★みんなのチカラ
「賢者ググレカス! 私……妖精になったの!?」
小鳥のような大きさに変化したメティウス姫が、俺の目の前でふわりと浮かび始めた。その体は淡い光に包まれていて、魔力の幕で引力を遮断しているとわかる。
「あぁ、それが姫の……メティウスの新しい姿だ!」
自らの意志で強く願うことでこの世界の姿を変えることが出来る――。姫のそんな能力がこの奇跡を生み出したのだ。
妖精になり空を自由に飛びたいと願う少女の気持ちは、自らを縛る擬態霊魂の呪縛を解き放ち、外の世界への扉を開いた。
――成功だ……! ここまでは、だが。
これには勝算があった。神話の時代の伝説の賢者ヴィル=ゲリッシュの編み出したこの魔法、擬態霊魂に備わっていた隠しコマンド、「再構成」が思惑通り働いてくれたのだ。
捕らえた魂に、仮初の肉体を与えるこの魔法は、初期設定で与えられた構成要素を、後から操作したくなるのは至極当然の発想だ。
賢者ヴィル=ゲリッシュが生きていた時代は、ごく普通にこんな高度な魔法が用いられ、多くの魂をこの世に留めていたのだろう。
だとすれば、望んだ姿と違った場合はどうするのだろう? と俺は考えた。例えば後から「修正」や「再構成」したくなるのは人間の当然の欲求のはずだ。
髪の色や瞳の色、容姿や性別、年齢――。それら重要な構成要素を操作する術を、これほどまでに高度な魔法文明が用意して無いはずが無いのだ。
とはいえ、いかな検索魔法を用いても、この短時間で超古代の魔法を解析し、使いこなせるようになるわけではない。
だから俺は、姫の「世界改変能力(リローディアス」の力に賭けたのだ。自らが変わりたいと願うよう、外の世界への憧れと想いを奮起させ、変化の引き金を引いた。
「素敵……こんな奇跡みたいなことが本当にあるなんて!」
眩しいほどの笑みを浮かべ、くるりとメティウスが宙を舞う。
光の粒子がその後ろからキラキラと散った。
可憐な少女の姿そのままに大きさだけを減じ、背中には半透明の羽を生やしている。「車椅子」がメティウスをこの世界に縛り付けていた象徴ならば、「妖精の羽」は自由の象徴だ。
妖精になっても変わらないはちみつ色の柔らかな髪が、重力から解放されたことを喜ぶかのように金色の軌跡を描く。
そして身体を包む水色のドレスは、小さくなっても「おひめさま」の衣装そのままだ。
俺はしばしその幻想的な光景に目を奪われた。
と――、背後でまた書棚がメリメリと音を立てて砕け散る音が響き渡った。
のんびりして居る暇はなさそうだ。
図書館世界の版図は、急速に縮小していた。俺は無敵結界を半分以上を失いながらも時間を稼いだ。だが既に半径五メルテほどまでに闇が迫っていた。暗い虚無の宇宙には、得体の知れない仄暗い光が、俺達を狙う獣の目のように瞬いているのが見えた。
「ここを出ようメティウス! ちょっと、失礼」
「きゃ……わ!?」
俺はチョウを捕まえるような調子で、ぽんっ! と妖精メティウスを捕まえた。
そしてその体を「賢者の無敵結界」で包み込む。
――妖精のサイズなら、俺の結界による形態維持と「存在したい」と願う姫自身の力で、外に出ても行き続けられるはずだ。
両の掌で包み込んだ妖精は、重さはほとんど感じないが、まるで日光で暖めた綿毛を掴んでいるような、そんな暖かな感触が手のひらを通じて伝わってきた。
手のひらの中であちこち触りまくる妖精メティウスだが、くすぐったいだけだ。
「賢者ググレカスの手……なんて大きさなの」
「はは、やめてくれ!」
その時――、一斉に周囲の空間が狭まり、書棚が崩れ去ってゆく。図書館だった空間は足元も、必要のなくなった車椅子も、全てが粉になって消え、俺達は暗闇の中に放り出された。
「ぬ、ぅうう!?」
「きゃぁああ!」
落下しているのか上昇しているのか、それすら判らない感覚に思わず悲鳴を上げるが、戦術情報表示が警告を発し、俺の視界は赤一色で埋め尽くされてゆく。
外気温の計測限界超過、重力消失、それは警告のオンパレードだ。
――『緊急生命維持術式稼動――稼動臨界まで5分』
「賢者ググレカス、ここは!?」
「う、宇宙――空間!? メティウス、懐に隠れろ!」
俺は妖精メティウスをローブの内側に抱え込んだ。そういえば他にも仲間達――数多くの検索妖精達がへばりついているんだったな。
ここが擬似的に造られた宇宙なのか、虚無の空間なのかは判らない。
だが、今の俺の力で破れないことはないはずだ。俺は冷静に右手に自律駆動術式「手刀」を展開し、更に極限まで強化した「結界」を極薄の刃物のように纏わせる。以前、魔王デンマーンが俺を閉鎖空間から救い出してくれた技を真似るのだ。
擬態霊魂を封じ込めていた閉鎖空間をぶち破ろうとした瞬間――、
何もしていない目の前の空間が、ビキッ! とひび割れた。
俺は驚き身構えるが、そこから漏れてきた暖かな光と声に俺は「あ、あぁ!?」と思わず呻いていた。
「……ま! ググレ……さまぁああーっ!」
「プ……プラム!?」
「いたのですー! やっぱり……ここなのですー!」
「プラムなのか!?」
「うっ、ん……、にゃぁあああああああああーっ!」
ひび割れた空間の隙間から細い指先が差し込まれたかと思うと、一気に空間を引き裂いた。
六角形の光芒を放ちながら両手で空間を引き裂く様は、まるで福音の使徒のようだ。
「プラム! おまえ……! どうしてここに!?」
俺はその穴から伸びていた「糸」に気がついた。それは俺の両手から伸びていたマニュフェルノの魔力糸と、レントミアの魔力糸だった。
二人の糸は切れることもなく外の世界までずっと繋がっていたのだ。
――魔力糸を辿って、俺を探しに来てくれたのか……!
それは魔力糸を見る事ができ、触れる事ができるプラムの力の賜物だった。
空間を切り裂くのは無我夢中だったのかもしれないが、指先で魔法の糸をつかめるのなら、それも不可能な事じゃない。
事実、魔王デンマーンはそれをやってのけたのだから。
「グ、ググレさまなのですー! やっぱり……食べられていたのですねー!?」
俺を見つけたプラムが、緋色の瞳に涙を浮かべ、叫ぶ。
だが、俺の浮かんでいる場所は、穴から想像していたよりも距離があった。腕を伸ばしても届かない闇の底に俺は埋まっているようにみえるのだろう。
魔力強化外装――いや、なんでもいい。魔法力を単純に噴出してでも構わない、プラムたちのところまで飛翔すれば……!
「プラムにょ! そのまま支えておれ! ここはワシがっ!」
そして更に空間の裂けからもう一人、ヘムペローザが顔を出した。
腕を差し出すと、俺めがけて緑色の光を放つ。それは一瞬で俺を照らし――僅かな間に「つる草」へと姿を変えてゆく。
それはヘムペローザが手に入れたばかりの魔法だった。
「お、おぉおお!?」
光は丈夫なつる草に変化し、ぐるぐると俺に巻きついた。それはツタのように絡まりあいながら、強度を増してゆく。
「イオ兄ィ! リオ姉ぇ! 頼むにょぉおお!」
「――あぁ!」「賢者さま、今、おたすけしますっ!」
「お、お前達!?」
更にイオラとリオラが加勢する。俺は嬉しさのあまり、葉を茂らせ始めたつる草をぎゅっと掴んだ。
「せーのっ!」「えいいっ!」
イオラとリオラがヘムペローザの伸ばしたつる草を掴み、一気に引き寄せた。
まさかのちびっこ達の連携と、兄妹の息のあった「一本釣り」で、俺は意外なほどにあっさりと暗黒の空間から救い出された。
俺はそのまま床に投げ出された。腰を売ってうぅ、と顔をしかめ、頭を振りながらメガネを直し、周囲を確認する。
すると、そこは図書館の二階の、見慣れた書棚の隙間だった。
「賢者さま!」
「ぐぐれさまぁああああ!」
「賢者にょぉおお!」
プラムとヘムペローザが、俺に飛びついてきた。俺を頼りにしてくれる柔らかくて暖かい感触に、心癒される気分だ。
午後の傾いた日差しの差し込む床には、うっすらとホコリが積もっている。
俺が忍び込んだ時と何も変わらない、時間の静止したような図書館の光景が広がっていた。俺は4人の顔を見回して心底ホッとした。
よろよろと立ち上がり、一人ひとりの顔を確認する。
「たすかったよ、みんな……、ほんとに……ありがとう」
俺はぐったりとしながらも笑みを零した。
リオラやヘムペロは安心したという様子で肩の力を抜いた。プラムはへたり込んでしまっていたが、体を支えて立たせてやる。
「プラムに助けられるとはな、びっくりしたよ」
「ググレさまが急に居なくなって、プラムは心配で心配で……図書館の中を探しまわったのですよー!?」
えぐえぐと嗚咽し始めたプラムを、ぎゅっと抱きしめる。ほんのりと甘いお菓子のような甘い香りは間違いなくプラムだ。
「ごめんなプラム。もう……一人にしないと言ったのにな」
「ったく賢者にょは、目を離すとフラフラと消えおるからにょ」
ヘムペロもそういいつつも、ぎゅっと俺にしがみついたままだ。ほんの少しの散歩のつもりが、かなり心配をかけてしまったようだな。
「ヘムペロもあんな魔法の使い方をするなんて、良く思いついたな」
「にょほほ! 『けいけんち』の差という奴にょ!」
えへんと鼻高々でふんぞり返ってみせる褐色の肌の少女の頭を俺は、ぽんぽんと撫でてやる。
「そういえばさっきプラムにょ、似たような絵本を読んだばかりだにょ?」
「あ……ヘムペロちゃん! プラム読みましたー、えと……」
ヘムペロの言葉にプラムが指先をこめかみに当てて考える。
「大きなカブ、だろ? ったく。ぐっさんは煮ても食べられないし……。し、心配させるんじゃねーよ」
ぷいっ、とイオラが膨れた顔でそっぽを向いた。
ぐっさんと呼んでくれた頼もしい少年の肩を、俺はこぶしでコツンと叩く。
「イオラ、ありがとよ」
「礼ならリオにいいなよ。買い物していたら、やっぱり心配だから図書館に戻ろうって、急に言い出してさ」
リオラは唇をかんで半分怒ったような、嬉しそうなそんな表情を浮かべている。
「リオラ……君の勘というやつか」
「図書館で浮かれている賢者さまを見て、ちょっと不安になっただけです」
拗ねたように頬を膨らませる。
少し不機嫌そうな表情も実にリオラらしい。
「あ、はは……まいったな、確かに浮かれていたのかもしれないな。リオラはいつもしっかりしていて、俺は助けられてばかりだな」
「賢者さま、そんな……」
「ありがとうリオラ、そしてみんな」
俺は改めて礼をいうと、鼻から深く息を吸い込んで深呼吸。
背筋をすっと伸ばし、
「みんなに紹介したい人がいるんだ」
と切り出した。
浮かれついでにもうひとつ、サプライズだ。
「え……?」「誰もいないですよー?」
「メティウス、もう出てきても平気だよ」
「――は、はいっ!」
何処からともなく聞こえた綺麗で小さな声に、皆がぎょっとして辺りをうかがうが、当然誰もいない。
俺はローブの内側に一度手を差し入れて、そっと皆の目の前に差し出した。
途端にわぁ!? と歓声が上がる。
そこには――、本当におとぎ話に出てくるような、妖精がいたのだから。
「妖精!?」
「す、すげぇ! 初めてみた!」
「すごいのですー! 本物なのですー!」
「賢者にょ……また女の子かにょ……」
イオラもリオラも目を丸くして驚き、感嘆の声をあげる。プラムはそれはもう目をキラキラさせて大喜びだ。
ヘムペローザだけが小姑のような呆れ顔だがとりあえずスルー。
「は、はじめまして……、メ、メメティウスです!」
妖精は緊張のあまり、おもいっきり噛んだ。
「というわけで、よろしくな、皆」
<つづく>