賢者、実質的に負ける
炎の壁を切り裂いて、鋼色の尻尾が迫ってきた。
『どれほど魔法結界が強固であろうガッ……!』
物理攻撃までは防げまい、か。
強烈なブレスの放射は結界を飽和するための牽制、本命は長大なリーチを持つ尾による殴打というわけか。
「そうくるかっ」
バックジャンプで間合いをとるか、上空へ逃れるか。いや、そのどちらも危険。
こちらが『認識撹乱魔法』を展開していることを前提に攻撃している。幻を見せ位置情報を欺瞞していることに気づいている。
だから一撃目はブレスによる放射。炎のゆらぎや影などの視覚情報から位置を補正し、認識を2メルテほど実態からズラしていることに気がついたのだろう。
だから薙ぎ払うような横薙ぎの尾による攻撃を選んだ。
ならば!
俺は大きく腕を振り『粘液魔法』を展開。地面から迫り上がるように、分厚い物理障壁を生成した。
「表面はヌルヌル」
尾は直撃するが、傾けた粘液質の壁で弾く。ズルッ……! と、滑りながら長大な尾は頭上を掠め通り過ぎていった。
『……何ィイ!?』
「避弾経始というやつだ」
そのまま勢い余ってドラゴンは体勢を崩す。そこへ生成したスライムの壁を触腕に変化させ、逆にムチのように叩きつけた。
『ズギャッ……!』
尻尾を振りすぎた事が追い打ちをかけた。大した力を加えずとも横転。ズシィイ……と倒れ込んだ。
「その体に慣れていないな?」
『グッ、ガァアアアッ……!』
指先で指揮をするようにスライムの触腕で地面に縛り付ける。人間だったときと同じ結末だ。ギリギリと締め上げて、ジ・エンド。竜化しても俺には通じない。
――警告! 全方位魔力反応!
『戦術情報表示』が真っ赤な警告を発した。
「なにっ!?」
俺はそこで気がついた。奴のドラゴンの体の変化に。
体表面の背中の大部分から、鋼色の鱗が消えていることに。
『カカッ……タァアアッ……!』
ハッとした。俺を囲むように竜の鱗が無数に浮いていた。鋭い鋼色の鱗に包囲されている。
火炎のブレスと尻尾によるコンボ攻撃に気を取られ、鱗まで使った三連撃の重ね技だと見破れなかったのだ。
「しまっ……!」
ドラゴンの瞳がギラリと燃え上がった。
『くらぇガァアッ! 竜刃結界陣ッ……!』
戦闘用の索敵結界に表示された赤い輝点は百を超えている。
フィルドリアが叫ぶと同時に、一斉に鋭い刃が襲いかかってきた。
全ての鱗に、結界を切り裂き、切れ味を増す魔法術式がかけられている。
全方位から、凶悪な光を放つ鱗が迫る。
展開済みの『賢者の結界』では防げない。
ジャンプして逃げても包囲されている以上、かわしきれない。
スライムの鞭による迎撃は可能だが、数が多すぎる。
物理攻撃、魔法攻撃、あらゆる攻撃に対して完全なる防御能力を有する『隔絶結界』。それならば防げるが励起するには時間が足りない。
これは、詰んだ?
『勝ッ――!』
フィルドリアが勝利を確信したように叫んだ、次の瞬間。
ズドドドッ、ドッ……! と、衝撃音とともに無数の鱗の刃が、ドラゴンの体に次々と突き刺さった。
『なッ……にぃッ!?』
「二重に『認識撹乱魔法』を仕掛けていたことには気づかなかったようだな」
ドラゴンの全身から血が噴き出す。
『バカな、そんな……ギィヤァ……アアアッ!?』
ダメージを受けたドラゴンは動きを止めた。自らの体から鱗を剥がし、攻撃に使ったことが仇となった。攻撃がすべてそのまま自らに跳ね返されたようなものだ。
ブレスと尾の攻撃により、正しい位置を認識したところまでは良い。だがもう一つ、奴の目に『認識撹乱魔法』を仕込んでおいたのだ。
あくまでも「正常」に見えるような状態で潜ませ、イザというときの保険として。
俺はスライムの鞭で叩きつけ奴を地面に倒した後、反撃に備えて位置認識のズレを拡大させた。それで狙いを逸すことが出来たのだ。
「正直、危なかった」
この空間に来る段階で、準備をしていなければ。
俺は負けていた。
『……ググレカス何故だ、何故……痛みが無い?』
ドラゴンが首をもたげた。
体には痛々しい傷が無数に生じている。すべて自らの鱗で受けた傷だ。だが、痛覚や苦痛がない事に驚いているのだ。
「フィルドリア、君は優れた魔法使いだ。敬意を表するよ」
『そ、そういうことではない……! これはどういうことだと聞いているんだっ』
どしゅうぅ……うぅ、と『竜化』が解け次第に人間の姿へともどる。
「この空間は魔法で構築した仮想空間。まぁ一種の固定された結界空間さ。練習試合のための空間だから、痛みがフィードバックしないようパラメータを調整してあるんだよ」
「なっ……? パラ……? なんだ……調整、だと?」
唖然とした様子でフィルドリアが両膝を床についた。
自らの身体に何の傷もダメージもない事に衝撃を受けたようだ。
世界樹には、聖剣戦艦――『蒼穹の白銀』の残骸が埋まっている。そこで発掘された機能。生きていた中枢の予備回路。
それが『予備演算魔導回路』だ。
その膨大な魔法演算機能を流用。魔法による仮想現実の遊戯を高速演算し、実現しているのがこの空間だ。
「私は、全て貴様の手のひらの上で、踊っていた……というわけか」
ガクリと肩を落とし自嘲気味に笑う。
「いやいや、魔法の発動や能力はそのまま再現してある。君の力は本物だ。あくまでも結果と現象のみを再現し、脳内にフィードバックしているだけさ」
「……貴公とは次元が違うのだな」
序列7位という以上、常に力の上下関係の明確な世界で生き抜いてきた男だ。やはり力と力をぶつけ合ってこそ理解し合える。
「協力いただきたいことがあるのだが、話を聞いてもらえるかな?」
「祖国は裏切れぬ。……それ以外なら」
「そうこなくては。メティ、終了してくれ」
『はい、賢者ググレカス』
視界がゆらぎ、モザイクタイルのように崩れながら、仮想現実の遊戯空間が消えた。
<つづく>




