賢者の登場は粘液と共に
「そろそろ出てきたらどうっスか、賢者ッス」
犬耳のマダム、セクシー半獣人のスピアルノは俺の潜む方向に視線を向けた。
彼女の背後には保護したロベリーとパドルシフがいる。
「賢者ググレカス、そろそろお出ましになられては?」
肩には目覚めたばかりの妖精メティウスが腰掛けている。うんっ、とあくびをしながら両腕を伸ばし、背中の羽をパタつかせる。
「うーむ、流石はスピアルノ。気づいていたか」
最高のタイミングで華麗に登場してやろうと、機会を窺っていたがバレてしまっては仕方ない。
「家族ぐるみのお付き合いも長いですからねぇ」
「そんな理由で俺の魔法が破られては敵わんのだが……」
「うふふ」
俺は今、魔法の偽装膜の内側に隠れている。
高密度の『認識撹乱魔法』を絶賛展開中。普通の人間にはもちろん、腕に覚えのある魔法使いであろうとも視界から消える魔法だ。見えているのに見えてはいない。つまり透明人間と同じになれる。
更に『動的逆位相・索敵結界』を展開。これは魔力波動の自動可変解析術式を備えた特殊な索敵結界だ。これにより相手の魔法使いが発する『敵影検知』などの魔力波動を相殺できる。
つまり「人間の目」だけでなく「魔法の目」からも姿を隠すことで、完全に|隠遁(ステルス化)できるのだ。
事実、こうして近寄っても尚、頭に血が上ったプルゥーシアの魔法使い達には見えていない。
連中の背後に忍び寄り、このまま尻に「カンチョー」をかましてやってもいいくらいだ。
ところが、スピアルノは付き合いが長いだけあって、場の「違和感」を肌で感じ、俺が息を潜めていると判断したようだ。
「姿は隠せてもニオイは隠せないッスよ」
スピアルノが鼻をすん、と鳴らす。「臭い」ではなく「匂い」だと思いたいが、確かにニオイまでは消していなかった。
「ぐぁ、あ、目がッ……こんチキショァアア、殺す……ころすぁああ」
血まみれの両目を手で押さえ、魔法使いリュードックは怒り狂って叫んでいる。スピアルノはそんな大男を一瞥すると、勝負は既についたと言わんばかりに両手のナイフをくるりと一回転、腰のホルダーへと戻した。
「じゃ、そゆことで。あとはお任せっス」
ロベリーとパドルシフを連れて素早くその場を離れたのはナイスフォローだ。これで思う存分やれる状況が整った。
「……やれやれ、庭先で騒ぎを起こされては困るのだが」
俺は『音声拡張魔法』で一帯に聞こえるような声を放った。
自警団の面々も、助けに来てくれた魔法使いたちも、そして大きな人垣となった街の人々も、驚いた顔をして静まり返った。
「だっ、誰だ!?」
一瞬の静寂を破り叫んだのは、金髪の魔法使い。確かフィルドリアと呼ばれていた男だ。
血走った黄金色の瞳で、キョロキョロとあたりを見回す。
何か強力な魔法を詠唱中だったらしいが、突然の声に慌てた様子だ。『認識撹乱魔法』を解除していない今の段階では、こちらの姿は見えていないだろう。
確か『魔法聖者連の序列七位』とかなんとか言っていた。それが本当なら、プルゥーシア皇国における「メタノシュタット王立魔法協会」と同じような組織に属する大物ということになる。
実施的な正規軍。その最上位クラスの魔法使いならば丁重に扱わねばなるまい。
「ぐがぁああ! フィルドリア様ぁああッ、あの女、何かが潜んでいやがるって、言ってやがった……!」
ようやく片方の目の視力を取り戻したのか、真っ赤な左目だけをギョロリと動かしてリュードックが吠えた。
血で顔を赤く染めた筋肉ダルマが、ビキビキと全身に再び魔力を循環させてゆく。
「賢者ググレカス、お気をつけあそばせ。魔法で全身の筋肉を極大化させております。あれでは、腕の一振りが凶器ですわ」
「ありがとう、動きは封じるさ」
妖精メティウスの見立通り、リュードックの筋肉の肥大は留まるところを知らない。肉体も限界だろう。
――さて、やるか。
にちゃぁ……。
「はっ……!?」
フィルドリアが異変に気がついた。
自分の足の裏に違和感を感じたのか、片眉をピクリと動かすと、片足をゆっくりと持ち上げる。靴底でニチャァ……と半透明の粘液が糸をひいた。
「粘液……?」
怪訝な表情であたりを見回した。
粘液が忍び寄っていたのはフィルドリアだけではなかった。
「なんだ……足元に汚ぇネバネバが……あぁあッ!?」
「汚いとは失礼な」
ドリュッ!
全身筋肉の塊と化したリュードックに向け、地面から無数の触手が一斉に襲いかかった。前後左右から一斉に絡みつく。
「ぐおっ、な、なにぃッ!?」
じゅるじると、まるで化けタコの触腕のような動きで両手両足、首、胴体に巻きついて締め上げる。
「リュードック! ふりほど……ゲッ!?」
金髪の魔法使いの足元からも、同に、六本の粘液質の触腕が襲撃する。
腕に絡みついた瞬間、魔法で弾き飛ばしたようだが無駄だ。
同時に六本の攻撃は避けきれない。手足、首、そして胴体にジュルジュルと巻きつき、締め上げた。
――『粘液質の鞭』、同時多腕制御術式。
「な、なんだッ!? この力は……!」
「ばかな破壊できん……! 魔法力が……奪われているっ!?」
「お、俺様の『獣化級・魔力強化内装ッ!』で引きちぎれねぇ……ッ!?」
魔法使いたちは、粘液質の触腕にそれぞれ縛り上げられた。
「あの魔法使いたち二人を、一瞬で!」
「捕らえただとぉおっ!?」
「すげぇっ!?」
「あの粘液はッ……!」
「ヌルッとした魔法は、まさか……」
シュリトやタツガン、応援の自警団員たちが口々に叫ぶ。そして、野次馬たちにもざわめきと驚きが広がってゆく。
そこで俺は魔法の偽装膜を解除。
「クフフ……フフフ」
ゆっくりと、プルゥーシアの魔法使いたちの前に姿を現した。
こいつらの目には、徐々に周囲の景色から滲み出たかのように見えただろう。
「なにぃ!?」
「貴様ッ、いつからそこにッ!」
「フ……フフフ。ようこそ、我が世界樹の街へ」
賢者のマントを広げながら、ゆっくりと両腕を広げて見せる。
「あれは!」
「賢者様だ!」
「来てくださった!」
「うぉおおおおッ!」
どわぁああっ、と人垣から大歓声と拍手が巻き起こった。
「賢者様っ」
「ググレカス」
振り返り、パドルシフとロベリーの無事を確かめる。
「きっ……貴様がッ」
「賢者ググレカスッ!」
フィルドリアとリュードックが驚愕のうめき声を漏らす。
全力で殴りかかろうとするが、振り上げた腕はゴムのようなスライムの拘束に引き戻された。
手からフィルドリアが火焔を放つが、明後日の方向へととんでゆく。
「いかにも。俺がググレカスさ。……まぁ落ち着いて座って、お客人」
ぱちん、と演出気味に指を打ち鳴らす。
ガクン……! と二人の魔法使いが両膝を床についた。
「ぐッ!?」
「おがっ!」
触腕の力に抗えず、地面に跪いた格好だ。
筋肉暴走状態のリュードックが全身のパワーで引き千切ろうとするが、腕さえも地面に縛り付けられた。
「ばか……なっ!」
「無駄さ、力で引き千切ることは難しいぞ?」
人造スライム細胞で擬似的な筋繊維を構成させている。見た目はタコの腕のようだが強靭な魔法の人造筋肉の塊だ。
ルゥローニィ級の剣の使い手ならば切断できるかもしれないが、単純なパワーだけで引き千切るのは難しいだろう。
「こんな、おぞましい魔術……、魔王軍の幹部でさえ使わぬわ……!」
「そうかね、最高にクールだと思うがなぁ」
「ぬかせ! このようなふざけた児戯など……!」
両手に魔法を励起して爆裂魔法か何かで吹き飛ばそうとするフィルドリア。
「解呪を諦めたのかい?」
「……ッ」
必死で手足や首に絡みついた『粘液質の鞭』に魔力干渉し、術式を破壊、あるいは解呪しようと試みたが無駄だと気がついたようだ。
表面の粘液自体が魔力をよく通す伝導体。魔力波動も魔力糸も表層に触れたとたんに希釈され、内側までは届かない。
それに、彼らは気がついていないかもしれないが、魔力を徐々に吸い取っている。
ズギュン、ズギュンと脈打つように触腕が脈動し、魔力を奪い取っているのだ。既にリュードックの身体は徐々に細くなり、その力を失いつつある。
「お……おのれ、死ね!」
髪を振り乱し、凄まじい目つきで俺を睨みつけた。
最上位クラスとしての意地か、魔眼攻撃を試みる。強力な眼力で相手の眼球から直接呪詛を送り込むつもりだ。
まさに殺人ビーム。魔法防御を持たぬ者がまともにくらったら、即死しかねない。
「恐ろしい呪詛!」
妖精メティウスが叫ぶ。
だが『賢者の結界』の前では無意味だ。
「……俺を狙う分には構わんが」
常時十六層重ねの魔法結界で弾き返す。
無論、後方にいるパドルシフやスピアルノ、あるいは逆方向の自警団に向かないよう、そもそも魔眼を放つであろう方向は調整してある。
「バカな……! 私の魔眼が効かぬ!?」
ようやく事態の深刻さ把握したのか、フィルドリアの整った顔に動揺が走る。
「ところで、俺はこっちだが?」
俺はフィルドリアの真横から声をかけた。
「――なっ!?」
ばっ、とこちらを向くが、金髪の魔法使いの顔に諦めと憔悴の色が浮かんだ。
既に術中にあることを悟ったようだ。
この男は既に、俺の位置さえ把握できない程に強力な『認識撹乱魔法』の影響下にある。
自警団員たちが周囲から走り込んで、この隙にと魔法のロープでぐるぐる巻きに縛り上げた。
「さぁ、話を少し聞かせてもらおうか?」
俺はそんな彼らに穏やかな微笑みを向ける。
「賢者ググレカスはスライムの樽に漬け込むのが趣味ですわ。この笑みはそういう意味ですの」
「ヒッ」
「いいい?」
「メティ、余計なことを言うんじゃない」
<つづく>




