エルゴノート、女性に刺される
「俺が話す」
外の騒ぎが大きくなる前に、エルゴノートは立ち上がった。総督らしい顔になり、ドアを押し開ける。
「エルゴノート様!」
「お待ちを、我らが説得します故」
「これが一番いい。これ以上、迷惑はかけられん。お前たちはここにいろ」
「しかし……!」
部下の役人が止めるのも聞かず、エルゴノートは控室の大広間へと出ていった。
やがて女性たちの歓声と、落胆と悲鳴まじりの声が響いてきた。
おそらく今回の婚活パーティの中止を説明し、無駄な時間を取らせたことを謝罪しているのだろう。
女性たちの一部から怒りまじりの嘆き節が聞こえ始めたとき、マジェルナはようやく席を立った。待合室に張り巡らせておいた索敵結界が、不穏な魔力を検知したのだ。
「ヘムペローザはここに居ろ。今から少々血なまぐさい事になるかもしれないから」
「誰かに刺されるかもしれない、かにょ?」
ヘムペローザの言葉に、部屋に残って今後の方策を話し合っていたエンジャ婆と臣下たちが「ぎょっ」としたように顔を向けた。
「あの男……総督閣下は命を狙われる理由ならいくらでもあるからな」
「ワシも行く。賢者にょの数少ない友達だからにょ」
黒髪の見習い魔女も立ち上がった。
「構わないが、守ってあげられないかもしれない」
「自分の身ぐらいは守れるにょ」
「失礼した。さすがはあの男、賢者さまの一番弟子だ」
純白のマントを払いのけると、マジェルナは廊下へと躍り出た。後ろをヘムペローザもついて行く。
先刻の魔法による「ちょっかい」は、単なる女同士の嫉妬が原因のトラブルだったかもしれない。
だが魔法を使える者も居るのだから油断できない。
それに、この会場には元々メタノシュタットと敵対関係にある国の工作員が紛れ込んでいてもおかしくない。
エルゴノートの命を絶てばこの地は再び混乱するだろう。それを狙うことでで漁夫の利を得る勢力は、確かに存在しているのだ。
今回の婚活パーティはそうした連中にとって格好のターゲット。最も相手の懐に飛び込めるタイミングなのだ。混乱に乗じて事に及んでもおかしくない。
あるいは――。これはあまり考えたくはないが、姫殿下のお力を押さえ込もうという、国王派が送り込んだ刺客ということすらありえるのだ。
「すまない。気が済むまで殴ってくれ」
エルゴノートが大広間で女性たちに囲まれながら、目をつぶっている。一部の女性たちが泣きながら、自分を選べと声を荒げていた。
見渡してざっと二十人ほどの女性たちが、エルゴノート総督を取り囲んでいる。
本気で抗議しているのは一人か二人。あとは真剣な「ファン」が少しでも総督に近付こうと殺到しているという印象だ。
「呆れるほど危機意識のない男だな」
「エルゴ兄ぃの場合、『女性に叩かれるのはご褒美』だった気もするがにょぅ……」
確かググレカスがそんな事を言っていたような気がする。
ぱしっ! と誰かが右の頬を叩いた。すぐに隣りにいたオレンジ色のドレスを着た別の女性が、左頬を叩いた。
真摯に反省し、辛そうな表情こそしているがどことなく嬉しそうなのは気のせいか。
「止めるべきかの……」
「いや、皆の視線が総督に集まっている今が、チャンスだ」
マジェルナは全力で気配を探る。探す対象はホールにいる全員だ。
賢者ググレカスには及ばないが、他人と明らかに違う魔力波動を持つ人間、あるいは妙な動きをする人間の気配なら察知できる。
「……いた! 右後ろから総督に近づいていく女、魔力で何かを隠している!」
マジェルナが素早くヘムペローザに告げて、動いた。
猛然と人混みをかき分け、エルゴノートの元へと向かう。右後ろから迫る不審者は黄色いドレスの女性だ。頭からヴェールを被り、顔は見えない。
「どけ……!」
だが、駆けつけようにも行く手を阻むように女たちが壁を作っている。
「きゃっ!?」
「何よこのひと!」
「くっ! 邪魔だ……!」
いっそ魔法で全員を吹き飛ばそうか。だが不審な女は一瞬で間合いを詰めていた。
「エルゴノート総督!」
マジェルナが叫んだ。
ほぼ同時に、右背後でギラリと鋭い光が、総督の背中に狙いをつけた。
「魔法の刃か……!」
途端に魔法の気配が強まる。隠蔽型魔力糸で気配を隠していたのだろう。おそらく致死性の呪詛毒などが仕込まれているに違いない。
『――殺った!』
言葉こそ発しないが、女の気配がそう物語る。
と、その時だった。
バシュ! という音と共に人混みを抜けて黒い礫が放たれた。
それは驚くべき正確さで、黄色いドレスの女の顔を直撃――。
『ぐあっ!?』
着弾の衝撃と同時に緑色の蔓草が噴出。ロープのように絡まりながら、顔から首、ナイフを握っていた右手をがんじがらめに縛り上げた。
『なッなにぃ……!? こ、これはっ!?』
「蔓草魔法、『弓術の狙撃手』にょ」
ヘムペローザだった。
右手を水平に構え、人差し指で狙いをつけている。十メルテ離れた位置から正確な魔法の狙撃をしてのけた。それは腕から手の指先にかけて絡んだ蔓草が生み出した「極小の弓」から放たれた、蔓草の種だった。
「お見事! ヘムペロ嬢!」
「にょほほ、まぁの」
マジェルナが手放しで絶賛する。
『ぐっ……おの……れ』
黄色いドレスの女は、しわがれた声で喚きながら蔓草を引き千切ろうとしている。
だがすでに両腕は完全に絡め取られ、葉を茂らせ始めた蔓草によって、足の生えた樹木のような状態になり、ふらふらとその場に倒れ込んだ。
カラカラとナイフが床に転がり落ちる。
「きゃぁああっ!?」
「この人、ナイフを持っているわ!」
「危ない、離れろみんな!」
響き渡る悲鳴に、エルゴノートが颯爽と女性たちをかばう。こういうところは流石である。
だが、
「お……うっ!?」
エルゴノート総督がうめき声をあげた。
周囲の女性たちが「あっ!?」と小さく悲鳴を上げた時、背後から別の女が、ナイフでエルゴノートを刺していた。
オレンジ色のドレスを身につけ女性は、さっき頬を叩いていた女だった。
背中に刺さっているのは果物ナイフか。
最初の攻撃は陽動、囮だったのか。
「しまった、もうひとりいたのか!」
『グフフ、契約履行……』
女とは思えない濁った男の声が、喉元から発せられた。
「総督ッ!」
次の瞬間、マジェルナの放った魔法がオレンジ色のドレスの女を直撃。激しく吹き飛んで背後のテーブルを押しつぶした。
『ぐがあっ!?』
「エルゴ兄ぃが刺されたにょ!」
きゃーっ! と悲鳴がフロアに響き渡った。
女性たちが刺されたエルゴノートを取り囲み、どうしてよいか狼狽える。
脇腹の後方を押さえ、よろめくエルゴノート。騒然となった会場で慌てて駆け寄る部下やスタッフたち。
そこに最初に駆けつけたのはマジェルナとヘムペローザだった。
「傷は!? 毒は?」
このナイフにも毒が塗られていたら一大事だ。解毒の魔法が使える治癒魔法師が王宮にいればいいが……。
「ワシの種を傷口に植え付ければ、毒を吸い出せるにょ! 後で抜く時ちょっ……と激痛じゃが、死ぬよりよかろう!?」
蔓草の種を傷口に向け植え付けようとする。
「いっ!? いや……それは遠慮しておくよヘムペロ」
苦痛に顔を歪めるエルゴノートだが、気丈な様子で苦笑すると姿勢を正した。
「無理するでないにょ! ほれ」
「あぁ、この程度なら……。ぬん!」
「ひぇえ!?」
「おう……大丈夫だ」
エルゴノートはナイフを引き抜くと、血のついたナイフをハンカチで包み、駆け寄ってきたスタッフに手渡した。
その表情は冷静そのものだ。
「エ、エルゴノートさま、傷は!?」
「痛みを気合で遮断して、筋肉で止血……! ファリアに教えてもらった技さ」
はっは、と青ざめた顔で笑うエルゴノート。会場もほっと安堵の空気が広がるが、痛いものは痛いのだろう。額には脂汗が浮かんでいる。
「あいかわらず無駄にタフじゃのぅ……」
「ま、魔王大戦のときは、全身十箇所ぐらい刺されたり斬られたりしたからな。それに比べれば……こんなもの。痛たた……」
「マニュ姉ぇがいればすぐに治してもらえるんじゃがのー」
ヘムペローザは油断なく会場を見回しながらつぶやいた。
『……おのれ、しくじったか。遠隔……では、狙いが……』
テーブルに倒れ込んだオレンジ色のドレスを着た女の口から、ザラついた声が漏れた。
<つづく>




