星詠み離宮の囚われ王妃(後編)
「あの娘は……メティウスは何処にいるんだい? お姉さんのスヌーヴェルの姿も見えなのよ……ねぇ」
実年齢よりも老けて見える王妃は、皺だらけの手をレントミアに伸ばした。
「王妃様、申し訳ありません。ここにはおりません」
「隠してもわかるわ。私にはわかるもの。あの娘の気配……。あなたは、あの娘を知っているのね……」
「王妃様。本当に私は知らないんです」
レントミアは憐憫の情を込め、冷たい手を静かに握り返した。
「……そう……なのね。いいのよ……。あなたは優しい、良い子ね」
「すみません」
王妃は今も探しているんだ。失った娘――メティウス姫のことを。
血を分けた実の姉であるスヌーヴェル姫殿下の手によって、亡き者にされた妹姫の行方を今も探している。
生前のメティウス姫は生まれながら、その身に類まれなる強大な魔力を宿していた。
――『世界改変能力』
そう賢者ググレカスが呼んだ魔力は、幻想と夢想を現実に変えるものだった。
メティウス姫は、思い描いた「おとぎ話」のような英雄譚になぞらえて、世界に魔王大戦という災いをもたらし、やがて六英雄という救世主さえさえ夢想した。
一見すると「そうなる未来を予見した」とも言えなくもない。
けれど、メタノシュタット王家の女系のみが受け継ぐ魔力、未来予見の魔法である『星詠み』とは明らかに一線を画していた。
無邪気な夢想を繰り返し、世界を意図せずに変え始めたメティウス姫を目の当たりにし、姉であるスヌーヴェル姫殿下は力の真実を知り、恐怖したのだろう。
混乱に陥った世界を救うため、病弱だった妹メティウスに呪いをかけ、命を奪うに至るまでの苦悩と悔恨は、果たして如何ばかりであろうか……。
やがて王城の最深部の図書館――図書館結界でメティウス姫の魂と邂逅した賢者ググレカスは、秘められた力は「世界の改変能力」だと看破した。
賢者ググレカスによりメティウス姫の魂は開放された。
再構成された妖精メティウスと呼ばれる存在は、生前の記憶を持たないまったくの別人格だ。
その面影を、スヌーヴェル姫殿下が分からないはずはない。
だからこそググレカスをお側に置いているのか……。
王家の暗い秘密を抱えたまま、玉座に最も近い存在としてスヌーヴェル姫殿下も苦しんでいる。そして王妃様も。
けれどゆっくりと説明している時間はない。今にも王妃が居ないことに気がついたメイドや警備の魔術師が庭に出てくるかもしれないのだ。
レントミアは恭しく一礼をすると、単刀直入に問う。
「教えてください王妃様。いったい何を見たのですか? 未来に、何か起こるのですか?」
青い瞳を一度伏せ、再び開く。宿っていた霞のような狂気の色は消え、代わりにすべてを見通すような透明で深遠な輝きがレントミアに向けられた。
やがて王妃はゆっくりと口を開いた。
「……死者が蘇る。逢いたいと願う人に、自由に、再び逢える理想の世界がやってくる。もう、その萌芽は着実に、膨らみ始めている」
「死者が……蘇る?」
驚くべき言葉にレントミアは戦慄を覚えるが、それは言葉通りの意味では無いはずだ。
死者が蘇ってゾンビや死霊となって世界を破滅に導く……なんてのはゾッとするけれど、続く予言は希望に満ちた言葉が並ぶからだ。
「失ったあの子にも逢えるわ。やがて旧き王国も役目を終え、世界は新しい秩序……新世界へと統合されてゆく」
「……! それを国王陛下に?」
「ありのままにお伝えしたわ」
これで合点がゆく。国王陛下が「予言」を聞いて怒り狂うわけだ。
旧き王国とはすなわちメタノシュタット王国、あるいは諸外国のことだろう。
それが新しい秩序のもと再編される。
そんなことを王妃が口走れば気が狂ったのかと思うだろう。
今の体制が崩壊し、新世界が訪れるなど受け入れがたく、許しがたいことだというのは、容易に察しがつく。
娘のスヌーヴェル姫殿下の活躍さえも、疑心暗鬼に囚われた眼で見れば疑いたくもなる。
確執の原因はなんとなくつかめた。
これは戻ってググレカスに伝えねばならないだろう。
それと、思い当たることがある。
再編される世界とは――世界樹を中心とした、新世界のことではないのだろうか?
スヌーヴェル姫殿下や賢者ググレカスは決して口にはしないが、近くで見ているレントミアにはなんとなくわかる。
世界樹の街はやがて国として独立することを暗に目指しているように思えるのだ。
世界樹の実や葉から生み出される魔力の新しい利用方法、新たしい価値。それらは莫大な富を生み、理想国家の産業の礎となりつつある。
だが、本当に独立などという大それた事を考えているのなら、メタノシュタット王国との全面的な衝突は避けられない。
力の差は歴然。
王国の正規軍が一度本気になれば、世界樹の街などひとたまりもないだろう。
多大な犠牲を払う戦争は、なんとしても避けなければならない。
「視えた未来は必ず当たるとも限らないわ。疑いはやがて晴れましょう」
「王妃様……」
「もしも願いが叶うなら。メティウスとスヌーヴェル、まだ幼くて可愛らしかったあの頃に、戻りたいわ」
「きっと、その夢は叶いますよ」
「そうなったら嬉しいわ」
レントミアは頷きながら、静かに逡巡する。
賢者ググレカスがいま、世界樹で行っている実験のことを。
巨大な世界樹の中で眠る聖剣戦艦――『蒼穹の白銀』。
その残骸を使い、行っていることを。
――あれなら確かに、死者にだって逢える。
発掘された聖剣戦艦のなかで、唯一動く機能。それは制御用の人造頭脳とも呼べるパーツだった。
賢者ググレカスは『予備演算魔導回路』と呼んでいた。
もっとも高度な魔法文明の、叡智の結晶。重要な千年帝国の遺産だとも。
高速な魔法演算能力を有するカラクリの機能を解析し、流用する方法はレントミアとアルベリーナが解析に参加し、見つけだした。
現在は、人間の脳に高精度な幻想を直接送り込み、体感できる仮想現実の世界を生み出すことに成功している。
もっとも、実用的なものではなく娯楽用の「遊戯」と称して運用実験を続けているにすぎないが。
もし、王妃の言う「死者との邂逅」を現実のものにできるとするなら、あれしかない。
仮想世界の中でなら、死んだ人間とも再会できる。
それは究極の理想世界だろう。
――でも、本当は何が目的なの? ググレ
と、そこで索敵結界に変化があった。
館の中で使用人や衛兵が慌ただしく動き始めた。どうやら王妃が居ないことに気がついたようだ。
「王妃様、僕はこれで失礼します」
「まぁ……坊や、お茶でも……」
王妃は名残惜しそうに手を放した。レントミアはゆっくりと下り、優雅に一礼する。
「また今度、王妃様も姫殿下も、必ずなんとかします」
……ググレが。
レントミアはそうつぶやくと、認識撹乱魔法を高濃度で展開。薔薇の庭園の暗がりの奥へと溶け込むように姿をくらました。
<つづく>




