序列7位、フィルドリアの逆襲
◆
ろくな魔法も使えぬ道化だと侮っていた。
――愚者ググレカス……!
だが、奴と戦って理解した。
生意気で小癪な若造には違いない。だが非常に狡猾で、臆病なまでに慎重。しかし恐ろしく頭の切れる魔術師なのだ。
経緯や手段はどうあれ、我が国が誇る偉大な魔道士たちを、次々と屠ったという実力は伊達ではない。
薄笑いをうかべた口元、メガネの奥で光る怪しげな眼光。あれは最初から勝利を確信した目つきだった。
侮っていたのは確かだ。
此方の動きは、奴のテリトリーである世界樹に来た段階から筒抜けだったのだ。
我々が事件
を起こす事を予見し、あらかじめ術式や魔方陣を準備し、罠を張った。奴に有利な状況に誘導できるよう、準備万端に整えていたに違いない。
そうでなければ「あり得ない」のだ。
世界樹という「地の利」はあるにせよ、これほど一方的に屈するなど。エリートたるこの私に、敗北など許されない。
手も足も出なかったのは事実だ。
いくら歯噛みしたところで事実は変わらない。
今もこうして魔法封じのロープでがんじがらめにされ、目隠しされたまま、何処かへ移送されている最中なのだから。
大方、衛兵の詰め所か拷問部屋か。とりあえず今は様子見といこう。刃を背中に突き立てられていては流石に危うい。
「おのれググレカスめ……」
「いいから黙って歩きな。おっと足下に段差があるぜ」
「くっ、こんな目にあわせて、ただではすまぬぞ」
「もう済んでないだろ。お前のほうが」
「ぐぐっ」
自警団だか衛兵だか知らぬが、無礼ものが。あとで残酷な死をくれてやる。
そもそも我がプルゥーシアでは、無知蒙昧で神秘の力を持たぬ哀れな者共は、犬畜生となんら変わらない。
我らのように魔法を使える偉大な者のみが「人」であり、尊敬と畏れを込めて「魔法使い」という呼称が与えられる。
魔法を使えぬ憐れな虫けらどもは、我々に畏敬の念を持たねばならない。
序列7位。
私――フィルドリアはその中でも特に位の高い存在だ。
魔法をもって生まれし者たちの頂点、それが偉大なるプルゥーシア皇国の魔法の権威機構である『魔法聖者連』だ。
口にはせぬが、皇帝陛下でさえ飾り物に過ぎぬ。
我ら『魔法聖者連』の魔法使いこそが真の支配者、神に選ばれし存在なのだ。
特に実力によるランキング制度は絶対的な強さの象徴だ。
序列13位の筋肉バカ、リュードックとは格が違う。
生まれながらにして魔法を操り、天賦の才を持つものだけが魔法聖者連への参加を許可される。その後は、苛烈な競争の実力社会。
定期的に行われるランキング戦により序列は容易に入れ替わる。
序列ランク「一桁台」は才能のみならず、血の滲むような努力の末に掴みとった、名誉ある称号なのだ。
にも拘らず……!
奴はそれを踏みにじった。
忌々しいクソメガネの若造が。
そもそも、このメタノシュタットという国はなんだ?
神聖な魔法を安物の道具に封じ込めて使い、あまつさえ市民に供している。
魔導列車は確かに便利だが……。傀儡だのゴーレムだの、そんな玩具を魔法で動かすことにばかり傾倒している。
誤った魔法の発展は、世界の秩序を乱す。
この国の魔法使いは愚かで、魔法の真理を見誤っている。
いや、狂っていると言ってよかろう。
愚鈍たる国家による悪しき魔法の乱用。
その震源地こそが、『世界樹』であり、メタノシュッタト王立魔法協会だ。中でも核心的な役割を果たしているのが邪悪なる道化師、ググレカスだ。
道化師風情が……。
ぎりりと拳を握りしめる。
絶対に許さぬ。
次こそは『古の魔法』を励起する。
全魔法力に己の命を触媒とした究極の魔法。己の肉体を再構成する『竜化』の術。
神聖なる神話時代の千年帝国の魔法使いたちが使いこなしたという秘術を、我ら『魔法聖者連』は継承している。
魂を操り、肉体をも操る。
それこそが魔法の真髄。
神域に達する神の御威光の具現化なのだ。
一度使えば元に戻った後は身動きが取れぬ。まさに切り札。スキを見計らい一矢を報いてやる。
噂では、ググレカスという男、出自が不明の怪人物だ。
由緒正しき魔法使いの血統ではないという。何処の馬の骨とも知れぬ輩。魔王大戦の最中に忽然と、何処からともなく現れたという。
運良く重ねた勝利により、たまたま成り上がっただけに違いない。
なれば慢心し、己の力に酔い、油断もスキも必ずある。
とはいえ注意は必要だ。
伝説とまで讃えられし聖人、究極の転生術を会得されたバッジョブ様が倒された。
歴代最強と詠われし、氷結の魔法使いキュベレリア様もそうだ。
次々とググレカスに敗北を喫した。
殊にもキュベレリア様は、数年間序列の一位を維持していた最強の実力者であったというのに。
いや、そもそも我々がこの世界樹へと足を運んだ目的は別にある。
ググレカスは嘘か真か、生命の神秘、魂の根源に迫る『賢者の石』を創造したという。
馬鹿馬鹿しいデマだ。どうせ紛い物、偽物のまやかしの類いには違いないが、噂が噂を呼んでいる。本国の『魔法聖者連』の大合議では、死者の復活を可能とした『賢者の石』の存在を確かめるべきだという意見に傾いた。
死者の蘇生が事実なら、奴は理に反している。
魔法秩序の破壊者、赦されざる罪人なのだ。
周囲がいつのまにか静かになっていた。
自警団員共の気配が消えた?
「気分はどうかな、フィルドリア卿」
と、声が聞こえてきた。
その声は、ググレカスか。いつのまに。
「…………貴様ッ」
「まぁまぁ、話をしようじゃないか」
目隠しが外された。
「くっ?」
身構えるが、明るさに目が慣れるまで数秒を要した。
天井が高い。大理石風の石の柱が林立し、礼拝堂……いや、地下墳墓のようだ。
高い位置にスリット状の窓があり、まばゆい光が差し込んでいる。
周囲にはやはり人の気配がない。
「君のお友達も無事だ。今は別室だがね」
「……」
相棒のリュードックの姿もない。おそらく殺されたか別の場所で拷問でもうけているのだろう。
真正面に視線を向ける。
10メルテほど先、スポットライトのように光が斜めに照らす場所に、奴がいた。
――ググレカス……!
ふさふさの黒髪に丸いメガネ。長身で細面。飄々とした雰囲気。
間違いなくあの男だ。
年の頃は二十代前半か。魔法で姿を偽った大賢者という話もあるが、定かではない。
街で見かけたら病弱なインテリ書生と大概の人間は思うに違いない。
緊張感のない顔も、未熟さを感じるには十分だ。
「心配はいらない。この場所は封じられた特別室でね。俺と貴殿以外は誰もいない。他の者が手出しすることもないよ」
「信じるには足らぬな。どんなまやかし、幻惑の魔法を仕込んでいるやもしれぬ」
「まぁ、そう思うのも無理はないか」
紺色の生地に金糸の縁取りをあしらったマントを偉そうに肩に羽織り、余裕の雰囲気を湛えている。
紺色の分厚い生地のマントも不相応だ。メタノシュタットの魔法使いたちにも序列があり、白や黒、紺色は最上位クラスだから要注意。それ以外の赤や緑マントは中級以下の雑魚ばかりだときく。
そういえば、肩の近くを漂っていた妖精の姿も消えている。
本当にこの場所に私と二人きり、ということか?
「信じられぬ」
「それもそうだね。ならばそのロープから開放しよう」
すっと腕を動かすと魔法のロープが解けて、するすると床に落ちた。
全身が解き放たれ、楽になる。
「……!?」
「これでいいだろう」
血が巡るように、全身に魔力の流れを感じる。
――やれる……!
その間に体表面で魔法円を描き、『竜化』の魔法を励起する。
発動に必要な時間はおよそ90秒。
呪いや魔眼を阻害する術式を編み込んだ衣服により、奴からは見えないはずだ。
いや、まて。
だめだ。まだ油断するな。
ロープを解いた魔法は、魔力糸による干渉だろう。しかし何をしたのかわからなかった。
報告によればググレカスは、極めて高度に隠蔽化された魔力糸を使うらしい。不可視処理された魔力糸ほどやっかいなものはない。
相手がどんな魔法円を描き、呪文で魔法を編んでいるのかまるで掴めないのだから。
あるいは、呪文の詠唱さえも必要としないのなら、やはり奴は生粋の魔法使いなのか?
まさかな。
しかし本物の「大魔法使い」ならば、相対した瞬間からわかる。
本能が危険を察知する。全身の毛穴という毛穴から、冷たい汗がどっと噴き出すような圧力を感じるものだ。
だが、奴にはそれがない。
「君は『賢者の石』を知っていたようだね」
「……あぁ、プルゥーシア本国では話題になっている。偽物をどうやってこしらえたか、とね」
挑発してみるが奴は「ははは」と笑うだけだ。
「最近、おたくの国の術者が、我がメタノシュタットに絡んできて困る、と苦情があがっていてね。北の森、キョディッティル大森林。西の砂漠、イスラヴィアでも騒ぎを起こしているようだね」
「知らぬ。どこぞの跳ね返りものの仕業だろう。余程、メタノシュタット人の素行が悪かったのであろう」
「『ゼロ・リモーティア・エンクロード』をご存知か? 素行不良の同僚を襲った犯人が名乗った名前でね」
「……ゼロ? 聞かぬ名だな」
「うん。そうだろうとも。俺も(※検索魔法で)調べたけれど君たちの名簿には無かったんだ」
「名簿……?」
「あぁ、確か『魔法聖者連の魔法使い名鑑』だったかな。それによると三ヶ月に一回、試合をするのかい? いやぁ大変だね。ランキングが入れ替わるなんて。でも、面白そうではある。ふむ」
メガネのブリッジを指先で持ち上げると、レンズがギラリと光を撥ね返した。
それは、門外不出の我らの聖典――ッ!
「き貴様ッ、何故、それをどこで……!?」
「フィルドリア卿は前回は序列10位から7位に躍進したんだね。凄いなぁ」
何処までも愚弄するか!
「メガネを叩き割り、地面に這いつくばらせてやる……! ――我が血に宿りし、いにしえの魔素よ! 契約に従い竜血を生じよ、肉を成せ、鋼の鱗を、爪を……ッ……!」
――『竜化』魔法ッ……!
ゴァガァアァアアアアアアアアア……ッ!
全身が光の粒子と化し、意識が飛ぶ。
そして渦を巻きながら収縮し、凝固。肉体がドラゴンへと再構成されてゆく。
太い両足、長大な蛇のような尾。分厚い鱗に覆われた体。鋭い爪をもつ前足に、鋼鉄をも噛み砕く牙。背中の羽はコウモリそのものだが、魔法力の発散により空中に力場を生じさせ、浮遊する魔法器官。
『ギャラァアアアス、グフ……ゴフ……グゥグゥレカァアアス……』
ごふぅ、と口から溢れそうな炎の吐息を飲み込む。
かろうじて繋ぎ止めた意志を竜と化した我が身に託す。
目の前の男を、賢者ググレカスを殺る、と。
「お、おぉお……!? 凄いな……」
◆
やはり使えたか『古の魔法』を。
「流石は序列7位……! そうこなくては」
我が好敵手、ノルアード公爵を彷彿とさせるドラゴンだ。あの男の化けた本気のドラゴンは黄金色だった。
神々しいまでの姿で飛翔し、強烈なブレスで山を穿ち、海を切り裂いた。俺を敗北寸前まで追い詰めた。
ドラゴンの色は、術者の性格や魔素、そして力量により変化する。上位であればあるほど鱗が硬く、金属の光沢を宿すという。
そして、目の前の男の化けたドラゴンも磨かれた鉄のような鱗におおわれている。
「鋼色のドラゴン。メタリア・ドラゴンとでも呼べば良いのか?」
全身が鋼色の鱗に覆われた体は、おそらくは魔法の装甲だ。魔法も、矢も剣も通すまい。
口から吐き出される炎のブレスは例がいなく凶悪だ。鋼鉄の盾でさえ、飴細工のように溶かす熱量を放つ。
ズシィ、と後ろ足を踏み出すと床が揺れた。質量まで変化するのは、魔素の特性を変化させることで周囲の元素を取り込むからだという。
『ブボッ、ブハァアアアアアア……ッ!』
肺で練り上げた超高温の炎のブレスを、前触れ無く吐きかけてきた。
「うおっ、『賢者の結界』戦闘出力……!」
通常展開の十六層に加え、耐熱、耐衝撃特性を持たせた結界を更に三十六層、前面に集中展開する。分厚く重ねた結界で、前方の視界が磨りガラスのように歪む。
『ゴブァアアアッ……ッ!』
一瞬で炎の渦に飲み込まれ、周囲が真っ赤に染まる。
結界を二、三枚張るのがやっとの術者ならこの一撃で黒こげどころか灰になることうけあいだ。
「ぐぁ、熱ッちちち」
炎自体は防げたが、すごい輻射熱で焼かれそうになる。慌てて体表面に達した熱を地面へとアースする『熱移送術式』を結界の内側で追加展開する。
「っと、危ない危ない……」
分厚いスライムの層で全身をヌラヌラと覆っても炎は防げるのだが、「気持ち悪い」「近寄りたくないにょ」とレントミアとヘムペローザの評判がよろしくなかった。
――警告、追加増設魔法結界が第十二層まで消失。更に十三層耐久限界……焼失。十四層侵食……耐久限界……!
『焼けシネェエ……ガァアアッ!』
「随分と長いなッ」
俺が思った以上のブレス照射に、凄まじい気迫を感じる。
『戦術情報表示』が次々と警告を発するが、まだ耐えられる計算だ。
「んっ?」
違和感を感じた次の瞬間。
ブオッ……ン! と炎の壁を切り裂く音とともに、鈍く輝くムチのようなものが迫ってきた。
『くらぇええッ!』
「なにぃ!?」
――尻尾による物理攻撃ッ……!?
火炎のブレスは目眩まし。この一撃を隠すためだったのか。
<つづく>




