賢者の館、新しき住人たち
◇
西の空がオレンジ色に染まってゆく。
刻々とコントラストを深める巨大な世界樹を横目に、賃貸馬車はネオ・ヨラバータイジュの郊外へと向けて進んでいる。
やがて巨大な幹の根本を囲むように、ドーナツ状に広がる湖――世界樹湖の全体が見えた。
「賢者ググレカス、とても綺麗な夕日ですわね」
妖精メティウスが客室の窓に腰かけて外を眺めている。
「仕事帰りは特に世界が輝いて見えるよ」
「ロマンチックなお言葉を期待していたのですが」
「すまん」
確かに湖の水面がキラキラと夕日で輝いて美しい。
ドーナツ形の湖は、世界樹の根が地下水脈に達したことで水が地表に噴出しできた湖だ。そこへ梢が雲から集めた雫が幹の空洞へと伝わり水を供給し続けている。
湖畔の南側に見える街ががネオ・ヨラバータイジュ。
急速に大きな街へと発展したそこは、世界樹の「ひこばえ」を魔法で成長せた人造の地盤の上に築かれている。
街を起点に北へと伸びている水路は、王都メタノシュタットとの交易に利用されている人造運河だ。船の形をした連結式の荷車が、鴨の親子のように運河に浮かんでいる。
「賢者のダンナ、つきやしたぜ」
「あぁ、早いな」
やがて賃金馬車が停車する。降りたところは、世界樹と街から直線で1キロメルテほど離れた場所。なだらかな傾斜のある高台に広がる閑静な住宅街だ。住宅街といっても十数棟ほどしかないのだが。
ここから先の土地は世界樹守備隊の基地になっているので、軍属と家族達、主に将校向けの家々だ。
ひたすらに広い草原のような場所なので、敷地同士の境目の目印として、世界樹の「ひこばえ」がそこかしこに植えられている。成長が早いので、今や街路樹の代わりとしてもちょうどいい木陰を提供してくれる。
少し先、百メルテほど離れた丘の頂上付近に『賢者の館』が見える。
馬車の通れるほどの道がゆるやかに続いているが、ここから先は結界で守られている。なので手前で停めてもらうのが都合がいい。
馴染みの御者に銀貨一枚、相場より多めの賃金を払う。
「景気はどうだい?」
「毎度。お陰さまで景気は良いですぜ。いろいろな国から観光客もひっきりなしでさぁ。でも先日、馬車組合で聞いた話じゃぁ、妙な三人組を乗せたらしいですぜ」
「ほぅ?」
「プルゥーシア人なら珍しくもねぇが、商人でも政府の役人でもねぇ。妙な雰囲気の男女で……。魔法使いかもしれねぇっていってやした」
「魔法使い」
「えぇ、宿屋組合の副組合長も、同じ話をしてやしたからね。三人組のひとりが、賢者のダンナについて嗅ぎ回っていたらしいってんで。気を付けてくださいよ」
「ありがとう」
「なぁに。オレらが景気よく商売できるのも、賢者のダンナのお陰ってもんよ。また使ってくんなまし。それじゃ!」
「あぁ」
ガラガラと二頭立ての馬車が去ってゆく。
どうやらこの街に招かれざるお客人が侵入しているようだ。
検索魔法で調べられない情報は、こうして協力者たちが教えてくれる。
無論、国家レベルで把握している各種情報は王国軍の諜報機関、あるいは姫殿下直属の『特務機関』から送られてくる。魔法の通信道具を通して、逐次入手している。
しかし貴重なのは地元住民による生の情報だ。ありがたいことに世界樹の街で生計をたてている民間人、あるいは各種ギルドが協力してくれるのだ。
「気をつけたほうが良さそうですわね」
「楽しくなってきたな」
「もう! お弟子さん達が危ない目にあったらどうなさるおつもり?」
「ま、それも修行みたいなものだよ」
「マニュさまだって大事な時なのに」
「わかっているさ」
俺は妖精メティウスを肩に乗せ、丘を登りはじめた。
ここから見える『賢者の館』は目と鼻の先。だが、幾重にも張り巡らせた防御結界が行く手を阻む。
対魔、対人の各種結界、それに『認識撹乱魔法』を仕掛けている。普通の人間であれば、近付こうにも「迷って」しまい容易には近づけない。
わずか百メルテ先に見える館に向かって歩いても、気がつくと元の場所に戻ってしまうことになる。丘を登っているつもりが、いつのまにか下っている……という具合にだ。
結界をすり抜けて鉄門扉の前まで来ると、窓にはすでに明かりが灯っていた。
夕飯のいい香りがする。
生い茂る庭木とハーブ畑の間を、色とりどりの館スライム達がモゾモゾと動いてた。俺の帰りを感じ取ったのか、跳ねたり、転がったりして近づいてくる。
すっと、背後から影が伸びた。
「――すきアリ!」
「無いな」
魔力糸で足元の館スライムを操って、背後からジャンプしてくる影めがけて叩きつけた。
当然、対人用の『索敵結界』で背後にいることなどお見通しだ。魔法で気配を希釈しても俺には通じない。
「うぁぶ!?」
びちゃんという湿った音に続いて、しゅたっ、という軽い着地の音がした。
「攻撃する前に『すきあり!』とか『くらえ!』とか言ったら意味ないだろ」
「だってお約束じゃんか? イテテ」
頭の上に館スライムを乗せた少年が、腰をさすっている。
緋色の瞳にきりりとした目元。熱した鉄のような髪の色。
半ズボンから覗く脚は細く、身体は華奢な、10歳ぐらいの男の子。
まるで近所の悪ガキのような姿だが、これでも立派な門番。館スライム達を束ねる『御庭番』だ。
青い館スライムを地面に下ろしてから立ち上がる。
「おかえりなさい、グゥグ」
「あぁただいま、ラーズ」
屈託のない笑顔。頭と顔を優しく撫でてから、一緒に玄関に向かって歩きだす。
「姉さんは?」
「ラーナなら中で御飯作ってるよ」
「見張りご苦労。手を洗って家に入ろうか」
「はーい」
ラーズはラーナの弟だ。
スライム細胞から生み出した人造生命体、ラーナ。
竜の血から生み出した人造生命体のプラムとは違い、細胞レベルから合成した「スライム細胞」により人形を成している。
しかし三年前。成長したラーナが突如、分裂した。
何が起こったかわからず、俺もレントミアも唖然呆然。思わず腰を抜かしかけた。
兎にも角にも、ある日突然ラーナに双子(?)の弟が出来た。
世界樹の葉を原料にしたクッキーを試食しすぎたのか、成長に伴う生理現象か。理由は不明のまま双子の姉弟になったわけだ。
もしまた三年後、ラーナとラーズが倍に増え始めたら人類の危機かもしれない。
「ただいまー」
「たっだいまー!」
「ってラーズも家にいたんだろ」
「そうだけどさー」
館の玄関を入ると、夕飯の良い香りと共に、にぎやかな笑顔が出迎えてくれた。
「おかえりなのデース!」
「ただいま、ラーナ」
成長したラーナが抱きついてきた。腰まで伸びたピンクの髪。ハーフアップに編み込んで、お嬢様風の可愛い服を身に付けている。今やスライムと対話ができる特性を活かし、『スライムを操る魔法』を学ぶ弟子でもある。
「ラーズはいつまで庭で遊んでるの? ずっと外で暮らしたらどうデス?」
「ラーナのいじわる、お前こそ家からでるな」
「なによ」
「なんだよ」
「こら、ケンカすんな」
じたばたと小突きあう二人。分裂した割には、性別も人格もまるで違っている。
二人を両脇に引き離して抱き抱える。
「おかえりなさい、ぐぅ兄ぃさま」
「リオラ、ただいま」
館の守護神と化したリオラは今日も綺麗だ。自慢の栗毛は艷やかでいろいろと成長し、実に女性らしくなった。
最強のメイド長であることは変わらないが、最近はそろそろ結婚を……という話にもなっている。
「オカエリナサイ、ダンナ様」
「ミリンコ、ただいま」
こっちは亜人の少女、ミリンコ。2年前、世界樹の街で行き倒れていたところをリオラが助け、その後メイド見習いとして暮らしている。プラチナブロンドの髪をおかっぱに切り揃えている。
二人をむぎゅうと、ハグしてからリビングダイニングへ。
リビングダイニングに入ると、マニュフェルノが食事の準備の最中だった。ゆるふわおさげに丸メガネ。ふんわりとした服を身にまとって、にこやかに迎えてくれた。
「勤労。おつかれさま」
「ただいま、マニュ」
近づいて後ろから優しく抱き締めて、そっと膨らんだお腹に手を添える。
「今日。はじめて動いた気がするの」
「まじか!? それはすごい……!」
<つづく>




