砂漠のレストランと乙女トーク
◇
昼間の暑さが嘘のように風が心地よい。
日没とともに気温は下がり、砂漠の乾いた空気のおかげで肌もベタつかない。
ここは砂漠の国、ネオ・イスラヴィア。首都インクラムドの砂色の街は、夕飯時ということもあり人々の喧騒で溢れていた。
ヘムペローザがいるのは有名な高級なレストラン。静かに食事が楽しめる。予約ずみの席に座り、料理が出てくるのを待っていた。
各テーブルには硝子の器に飾られた香油ランプの明かりが灯されている。恋人同士で来たらさぞかし良い雰囲気だろう。
テーブル席はデッキのように突き出たテラス式。賑やかな市街を見下ろせる。視界は街路樹のココミノヤシと同じ高さ。尖った葉の向こうで一番星が瞬き始めていた。
「……と、いうワケにょ」
『エルゴノートのやつが花嫁候補探し……?』
「募集広告にはそう書かれているにょ」
『うーむ』
戯れに遠く離れた場所にいる師匠のググレカスに、知ったばかりの「面白い事件」を伝えてみた。
反応は上々。思ったとおりに驚いてくれたし、メガネを光らせて悩む顔が面白い。
遠く離れたネオ・イスラヴィアの地でも、こうして師匠と話せるのは嬉しい。
それと、いつも姉妹のように一緒にいるプラムとも離れて一週間が経つ。そろそろ寂しくなってきたところだった。
「ま、ワシには関係が無いことにょ」
『あいつ、スヌーヴェル姫殿下への一途な想いはどうしたんだよ……』
ググレ・スライムの体の中に結ばれた映像が揺らぐ。ググレカスには何か思うところがあるようだ。
詳しくは知らないが、噂ではきいていた。
共に旅をしたこともある「エルゴ兄ぃ」が、砂漠の国の総督に任命される前のことだ。
メタノシュタット王国の第一王女だったスヌーヴェル姫殿下と、世界を救った勇者エルゴノートは恋仲にあったらしい。
紆余曲折、様々な困難の末に二人は結ばれる……かと思いきや、そうはならなかった。
報道業者のゴシップ記事には、「勇者が不貞! エルゴノートの浮気(疑惑)により破局!? 姫殿下が三行半!?」と、まことしやかに書かれていた。
結局のところ、真相はわからない。
けれど師匠である賢者ググレカスは、直前に何か大きな事件に絡んでいた……ようにも思う。
ヘムペローザは心のどこかに引っかかりを覚えた。けれど運ばれてきた肉料理の香ばしさに、そんな考えは何処かに吹き飛んでしまった。
「美味そうだにょ!」
「食べよう。いただきます」
テーブルの対面には、イケメンの姉御がいる。
姫殿下の側近。最強の誉れ高い近衛魔法使い、マジェルナ。
今回の旅の目的を果たすにあたり、同行することになった。
賢者ググレカスも「あいつ、怖いくらい強いぞ。怖いし」と言っていた。かなり頼れる旅の友であることは確かなようだ。
『ヘムペロは花嫁候補に応募するなよ』
いつまでも子供扱い。ググレカスは心配してくれているのだろうが。
「するわけないじゃろー」
『まぁいい、何かあったら知らせてくれよ。すぐに飛んでいくから』
「はいにょ」
短く返事をしつつもやはり師匠と話すと安心する。そこで魔法の通話は切れた。
魔法通信の媒介役を果たしたググレ・スライムは、テーブルの上で前菜のサラダの残り滓と、パンくずを拾って食べている。
「お前は潤いがあって羨ましいにょー」
『キュー』
「スライムが鳴いた……」
「こいつらは鳴くにょ」
指先でつつくと、身体をプルプルと揺らしながら鳴く。
ちなみに「スライムが鳴く」というのはメタノシュタットの諺にあり、普通はありえない事のたとえでもある。
だが賢者ググレカスの館で育った『館スライム』は鳴く。その時点で既にありえない……のだが。
今回、宿で旅行カバンを開いたら、数匹の館スライムが入っていた。手のひらサイズの館スライムたちは、コロコロと転がりでて鳴いた。
『ヤー』
『キュッ』
『……ピッ』
「ついてきたのかにょ……まったく」
青い雫のような、ゼリー菓子のような。ヒゲをはやしたもの、メイドのカチューシャのような冠を載せたもの。
旅のお供に! とググレカスが押し付けてきたググレ・スライムとは別に、勝手にカバンに入ってきたのだろう。
「ヘムペローザ、そのスライムは賢者からの?」
柔らかい子羊の肉にかぶりつきながら、マジェルナが尋ねた。岩塩と香草の絶妙な味わい。炙った肉は柔らかく実にジューシーだ。
「そうだにょ。賢者の館でいっぱい暮らしているにょ」
「以前、侵入者を撃退したとか」
「あー、そんなこともあったにょー」
「樽をスライムで満たし、少女を入れたとか」
「んー、似たようなことはしたかもしれんにょ」
おそらくスピアルノのことだろうか。
「そうなのか、賢者ゆるすまじ」
目付きは鋭いが、マジェルナは面白がっているようだ。
「ちなみに餌は何でもよいにょ」
「手拭き代わりに使える?」
「肉汁なら、喜んで舐めるにょ!」
ヘムペローザの言葉に、青髪のマジェルナがググレ・スライムを「むんず」と掴む。
『キュッ!?』
指先の脂汚れを青いググレ・スライムがちゅっと吸う。
「……ほぅ、これはこれは」
「心地よいじゃろー」
「うん」
館スライムは手触りが良い。表皮が比較的固く、乾燥した砂漠の中でも潤いと艶やかさを失わない。指ざわりはしっとりと滑らか。ひんやりと冷たくいつまでも触っていたくなる。
「ところでマジェルナの姉御、化粧水もってないかにょ?」
「あるよ。私のでよければ……」
「あとで借りてもいいかにょ? ワシの手持ちが無くなってにょ」
「宿に戻ったらいくらでも。屋台でも売っているけど、たまにインチキな商品もあるから。王都のセレブ御用達の店のが最高だから持ち歩いてるよ」
自分の頬に手を添えながら、そんな事を語る。
最高位の魔法使いのローブを肩からラフに羽織り、青みがかった銀髪も短くカットしている。
見た目は完全なイケメン青年なのに、中身は年頃の乙女である。
「もしかして、お姫様……スヌーヴェル姫殿下も使っておるにょ?」
「あぁ。でも姫殿下がお使いなのは、同じ店でも最高級品。オレのは安いやつだよ」
ちょっと照れたような顔。
肉を食べて汚れた指をググレ・スライムにぐいぐい押し付ける。
「でもマジェルナの姉御の肌は綺麗じゃし、きっと効果はばつぐんじゃろー」
にっしし、と楽しそうに笑うヘムペローザ。
褐色の肌に黒い髪は、砂漠の民を思わせる。しかし尖ったエルフ耳から、ダークエルフのクォーターだとわかる。
「そ、そうかな」
「ふんわり良い香りもするし。香水かにょ……。体を洗うソープのほうかにょ」
目を細めながら、すんすんと空気を吸い込むヘムペローザ。このあたりの行動は師匠譲りなのか。
「ばっ……!? いや、やめてくれ、恥ずかしい。オレは結構汗っかきだし」
「館スライムは皮脂や汗が大好きで、脇汗とか吸わせても大丈夫にょ」
ググレ・スライムを掌に乗せると、ニッコリと微笑むヘムペローザ。八重歯が可愛い。
「そ、そんな使い方は嫌だ……」
「にょほほ、冗談にょ」
いや、実は冗談ではないのだが。
と、その時。
レストランの入り口で、来店した三人の男たちがボーイと何やら話していた。やがて店内を見回すと、こちらに近寄ってくる。
身なりからしてイスラヴィアの役人か、何かだろうか。
「にょ」
「……ぬ?」
マジェルナが一気に視線を鋭くする。相手を眼力のみで屈服させる魔眼を思わせる。
砂漠の旅を経て首都に至る3日間、ヘムペローザは特に危険な目には遭わなかった。それは近衛魔法使いの中でも武闘派で知られ、かつ最強の名を冠するマジェルナの存在が大きかったのだろう。
やがて、三人の男たちはヘムペローザとマジェルナのテーブルの横に並んで立った。
思わず身構えるヘムペローザ。
事と次第によっては、三人が目の前で木っ端微塵になるのだから。
だが、彼らは一斉に腰を曲げて一礼。
「お食事の最中、大変シツレイシマース!」
「ワタシタチ、怪しい者デハアリマセン!」
「イスラヴィア人民福祉厚生局の者デス!」
髭面の強面だが笑顔。口調も柔らかい。
「怪しいにょ」
「怪しいな」
<つづく>




