仕事終わりのググレカス
◇
「へっぴち!」
「あら、可愛らしいくしゃみですこと賢者ググレカス。お風邪かしら?」
「うーん? 誰かが噂をしているのか」
執務室の机で、王立魔法協会からの手紙を読んでいると急に鼻がむずむずした。
素早くテッシュ箱の裏側に逃げていた妖精メティウスが、薄い紙を引っ張り上げながら顔をのぞかせた。
金色の髪に青い瞳、お人形のような妖精だ。身体のラインが、テッシュの向こうから透けて見える。
「良い噂だといいですわね」
「大抵よからぬ噂だよ」
妖精メティウスが持ち上げてくれたテッシュを一枚もらい受け、鼻をかむ。
「そういえばプラムは大丈夫かな……」
プラムが連れて行った俺の分身、ググレ・スライムが活性化したことで音声通信が始まった。
キョディッティル大森林での調査任務中、危険な連中に絡まれたようだが、チュウタが助けにきてくれた。……と、いうところまで聞いて安心して他の仕事をしていたが、その後は大丈夫だったのだろうか?
超長距離通信なので音声のみではあったが、途中まではググレ・スライムを通じてだいたいの状況は把握していた。
もしプラムの身に本当に危機が迫れば、ググレ・スライムが自律戦闘モードへと移行。巨大化して敵との壁となる。粘着物質を相手に吐きかけつつ時間を稼ぎ、緊急警報を発するはずなのだ。
――そこまでの危機的な事態にはならなかった、ということか。
チュウタだけでなく、あの調査隊にはアルベリーナがいる。余程のことがない限り大丈夫だとは思うが。
戦術情報表示をカードの手札のように空中に並べ、そのうちの一つを拡大、音声記録を早回しで再生してゆく。
「……む? なんと……? おいおい、まじかよ。……うわ? ほぉ……。おぉー?」
「どうなさいました、賢者ググレカス」
「いや、プラムのいる調査隊で、その後もしつこく襲撃が続いたらしくてな」
「まぁ……!?」
刻々と変化する状況が判った。プラム自身の危機は去ったが、調査隊には新手が差し向けられたようだ。
本格的な戦闘が起こったが、調査隊全員の力を合わせて撃退したらしい。
しかし敵の正体は不明のまま。
捕虜を一人、近隣の駐屯地へと移送中――と。
戦闘音声記録にあった状況から察するに、魔法使いが主犯のようだが、まだ若い青年らしい。
魔法学校の卒業試験、とも聞こえた。
最上位の魔法を連続で行使出来る魔法力も、持ち合わせてはいないようだ。
何か、妙にひっかかる。
「ふぅむ……?」
プルゥーシアといえば、転生や憑依といった、魂に関する特殊な魔法を深く研究し、知見も多い国だ。魂を肉体という器に移し替える。そうした魔法に対して長い間研究し続けている。
何らかの遠隔操作系の魔法、あるいは……憑依魔法の類いを使ったのだろうか?
魂といえば、ユグドヘイム・オンラインに参加した、オートマテリア・ノルアード公爵の忘れ形見。復活したパドルシフ少年との再会もあった。
「面白そうだから調べに行ってもいいが……」
――今日はいろいろなことがあったなぁ。
椅子から立ち上がり、腰を伸ばす。
窓に近づいて外を見ると夕方だった。
巨大な世界樹が夕焼け色に染まっている。小型の翼竜の群れが、世界樹の周囲に育ちつつある森へと帰ってゆく。
見下ろす街並み、通りの様子も賑やかさを増していた。夕飯の買い出しに向かう母娘、あるいはレストランヘと向かう家族や仲間たちだろうか。
「さて、とりあえず帰るとするか」
「そうですわね」
ユグドヘイム・オンラインの運営も忙しかった。
報告によれば、参加者たちは楽しい仮想の遊戯を終え、店じまいしたようだ。
夕映えの空に巨大なシルエットを映す世界樹には、聖剣戦艦――『蒼穹の白銀』の残骸が埋まっている。
俺がここに留まっているのは、発見された機能の解析が目的だが、道半ばだ。
唯一可動出来た『予備演算魔導回路』を流用。魔法による仮想現実の遊戯を高速演算し負荷をかけている。限界性能を探る試験を繰り返しても底が知れない。
「賢者ググレカス、魔法の通信ですわ……!」
「おっ? 今度はどこからだ」
帰ろうとしていると、魔法通信が着信を告げる。
戦術情報表示を展開すると、第一声。元気な声が飛び込んできた。
『――賢者にょ!』
「ヘムペローザか、どうした?」
『大変な事が起きたにょ……!』
成長した俺の弟子、魔法使いのヘムペローザ。彼女は今、武者修行という名の旅行でイスラヴィアを訪れている。
「な、何事だ一体」
『エルゴノートにょが……!』
<つづく>




