★図書館の姫君
◇
駆け込んだ王立図書館は、静謐で厳かな空気で満たされていた。
王立図書館は岩山を削って作られた城の基礎部分に位置し、メタノシュタット王城において最も古いとされている部分の一つだ。築五百年前に遡る城の根にあたる部分に知識の貯蔵庫である「王立図書館」は配置されている。
固い岩盤を削り小さな教会を建てたのがこの城の始まりだとされているが、村が栄え町になり、やがて国になるに従って、幾度となく増築が行われ、年輪のように積み重なって現在の姿になったとされる。
吹き抜けで地下と地上を合わせれば三階に及ぶ図書館の吹き抜けは、メタノシュタット王城のホールに繋がっている。
ここは熱心な読書家や研究者、学徒たちが時折本をめくる音が聞こえてくるだけの知的空間だ。
見回せばぐるりと壁を埋め尽くす本、本、本。
大陸中から数百年をかけて集められたという歴史書、聖典、事典、祭儀書。魔法についての膨大な書籍は貴重な物ばかりだ。もちろんそれだけではなく、国の繁栄と共に人々に愛された詩や歌、小説や絵本まで、あらゆるものが書棚ごとに整理されて並べられている。
書棚自体もかなり大きく、大人が両手を広げた程の幅もある書棚は、見上げるような高さの十段ほどの棚となっている。おそらく書棚一つで千冊は優に超える数が所蔵されてるだろうか。そんな棚が王立図書館には数百あるという。
もちろん、上の本は背伸びしたところで届かないので、あちこちに可動式の梯子が用意されている。
王宮勤めの司書官が俺を見て笑顔を浮かべ、深々と礼をしていく。
王立図書館は冒険が終わってから何度か来たことがあるし、検索魔法でも書籍がヒットする率が高い。色々な意味で俺は常連客だろう。
「ふぅむぅうう! 何度来ても図書館はいいな。んんんっ! ……すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……あぁ、この古紙とインクの匂い! 重厚な鞣革の背表紙が描き出すモザイク模様は人類の英知、永久の絵画そのものだ……!」
フゥハハハ! と叫びそうになるのを堪えてメガネを指先でスチャリと持ち上げる。
「賢者さま……、う、嬉しそうですね」
「あぁ、イキイキしてる賢者さまって……初めて見た気がする」
リオラとイオラが俺を見て妙なことを言う。俺はいつだってイキイキしているぞ?
「凄いのですー! 本がいっぱ」
叫びかけるプラムの口をヘムペローザが押さえる。
「しいっ! プラムにょ、ここは静かにするところだにょ……」
「モガ、モガ……ですねー?」
「そうだ。多くの人が本を読むところだから静かにな。わかるな?」
頭ををぽんと撫でてやると、プラムがにへーと微笑んで頷く。
「はい……なのですー」
プラムが小さく遠慮気味の敬礼をする。
「よし、では夕方まで時間を潰そう。思い思いの本を読もうじゃないか!」
うん、我ながらいい提案だ。図書館は全てが詰まっている夢の世界だからな。
プラムとヘムペロは子供向けの絵本コーナーにつれてゆく。図書館の入り口から程近く、明るい窓辺の一角に小さな机と椅子が並べてある。貴族の子供と一目でわかる小奇麗で賢そうな子供達が大人しく本を読んでいた。
ヘムペローザもプラムも、沢山の絵本やおとぎ話の本に目を丸くする。
子供担当らしい優しそうな美人司書さんにプラム達を紹介し、仲間に入れてもらう。もちろん市民も貴族も関係なく利用できるのだ。
手にとって本を眺めはじめた二人は、もう絵本に夢中になっている様子だ。
「さぁ、次はリオラとイオラだ。君達を王都の学徒たちが利用する、勉学用の参考書がある書棚に案内しよう!」
イオラとリオラはしかし、言葉に詰まったような顔で曖昧な笑みを浮かべただけだった。
「あ、あのさ……、本は好きなんだけど、俺達……まだ少し買いたい物と、見たい店があるんだ」
「賢者さま、その、夕方にはここに来ますから、行って来ていいですか?」
イオラの申し訳なさそうな言葉に、リオラも同調する。うーん。残念だが二人がそういうのなら仕方ないな。
マニュのように魔力糸で居所を掴むことは難しいが、イオラとリオラなら面倒事に巻き込まれる事もないだろう。
「あぁ、行っておいで。気をつけて行くんだぞ。そういえば……小遣いは、あるのか?」
「お買物のお釣り、3ゴルドぐらいあります」
リオラはどこか申し訳なさそうに、ポケットから小銭を取り出して見せた。それは買物の時に渡した20ゴルドの残りだった。
「リオラは上手く値切って買物をしたのだから、それは君の駄賃だよ」
俺の言葉に二人は顔を見合わせてホッとしたように微笑むと、ぺこりとお辞儀をし、飛び跳ねるように図書館を出て行ってしまった。
たまには息抜きが欲しいだろうし、イオラとリオラ、二人だけで過ごす時間も欲しいのだろう。
「さて。では俺も遠慮なく読書に勤しむとするか……」
ひとりごちた後、俺は書棚の間を駆け回り魔道に関する本を集めまくった。
他にも本を読んでいる熱心な学者風の男や魔法使いらしいローブを羽織った者もいるが、些細なことはどうでもいい。
ドサリと何冊もの本を書棚の前にある閲覧用のテーブルに積み上げて、パラパラとめくってゆく。
本を読んで更に調べたい事柄が見つかれば、書官を呼ぶまでも無く、得意の検索魔法でどんどん調べ上げてゆく。こんな時検索魔法は確かに便利だが、実際の紙の本に及ばない点もある。
それが「パラパラめくり」や「なんとなく背表紙を見て本を手に取る」といった、本の中身をなんとなしに眺めるような使い方だ。
検索魔法はあくまでも「何かを調べたい」という目的があるときには活躍するが曖昧な問いかけでは望む答えは返ってこない。
人造生命体の歴史を遡っていると、やがて失われた神話の時代に生きていたという本物の「賢者」、比類なき知恵の神ヴィル=ゲリッシュが書き記した魔法の事典にたどり着いた。
『人の思いが篭められた本の霊体と呼ばれる影、それを擬似的な書籍として用いる基本原理』『司書の代わりとなる妖精の構築概念』『呪文を霊体空間に固定化し随時用いる方法論』――。
興味を引く内容にどんどん引き込まれてゆく。
俺の検索魔法や自律駆動術式の原点とも言うべき高度な魔法概念が詳しく載っているのだ。
それらはすべて太古の偉大な賢者、ヴィル=ゲリッシュが考え出した偉大な魔法遺構だと今更ながらに畏怖の念が沸き起こる。
ふと目に留まった秘術、文字で構成された擬似空間に「魂」を封じ込めておく術式、『擬態霊魂』というのは初めて聞く魔法だが、俺もいつか死ぬ時は、本の海に埋もれてたいものだ。
と、本の端の余白に、小さな字で何かが書かれている事に気が付く。
『――ほんものの賢者さま――』
――え…………?
『理に縛られたこの世界の彼方からやって来た、おとぎばなしの賢者さま。私の存在も、願いも、すべてが消えてしまうその前に、最後の最後にいちどだけ、一目――』
――あ、あぁ! そうだ!
「……なぜ、何故忘れていたんだ!?」
ガタリと勢い良く立ち上がり肩を震わす俺に、周囲で本を読んでいた者たちの怪訝そうな視線が集った。
震える指先で、検索魔法、を励起する。
調べるのは「ダンスのハゥトゥ」。この城でダンスパーティが行われた、つい先日に調べた本だ。
――ウス……そうだ、メティウス姫!
なぜか靄のかかったようにぼんやりとしていた頭のある部分が急速に冴えはじめる。
俺は……姫と、メティウス姫と、この図書館で再会すると約束をしていたのだ!
『わたしの声を、もうだれも聞いてはくれないの。必要とされない魂は、やがて消えてゆくのでしょう――』
俺はめまいを感じ、頭を振った。
妙な違和感の正体はこれだったのだ……。忘れていたのではない。ほんとうに、消えかけているのだ。
――記憶から、いや。この世界から、姫の存在そのものが!
それは直感とでも言うべき閃きだった。
俺は禁忌を犯して駆け出した。賢者の暴走だが、かまうものか。
目指すは封じられた図書館の上階部分、立ち入り禁止の魔術の秘蔵書が置いてある封印された区域だ。
立ち入り禁止の扉を押し開けて2階へと向かうが、先日のパーティの時とは違い、周囲は明るく人目もある。
俺は面倒ごとを起こさぬように、半透明化できる「隠蔽型魔力糸」で全身を包み、光学迷彩のような状態で図書館の奥へと進んでいった。
厳重すぎる警戒用の結界と施錠魔法を、次々と解錠し、進む。
時折ギシッ、と音を鳴らす床に、司書官の一人がギョッとしてこちらの気配をうかがっていた。
本来は立ち入り禁止である図書館の二階は当然人影はない。
午後の光が小さな明り取り窓から差し込んで、空気中の塵をキラキラと光らせている。
「メティウス姫……!」
小さく呼びかけてみるが、応える者は居なかった。
それどころかよく見ると床には埃が積もり、誰かが居るようには見えない。何よりもここは、やはり車椅子の少女が立ちれるような所ではない気がする。
階段以外に出入り口は見当たらず、もしかすれば隠し扉があるのかも知れないが……。
俺はうっすらと足跡があることに気がついた。しかしそれは、あのパーティの夜忍び込んだ俺の足跡だと気づく。
――無い。
車椅子が動いた車輪の跡も、何も無いのだ。
あるのは埃の上の俺の足跡だけだ。
戦慄というよりは、暗澹とした気持ちが胃の裏側から湧き上がって来た。
それは、あの姫にもう二度と逢えないのか、という冷たく重い絶望感だった。
脈拍が上がり急速に外界の音が聞こえなくなった。僅かに聞こえていた階下のざわめきや気配が消えた事に気づいた俺は、全てが静止した図書館の中で、更に時間が止まったかのような錯覚に陥る。
まるで空間そのものが切り取られたかのような違和感に包まれて、そして――
キィ……、と背後で軋むような音がした。
「姫?」
俺は振り返った。そこには車椅子に乗った、顔をゆがめて泣きそうな、精緻な人形のような少女の顔があった。
「賢者――ググレカス、さま……!」
俺の名を呼ぶその唇は、儚げで美しく、見開かれた瞳からは真珠のような涙が零れ落ちる。
俺はこみ上げて来る嬉しさを隠すことも無く、間抜けにズレたメガネを直し、そして王族に対する礼儀作法のとおり、片膝をついて恭しく頭を垂れる。
「お逢いしとうございました、メティウス姫」
「わたくしも、待ち焦がれておりました」
心地よい涼やかな声が、天から降り注いだ。
<つづく>