ゼロ・リモーティア・エンクロード
『遠隔で憑依……か、フフフ、まぁ並の魔法使い風情には理解はできぬであろうが』
「あんだって?」
剣呑な眼差しでギロリと睨みつけるアルベリーナの指先には、一瞬で高熱を発する光が輝いている。
「た、隊長……っ抑えてください」
「ちっ」
騎士チュウタがなだめにはいる。青年魔法使いの額に押し当てて脳をじわじわとローストする気だったようだ。
『……今回は実に良い戦闘データが収集できた。我が名はゼロ。ゼロ・リモーティア・エンクロード!』
「二回も名乗らなくてもいいよ、シャクに障るねぇ」
「イカレトンチキさんですー?」
流石のプラムも呆れ顔でツッこみを入れる。
プルゥーシア式の魔法学士の制服を着用している青年は、突如人が変わったように横柄な口調で語りはじめた。
「隊長、これは……?」
「ゼロとかいう魔法使いの、操り人形ってことさね」
「では、本人を本国に連行しても……」
「本人の意識は深いところに封じられている。自分が発した言葉も覚えちゃいないだろうさ。ロクな情報は得られないだろうね。それどころか、学生を拉致したとかで外交問題になりかねないさ」
魔女アリベリーナはそう言う間も、複雑な魔法円をいくつも空中に描き、青年を操っている相手の魔力の分析を試みている。
縛り上げられた若い魔法使いは始めはオドオドした様子だった。
しかし突如として顔つきと声が変わり、尊大な口調で語りはじめた。
視線はやや虚ろで、話す内容も言葉も明らかに別人だ。二重人格かもしれないが、何者かがこの青年の身体を乗っ取り、語っているように思えた。
何よりも、にじみ出てくる「魔力の質」が違うのだ。
アルベリーナはそこに気がついていた。
魔法使いが発する魔力波動のパターンは個人ごとに異なる。そうしたパーソナルな個性は、色や匂いの違いとして感じられる。
青年の身につけている制服に輝くのは、『プルゥーシア皇国ボリショタリア魔法学園』の校章だ。それはプルゥーシア皇国のエリート魔法使いの養成校として、国外にも名が轟くほどの名門校でもある。
オドオドとした口調の青年魔法使いは「卒業試験の最中だった」と語っていた。
そのときに感じた魔力は、淀みの少ない、湧き出る泉のような純粋な魔法力だった。
だが、今は違う。
ジワジワと全身から垂れ流される魔法力は、赤と黒と青と……まるで掴みどころがない。
混ぜこぜの混合物。煮込んだ魔力のように渾然一体となった魔力なのだ。
――何らかの偽装が施されている……? あるいは、とてつもない化物か?
正体がまるで掴めない。
あの賢者ググレカスの分析力があれば、ある程度は判明するかも知れない。だが、プラムが連れている『ググレ・スライム』を通じて呼びかけるのもシャクに障る。
だが、判ったことがある。
感じていた違和感。
300年生きてきた魔女、アルベリーナの膨大な経験値が一つの前例を導き出す。
「おまえ、一人じゃないね?」
『…………フ……フフフ……? ほぅ……? 複合構成魔法術式の気配を察したか?』
「複数の魔法使い、集団の魔法力を束ねて、一つの疑似人格を形成する術。そんな魔法を大昔に北の土地で見たことがあってねぇ。思い出したよ。お前の使う魔法術式の気配が似ているのさ」
『……ほぅ……。どうやら……侮っていたようだ。メタノシュタットの魔女……ただの上位魔法使いではないな? 名を聞いておこう』
「仮の名はアルベリーナ」
その名を聞いた途端、ざわめきのように波動が揺れた。向こう側で明らかに動揺した気配が伝わってきた。
『……くはは! どうりでな……。こちらの攻撃をことごとく弾き返せるわけだ。伝説級の魔法使いアルベリーナ。数年前はイスラヴィア騒乱で暗躍……。超竜ドラシリア戦役以降はメタノシュタット王国に組みしていると聞いていたが……』
「なんだ、知っているじゃぁないか? なら話が早いね」
『純粋種のダークエルフの魔女。ひと目見て気づくべきだった……。失礼した。だが生憎、こちら側からは仔細までは見えにくいのでな……、偉大なる魔女よ』
「喧嘩を売った相手が悪かったね。この事は、あの男の耳にも届くよ」
『……賢者……ググレカス……!』
ぴく、と動きが止まる。
「聞きたくもない名前だろう? 特にお前たち、プルゥーシアの魔法使いにとってはねぇ」
挑発するように青年の顎を持ち上げるアルベリーナ。
賢者ググレカスとプルゥーシアは過去数年にわたり暗闘を繰り返してきた。
転生を繰り返した怪人、「白き聖人」バッジョブ。
長い時間の旅の果て、全ての記憶も仲間も失った哀れな男。
メタノシュタット辺境の村々を、邪悪な宗教で支配しようとした怪僧エラストマ・プラスティカ。
戦闘魔法集団『十二神託僧』たちとの死闘。
そしてプルゥーシア最強の魔法使いと誉高かった『神域極光衆』。
中でも『氷結魔法使いのキュベレリア・マハーン』は最強にして最悪の敵として、何度もググレカスの前に立ちはだかった。
『……忘れはせぬよ……! 先輩方の数々の屈辱と敗北を……! だからこそ我らは来た……! 最強にして、最新鋭の術式でな! プルゥーシアの栄光を取り戻すために……! だから何度でも言おう。我が名はゼロ。ゼロ・リモーティア・エンクロード。では……またいつか、近いうちに会おう、メタノシュタットの魔法使いたちよ』
「毎回それを聞かされるのかい?」
だが、四度目の名乗りが最後だった。
ドシュゥッ……! とまるで毒気が抜けたかのように、気配が消えた。
「……あれ?」
青年魔法使いは、キョトンとした顔つきで周囲を見回した。
「あれれっ? 僕まだ捕まってるんですかぁあああ!?」
「アルベリーナ隊長!」
「逃げたかい……。どうやら相当に厄介な相手が出てきたようだね」
――ググレカス、そろそろアンタの休暇も終わりかもしれないよ。
魔女は黒髪をかきあげると、空を見上げ小さくため息を吐いた。
<つづく>




