星詠み離宮の囚われ王妃(中編)
星詠み離宮の警備は一見すると厳重に思えた。
けれど安全な王都の中心部に位置するためか、危機感は薄い。
魔法の結界と無人のドローンに頼り、歩哨などはいない。館の中に何人か使用人を兼ねた護衛がいる程度だと聞いている。
離宮の部屋の配置は、事前に調査済み。
北側の二階の部屋だ。メタノシュタット王国のコーティルト・フユーウス王妃はそこにいる。
「うーん、ドキドキするね」
離宮の壁面に手を押し当てて、受動型索敵結界で中の様子を入念に調べてゆく。
こういう感覚は久しぶりで、ちょっと楽しい。
――台所に3人、警備兵の詰め所に4人。魔力波動を放つ者が隣の部屋に2名いる。館の中をゆっくりと移動しているのが5名。これはメイドや執事かな。
「……みつけた、二階の北側だ」
二階の北側の部屋の一人はほとんど動いていない。残り2人は隣の控室にいる。おそらく身の回りの世話をするメイドだろう。
レントミアは薔薇の迷宮の隅に身を隠しながら、少しの間考えた。
認識撹乱魔法の名手であるググレカスなら、他人に成りすまして警備の目をかいくぐるのは造作も無い。あるいは警備兵全員の目の前を、堂々と歩いて通り抜けても、気付かれることのないほど強力な魔法を行使できる。
そんな常識はずれの魔法を使える賢者ならいざ知らず、レントミアとしては自ら乗り込むリスクは冒せない。
安全策を取るなら、何か即席の「使い魔」を送り込むのがいいね。
使い魔は手紙を送り込む程度なら使えるが、難しい会話などは成立しない。
遠隔操作すれば会話も可能かもしれないが、魔力糸を防御結界で探知される危険性が増す。それに遠隔操作中はどうしても注意が散漫になる。
もっとスマートな方法をとろう。
「あ、君がいい」
ちょうど眼の前をプブブと飛んでいくカナブンがいた。甘い樹液でも吸いに行くところだったのだろう。ちょいと魔法をかけて、目を回させて手のひらに落とす。
そして催眠状況下の金属光沢のあるカナブンに細工する。
羽音を単純な言葉に聞こえるように細工するよう、呪文をいつくか唱えて調整。即席の使い魔の出来上がりだ。
レントミアはカナブンを夜空に放った。
「お行き」
使い魔化したカナブンはもちろん、魔法の結界では検知されないように隠蔽化してある。
二階の王妃の居る部屋の窓が運良く開いていれば入り込み、こうささやくのだ。
姫殿下の音声で『――御母上』と。
「上手く誘い出せるかな」
入り込むのが危険なら、向こうから出てきてもらえばいい。
軟禁状態でも庭の散歩は可能だと聞いている。本当に気が触れて、狂人になってしまったのでない限り、反応はあるはずだ。
フユーウス王妃は、ここ半年ほど病気療養を理由に、王城から遠ざけられていた。
実際はコーティルト・アヴネイス国王陛下による軟禁だ。
賢者ググレカスを懐刀と呼び重用するスヌーヴェル姫殿下も、時期を同じくして王城で監視下に置かれてしまった。これも事実上の軟禁状態だ。
有能なユヌーヴェル姫殿下へゆるやかに実権を移行し、国王陛下は退位する。誰もがそう考えていた。勇猛な武人である国王陛下は臣下や貴族たちからの忠誠心は高いが、政治手腕や国内の統治に関しては凡庸と評されていた。
本人はそれを気にしてか、有能なスヌーヴェル姫殿下に期待を寄せていたともいう。
王城内の役人や王宮魔法使いたちは、国王派と姫殿下派に分かれ互いに反目する空気が生まれつつあったのも事実。
けれど、国王陛下も寄る年並みには逆らえず、やがてスヌーヴェル姫殿下が女王の座に座ることになるだろうと、いう予想はあった。
しかし何故、晩節を汚す
ようなことになったのだろう。
国王派の陰謀を疑うフシもあるが、そうではないらしい。
どうしてこうなったのか――。
賢者ググレカスいわく「国王陛下が疑心暗鬼に囚われてまわれた」からだという。
ある日、王妃とスヌーヴェル姫殿下を「忌々しい魔女どもめ! ワシを謀るか……!」と怒りながら罵り、王宮から遠ざけたのだという。
乱心したのは王だ。ググレカスはそう言っていた。
だが、絶対権力者である以上姫殿下にはどうすることも出来ない。だから四方八方手を尽くし、事態の打開を模索している。
良くないことは続く。
まるでその動きに呼応するかのように、極北の魔法王国プルゥーシアからの威力偵察がはじまった。
謎の魔法使いによる明らかな敵対行動も報告されているのだ。
明らかにこちらの体制の混乱を見抜いた上で、起こしている行動だろうとググレカスは言う。
「いったい何を視たのかな、王妃様は」
王妃が『星詠み』により視たという遠い未来。
それこそが鍵だ。
予言めいた言葉が王を狼狽させ、やがて狂気と疑心暗鬼へと駆り立てた。
女系にのみ継承される魔力、『星詠み』の力。
それはスヌーヴェル姫殿下ご自身が述べられた通り、見通せる未来は「近い未来」という数ヶ月、あるいは数年先のことだ。
しかしスヌーヴェル姫殿下の母君であるフユーウス王妃は違う。
遠視的な能力を持っているという。すなわち十年、いや百年先の未来に至る大まかな世界を予見できる。だが予言は断片的で散文的、抽象的ですらあり、あまり意味のないことが多いという。それは時に荒唐無稽な未来の夢、幻影のようなものだとも云われている。
もっとも王立魔法協会の中においてさえ、真実を知るものは居ない。
『星詠み』と呼ばれる未来予見に携わる王宮魔法使いたちでさえ、予言された内容自体はその全体像をつかめないのだから。
だからこそ、ちょうどいい。王宮の混乱に乗じて直接王妃とご対面。貴重な情報を得るチャンスなのだから。
「……そこに……、そこにいるのかい?」
やがてか細い女の声がした。
フラフラと幽鬼のような足取りで、薔薇庭園へと歩いてくる姿があった。
寝巻き姿のうえにガウンを羽織り、髪は下ろされている。室内履きのスリッパのまま厠に行くついでに、庭に出てきた……風に思えた。
他に付き人は居ない。
少なくとも索敵結界で検知出来る人間は、離宮の中にとどまっている。警備兵の詰め所にも動きはない。
レントミアは隠蔽を解除して静かに姿を現した。
「まぁ……?」
月光の下、細身のハーフエルフの魔法使いが静かにひざまずく。
「コーティルト・フユーウス王妃、驚かせてしまって申し訳ございません。私は――」
「……メティウスかい? あぁ、会いたかったわ……! いったいどこに行っていたの? スヌーヴェルは? お姉ちゃんと一緒じゃないのかい?」
近寄ってきた王妃はレントミアの手を握る。白粉の匂いが鼻をついた。ほうれい線の刻まれた顔、虚ろな瞳。レントミアを別人だとも気づかない。
「僕は……スヌーヴェル姫殿下の使いでまいりました。王宮の魔法使いです」
レントミアは戸惑いと失望を感じていた。悪い方の噂が当たっているかもしれないと。
すると王妃は目を瞬かせ、レントミアの頬に乾いた指先を伸ばした。
「……まぁ? その身体で甦ったのではないのかい? ……違うのかい? ハールエルフの身体に魂を入れて……、気配が……メティウスの匂いがするわ……。わたしにはわかるの」
「メティウス姫の……」
気配、匂いと言われて思い当たる事は一つだ。
賢者ググレカスが抱えた深い秘密のひとつ。
妖精メティウスの存在は、かつて姉に殺された哀れなメティウス姫の魂を浄化し、再構成したものだからだ。
「わかるのよ、あの娘は……メティウスは何処?」
狂気に彩られた王妃の青い瞳の底には、この世の深淵を覗き込んだような不思議な光が宿っていた。
<つづく>




