北の国からの帰路 ~ファリア王女の頼み事(前編)~
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メタノシュタット王国属領、ルーデンス特別自治区・首都アークティルズ。
深い森に囲まれた美しい街に、舟が近づいていた。
見た目は船そのもだが、違うのは浮かんでいるのが海上でなく、森の上だということだ。密度の濃い梢の上を、まるで波間を進むように移動している。それはルーデンス北方森林資源調査隊、旗艦『ホウボウ号』だった。
帆や櫓は見当たらない。代わりに船底から甲虫そっくりの脚が六本生え、舟を推し進めている。ゴーレムを駆動させる魔法により制御された金属製の脚部。それらを巧みに動かしながら昆虫のように歩いている。
『ルーデンス王国調査隊旗艦、『ホウボウ号』帰還しました、入港の誘導をお願います』
「――帰還を歓迎する! こちらの誘導をまて」
船から聞こえてきた声は女性のものだった。アークティルズを囲む塔にいる監視員と管制官は、魔法通信具を通じ連絡を取り、王城へ調査隊帰還の報告を送る。
「アークティルズ城への接舷を許可する。しかし現在、南側回廊は商隊の入国で混雑中、北側の搬入経路を利用せよ」
塔の上に立った管制官が、手旗信号を掲げ『ホウボウ号』を街の北側へと誘導する。
『――了解』
舟はゆっくりと進路を変えながら城塞の北門を通過、街の人々の大歓声を受けながら、ルーデンスの中心に位置する城へと近づいていった。
◇
「減速、微速前進。転換……アークティルズ城、北側船着き場へ接舷します」
『ホウボウ号』の操縦席では、竜人の娘アネミィが操舵桿をゆっくりと動かしながら、船を巧みに操作し船を横付けする。
海に面してはいないが、城の周りには深い堀があった。そこに木々を組み合わせた足場と「船着き場」が設けられ、城内へ直接入城することが出来る。
船着き場の作業員がロープを投げ、『ホウボウ号』でそれを受け取る。受け取ったのはプラムとチュウタだ。ロープで船を固定するとゴーレム式の脚部も稼働を停止した。
「ご苦労だった、アネミィ」
艦長席で魔女アルベリーナが安堵した表情で、結わえていた黒髪を解く。
「どういたしまして艦長。今回も楽しい旅でした」
「それは何よりだ」
アルベリーナが立ち上がる。肩からローブ代わりに羽織っているのは、船の艦長が身につける紺色の制服だ。
今回のキョディッテル大森林の資源調査は、多くの成果があった。
広大な森林地帯は、極北の大地を統べるプルゥーシア皇国との国境線が曖昧である。そのため、メタノシュタットとルーデンスによる実効支配を示す、という大義を掲げての調査だった。
無論、本来の目的は学術的、生物学的な調査なのだが。
重要課題であった『レギュオスカル・分裂体』の分布調査は、予定されていたエリアを調べ上げた。プラムによる新種の生物、スライム類のサンプル収集も順調だった。
だがやはり問題もあった。
予想はされていたが密猟者、特に武装した「闇ハンター」との遭遇だ。彼らによる違法な密猟の実態、および攻撃性も明るみになり、現場での実力行使、排除を行わざるをえなかった。
謎のプルゥーシアの魔法使いの存在も浮かび上がった。ゼロ・リモーティア・エンクロードと名乗る存在による、何らかの「遠隔操作型」魔法実験が行われている。
――退屈しないねぇ。これでこそ人生だ。
アルベリーナは船を降りながらほくそ笑む。
沈黙の国、極北の大国プルゥーシアで何か不穏な動きがある。
報告は王都メタノシュタットに戻ってからだ。まずはルーデンスを母港とした調査隊の補給、および乗員の休息をとる。
その後はティバラギー村を経由し、王都メタノシュタットに戻るのだ。
「久々の休暇だ、羽を伸ばそうじゃないか」
「はいっ!」
アルベリーナ艦長の言葉通り、竜人族のアネミィは、背中の蝙蝠のような羽を伸ばした。
船着き場では、接舷作業を手伝っていたプラムと騎士チュウタが待っていた。
「チュウタくん、ファリア姉ぇが待っているそうですよー」
「プラム、ここではファリア王女様……なんだけど」
「そうでしたねー。ファリア姉ぇは今、ここの王女さまですからね」
「でも、セカンディア王子が復帰され、王位を継承したようだし。ファリア王女様はすこし肩の荷が降りたんじゃないかなぁ」
「じゃぁ、もしかしてヒマですかねー?」
「それはどうかなぁ」
二人は談笑しながら城の案内係を待っている。
ここは、ルーデンス特別自治区・首都アークティルズ。
王都メタノシュタットから直線距離にして約五百キロメルテ北に位置している。
美しいルーデンス最大の都は、古都としての優美な雰囲気と、城の造形と相まって何とも言えない風情がある。
ファルキソス山脈の南側に位置する山裾に広がる都は、かつては勇猛は部族連合国家ルーデンス王国の首都だった。周囲には針葉樹の原生林が広がり、北方地域と呼ばれる領域を版図とするのは、属領となった今も変わらない。
温泉街ヴァースクリンや周辺の村々、農業生産地として名高いティバラギー村、シィボ辺境領、ファトシュガー辺境領などの「北方文化圏」を束ね、それらはかつて存在した「古の王国」をルーツとしている。
「プラム! それにチュウタも……ははは、久しいな!」
張りのある元気な声が響いた。
渡り廊下の向こうから、ルーデンスの伝統的な狩猟装束に身を包んだ女性がやってきた。
左右に屈強な男たちを従えている。
「ファリア姉ぇ……王女様!」
「お久しぶりです、ファリア王女」
プラムが瞳を輝かせ、思わずはね上がる。チュウタは騎士らしく恭しく礼をする。
「堅苦しいのは無しだ、私たちは家族だろう?」
「ですねー! ググレさまの家族ですー」
「もうプラムってば」
「いいじゃないか騎士アルゴート、いや……チュウタ」
「ファリアさん……」
ファリアのきりりとした顔に笑みが浮かぶ。しかし周囲の男たちに負けない凛とした空気はやはり王族の威厳を感じさせるには十分だ。
「任務ご苦労様だ。簡易報告は聞いているが、いろいろ大変だったようだな」
「はい。けれど良い経験になりました」
「それはなによりだ。エルゴ……いや兄上も喜ぶだろう」
ファリアは子の成長を見守る親のような優しい眼差しを向ける。
ファリア自慢の長い髪は、ポニーテールのようにひとつに結われている。輝ける銀狼の尻尾を連想させる美しいシルバーの髪に目を奪われる。
「アルベリーナ殿もアネミィも兄も健在だな?」
「はい無事です。いま来ると思いますけどー」
「それでなプラム。実は、ちょっと相談があって……」
「おー、なんですかー?」
「ここではなんだ、あとで私の部屋に来てくれ」
小声でプラムに耳打ちするファリア。それは正式な仕事や命令とは違う、姉が妹に語りかけるような声音だった。
<つづく>




