる。
「そうかい。確かに何やら妙な感じがするねぇ」
「こんな小さな村の事なので、王立魔法協会に手紙を書いても誰も来てくれなくて……。ちょっと困っていたんです」
「誰かが死んだり、魔物が湧いたりしたのかい?」
「いえ、それは何も」
「なら仕方ないねぇ」
事件未満の小さな出来事に、いちいち首を突っ込む物好きは居ない。魔法協会の魔法使いたちの多くは、日々不毛な魔法論議を交わすほうが有意義と考えている。こんな辺鄙な村に出向いて、初心者の魔女の疑問に応えてくれる物好きはいない。何の得にもならないのだから。
「ま、結界が得意な魔法使いといえば胡散臭いと相場決まっているけどね……」
アルベリーナは目の前のメガネ少女を見てメガネの賢者を連想する。
「結界といえば、偉大なる賢者ググレカス様ですね!」
マプルがぐるぐる眼鏡の奥で瞳を輝かせた。
そちらも魔法使い界隈では知らぬものは無いだろう。魔導を志すものならば、誰もが耳にする偉大なる現代の賢者の名なのだから。
「偉大ねぇ。アイツは自分が引き篭もるために結界を極めたようだけどさ……」
思わず苦笑するアルベリーナ。
確かに賢者ググレカスの結界術には一目置いている。
使いこなす結界の種類は実に多彩。防御のみならず触れた相手に呪詛を送り込むなど、攻防一体型の『賢者の結界』は忌々しいばかりだ。『隔絶結界』はあらゆる魔法攻撃を退ける、知る限りでは最強の結界術まで身につけている。
確かに、ここ二百年では見かけたことのないほどに卓越した「結界の使い手」であることは否めない。
だが、自らの館に強固な結界を何重にも施して、お気に入りの少年少女を連れ込んで住まわせているあたり実に胡散臭い。邪な下心を疑われても仕方ない男だ。
「なんでも時空の彼方に姿を隠すことさえ出来るとか! あっ……ご、ごめんなさい。賢者ググレカス様ならなんとかしてくれるかもって、イオくんは言うんですけど。手紙を書くのも畏れ多くて……。せめて偶然とはいえ立ち寄られた偉大なる魔女のアルベリーナ様に、せめてアドバイスを頂きたくて。
目を白黒させながら、慌てた様子で早口で弁解するマプル。
「あいつが出しゃばってくる前に、私が確かめよう」
「え!?」
意外な申し出に驚く。
「初々しい魔女の頼みなら、賢者ならホイホイ喜んできそうだがねぇ」
「あっ……ありがとうございますっ」
思いきり頭を下げた拍子にとんがり帽子が地面に転がり落ち、慌てて拾い上げる。
「その場所は遠いのかい?」
「いえ、馬車で半刻もかかりません。村外れの小さな山の中腹に……ほら、ここから見える森の向こうに赤い屋根が」
マプルが背伸びして指差す先。東の方角に広がるなだらかな山の中腹に、古びた建物の屋根らしい物が見えた。そう遠くはない。
「……ふぅん。なら早速見に行こうじゃないか。丁度いい隊員もいるのでね」
「はいっ、早速馬車を準備させていただきますっ!」
◇
馬車の御者はイオラが務めた。
屋根つきの客車、一頭立ての村内巡回用馬車に揺られながら目的地に向かう。
広大なジャガイモ畑を左右に眺めながら、さほど高くない里山へと向かう。かつては小さな集落があり、数世帯が住んでいたが今は無人の集落だという。
「マプルの話は以前から気になってはいたけどさ、事件は何も起こっていないんだよなぁ」
「そ、そうなんですけど……。魔法使いとして気になるという、かなんというか」
「人が消えたわけでも、魔物が出没するわけでもないんだぜ」
「うぅ、そう言われるとそうなんですけど」
魔女見習いのマプルは御者であるイオラの横で、杖を抱きしめている。客室に乗せてきたのが魔女のアルベリーナということもあり、イオラはちょっときまり悪そうなかおをする。
畑を荒らす野獣や魔物の駆除で『ジャガイモ騎士団』は忙しい。村境の警備の巡回もしながら仕事をこなすので、日々村じゅうを走り回っている。
「今のところ村じゅうからくる嘆願書や相談、報告では……あの辺りでは事件もないよね。実害も出ていないんだ。確かに古い廃墟、教会に近づけないみたいだけど……。無人の集落だしさ」
「だから変なんですよ」
「うーん、そういわれてみれば」
今のところ誰も困っていない。
近づく必要もないからだ。
だったら何故、人避けの結界などがあるのか。それがなんだか気になるし奇妙だとマプルは考えている。
「あたしゃ寧ろ気になるよ。魔女としてね」
「アルベリーナ様……!」
客室からの声にマプルは振り返る。
「プラムでお役に立てますかー?」
アルベリーナの助手として連れてこられたのはプラムただ一人だった。
他のメンバーは休憩中ということで村の中心部で待機中。
「立つともさ。プラムの手に宿る魔法を切り裂く力……。結界術がなんだろうとお構いなしだからねぇ」
アルベリーナがクククと笑う。
最強の結界を操る賢者ググレカスが生み出した、人造生命体のプラム。
その身に宿っていたのは、魔法円や魔法を容易く破壊し、切り裂く力。
魔法使いにとっては最悪の、有無を言わせぬ力の暴力だ。
賢者ググレカスを倒せる力を、自ら生み出していたとは。
なんたる皮肉だろう。
「着きましたよ、ここです」
馬車は静かに集落の小道に入り速度を落とす。
数軒の家々の屋根は崩れ、緑に侵食され森に呑み込まれようとしていた。かつて暮らしていた人々の気配は今は失せ、静かな時間が支配している。
その先に目的の教会があった。見た目はごく普通の小さな教会の礼拝堂。窓は割れ中は暗闇が支配している。屋根はまだ崩れておらず赤い屋根瓦が半分苔むしている。
「確かに、結界の気配を感じる」
「んー、何かが隠れてますね?」
<つづく>




