賢者、ついに人気者の仲間入りを果たす
服屋での買物を終えた俺達は、メタノシュタットの賑やかな通りを散策した。
リオラもようやく見つけたお気に入りの服を身に着けてご満悦だ。民族衣装風のデザインが施された長めのワンピースと、刺繍の入ったコートを羽織っている。色合いは白地にベージュとやや地味な色合いだが、清潔感があってリオラらしい。
だが、リオラは手に風呂敷のような包みの荷物を抱えていた。荷物の正体はさっきまで着ていた古い服だ。本当は二束三文で古着として売ってもいいものだが、リオラが仕立て直して作業着や部屋着にすると言って、持ち帰る事にしたのだ。
しっかり者だなぁ、と今更ながら感心する。
「リオラは裁縫もできるのか……はは、すごいな」
これでは「イオラメイド服着用計画」は、いきなり頓挫しそうな気配だ。
「はい。お母さんが……得意だったので見様見まねですけど」
「そうか」
リオラは瞳に僅かな影を宿すが、すぐに明るい表情に戻ると、プラム達と手を繋いで歩きだした。
街の様子に慣れたのか、俺はプラムとヘムペローザから解放されていた。リオラと手をつないだ赤毛と黒髪の少女達は、いろいろな店先を覗き込んでは何やらおしゃべりしている。
そのかわり、俺の隣にはイオラが並んで歩いている。
「賢者さま、これからどうするの?」
「……ぐっさんはやめたのか?」
「人前だと失礼かなって思ってさ。でも二人だけの時とかは、そう呼んでいい?」
失礼とかそんな分別がついたのか! と驚くが、並ぶと少しだけ背の低いイオラにじっと上目遣いに見つめられてドキリとする。イオラは元気少年だが、顔のつくりは可愛らしい妹のリオラにそっくりなのだ。
しかし、そもそも二人きりになることがあるのだろうか? ……うーん?
午後の日差しは西に傾きかけたばかりで、夕飯まではまだ早いだろう。とりあえず喉が渇いただろと、露店で飲み物と甘い菓子を買い皆で一服する。
どこかで時間を潰そうかと考えたが、俺一人なら図書館一択なんだがな……。
と。
「用事。わたしちょっと用事があるので、またあとで……」
マニュがしゅたっ、と片手を上げて挨拶をする。
「ん? 構わないが、待ち合わせ場所を決めておかないと」
「平気。これでどう?」
マニュフェルノが俺の左手を掴んで、何やら呪文詠唱をした。気が付くと赤い魔力糸が俺の指先に絡んでいた。
「珍しいな、マニュの魔力糸か」
キラキラと細く赤い糸がおぼろげに見えた。マニュも魔力があるので魔力糸を扱えるが滅多に使わない。使っても初歩的な魔よけの結界などを描く時だ。
「運命。赤い糸ってやつです」
「おいおい……」
マニュの冗談めかした口調に苦笑いしつつ、俺はその常人には見えない極細の仮想の糸「魔力糸」を観察した。
マニュの「糸」は、俺やレントミアのように高度な術式を編み込んで、戦闘に特化した物ではなかった。単純に人と人を繋ぐためだけの、通信回線のようなイメージで伸ばされていて、丈夫で簡単には途切れないように丁寧に編み込まれている。
これを俺と繋いでおけば、迷子にならずに王都を散策できるだろう。
同じ仕組みを使っているレントミアの魔力糸も、俺の右手で光る銀の指輪から延びている。
だが、マニュの糸を見ているときは見えない。これは「魔力波長」が異なるからだ。
逆にレントミアの糸を見ようと魔力波長を合わせると……マニュの糸が見えなくなる、といった具合に波長によって異なって見える魔法使いの世界は、魔力の波長の重なりで出来ている薄幕のようなものだという。
「再見。ググレくん!」
そう言うと何やらマニュは軽やかな足取りで人ごみの中へと消えて行った。
――新作の同人誌の原稿でも出来たのだろうか?
「マニュ姉ぇさまの糸は赤いのですねー」
プラムが呟くのを聞いて、そういえばプラムの目も魔力糸を見る力を宿していた事を思い出す。
「プラムも迷子になったら俺やマニュの糸を探すんだぞ」
「ググレさまは綺麗な白で、レントミアくんのは緑色なのですよー」
「レントミアのも見えるのか?」
「……? いつも見えてるのです。時々、黒くて怖い糸がググレさまに近寄ってくることもあるのですけど、プラムが蹴飛ばしてしまうのですー!」
えへへ、と笑いながら足をえいっ! と振りあげて見せるプラムを、俺は驚きの顔で見つめていた。
無敵結界を持ち索敵結界を展開している俺にとってそれは、さほどの脅威には成らないが、ちょっかいを出そうという魔法使いはゴマンといるのだ。
「そうか……プラムは、俺を護ってくれていたのか」
「はいなのですー」
――いつの間にか、少しづつ大きくなっているんだな。
ありがとな、プラムと言って俺は赤毛の少女の頭を優しく撫でた。
◇
俺は結局メタノシュタット王城の王立図書館へと向かうことにした。
この街に来てからずっと感じている違和感の正体を確かめる為、そしててプラム達のヒマつぶしの為だ。
図書館の一階は市民に開放されており、子供でも読みやすい小説や絵本なども置いてあり、学舎に通う子供達も数多く利用しているのだ。
たが王城に近づくに従って、俺は否が応でも衆目を集めてしまうらしかった。
目立たないように歩いているつもりでも、黒髪に黒い瞳、刺繍入りの「賢者の外套」は目についてしまうのだ。これは「ディカマランの賢者」の証であり、並みの魔法使いのローブとは一線を画す、紺色に金色という「規格外」の魔法使いを意味するものだからだ。
時折、仕事を求めて王都へ来たらしい冒険者の一行が俺を珍しそうに眺め、嫉妬と敵意交じりの鋭い視線を向けて来たりする事もある。
俺が「絡んでくるならお前ら全員、裸で大通りをマラソンすることになるぞ?」という、芝居がかった暗い笑みを漏らして一瞥してやると、大概の輩はギョッとして目を逸らすのだが。
こちらにはプラムやヘムペローザがいるし、揉め事は何の特にもならないのだ。
闘技場で隣国の有名魔法使いを粉砕したり、戦勝記念パーティで大通りを歩いた時も最後尾で顔を隠していたりと、評判が良く無いことは判っている。
俺はともかくとして、一緒に歩いているプラムやイオラ達まで嫌な視線に晒されるのは耐えがたかった。
魔物との遭遇率を下げる「忌避の祝福」は人目を避ける効果もあるので、マニュに頼めばよかったな、と思いはじめた矢先、俺に対する目線や漏れ聞こえてくる声が、明らかに以前とは違っている事に気がついた。
「見ろ、あれは賢者さまじゃないか?」
「おぉ……! あれが……!」
「――王都を守った英雄!」
「流石はディカマランの英雄のお一人だ、風格が違うな……」
なんと、好意的な目線と声が向けられているのだ。
街の娘たちが、俺と視線が合ったとかで「きゃー!」とか声を上げる。それも悲鳴ではなく、黄色い「歓声」だ。
「ワシが賢者さまをこの目で見たのは闘技場と、これで二回目じゃ! ハハハ!」
「ハッ! 何を言うか、俺は三度目だぞ?」
「……俺はレアな珍獣か? っていうかなんだこれ? 死ぬのか俺は」
慣れない状況に、引き攣った顔で思わずボソリとつぶやく。
「賢者さま、なんだか注目されてますよ……?」
リオラが嬉しいような困ったような複雑な表情で眉を曲げ、兄の後ろに隠れる。
「エルゴノート師匠も凄い人気だけど、賢者さまもやっぱり人気あるんだな!」
イオラが屈託無く目を輝かせる。
いや、ちょっと違うと思うが、そういう事にしておこう。
「にょほ? 賢者はいつもは石をぶつけられていると聞くが?」
「そこまではされとらんわ!」
適当な事を言うヘムペローザの頬を引っ張りつつも、俺はどうも調子が狂う。
「賢者さま、あれ!」
「リオラどうし……あ!?」
俺が目にしたものは、大きな街頭掲示板に貼り出された「壁新聞」だった。公共施設の壁に、様々な記事の書かれた紙が沢山貼られているのだが、その中のひときわ目立つ場所に張られている最新号に人だかりがあった。
近づいてみるとそれは、広報業者による「街頭新聞」だ。
その見出しには大きく、
――巨大怪獣出現! ~ディカマランの六英雄と王都防衛隊、共闘で見事撃退~
とあり、記事には「魔王の残党による賢者の館テロ事件」の顛末が掲載されていた。
「お、俺達の記事がもう出ているのか!?」
「ググレさまのお家が載ってるのですー」
――魔王の残党が宵闇に乗じ『巨大な植物怪獣』を使役して賢者の館を襲撃。更に卑劣な事に館の居候であった少女を拉致。
ディカマランの英雄である賢者ググレカスは、これに果敢にも一人で戦いを挑み、激しい戦いの末、少女を奪還することに成功する。だが賢者はそこで負傷。
同時刻、駆けつけたメタノシュタット王都防衛隊の精鋭と、賢者を救うために集結した「ディカマランの英雄」達による共同戦線により賢者は救い出され、再び戦いの列へと加わった。
その後行われた撃滅作戦により、遂に巨大怪獣を撃破することに成功、王都の平和は守られるに至った。
この最大の功労者は「賢者」ググレカス殿であり、彼の奮戦無くしては王都で巨大怪獣が暴れるという最悪の事態になりかねなかった。
(中略)
尚、この事件による被害は騎士団側に重軽傷者十数名を出すものの、幸いにして死者は無く、被害はフィボノッチ村の麦畑が一部の焼失した事だけであり――(以下略)
と、まぁ多少の齟齬はあるが俺はむしろ英雄の様に書かれていて、例の騎士団長ヴィルシュタインの単独インタビューも掲載されていた。
俺やディカマランの英雄が「どれほど凄かったか」を興奮気味にしゃべったらしく、俺が魔王を復活させるのではないか? というクリスタニア達の疑義はこれで完全に晴れた格好になるだろう。
まぁ、実は発生源は俺なのだが、魔王の残党で間違いは無いし、細かい事は良いだろう。
何よりもよく書かれていれば悪い気はしない。俺もついに人気者の仲間入りか?
「おおお!? こ、ここに賢者さまが!?」
「ほ、本物だ!」
「きゃ! すごい!」
「あ、握手してください!」
――きたぁ! 俺も遂に人気者なのか!
一瞬で周囲で見ていた市民達の握手とサイン攻めにあうが……、俺は三十秒ほどで耐えられなくなった。
――あぁダメだ、こんなのは……俺じゃない。
いつも向けられる好奇の目や魔法使いたちの悪意に馴染んでいた俺の身体は、温かい市民の歓声と視線に対する免疫が少ないようだった。
ガリガリと心のエナジー「賢者エネルギー」が削れてゆくのが判る。
俺は市民の人垣をかき分けて、脱兎のごとく逃げ出す。
「ははは、お、俺達は忙しいのでこれで! ……みんな、走れぇえええっ!」
「にょほ!?」「ググレさまー!」「「はいっ!」」
……うーん。人気者というのはガラじゃないな。
息も絶え絶えの俺達は、そのまま王城の王立図書館へと駆け込んだ。
<つづく>