挑発
◇
「かえってきましたー」
三輪馬車に跨ったプラムと騎士チュウタが、調査母船『方々(ホウボウ)号』と合流した。
「プラム! 回収態勢に移行するね」
「はいなのですー」
調査母船『方々(ホウボウ)号』は森の中のやや開けた場所に移動し、六本の脚を折り曲げると昆虫が腹ばいになるような格好で着底した。
次いで、鎖で吊るされていた船尾部分を開く。船尾は「跳ね橋」のような開閉式になっていて、開くことでスロープのように森の地面との段差を無くし、三輪馬車の収容と発進が出来る。
「アネミィちゃん、ただいまですー」
「プラム! 無事!?」
プラムが船尾のデッキに三輪馬車を乗り上げて停車すると、アネミィは船の操舵室の出入り口から飛び降りた。数メルテ下のデッキに着地するなり床を蹴り、しなやかな身のこなしで大ジャンプ。10メルテほどの距離を一気に縮め、プラムに抱きついた。
それは竜人の羽による浮力と、高い身体能力を有するがゆえ出来る技だ。
鱗に覆われた長い尻尾を床につけることもなく、すばやく移動した竜人は、プラムを力強く抱擁する。
「うぎゅー」
「プラム、ケガはない?」
「今が一番くるしいですー」
「あっごめん……つい!」
三輪馬車から降りたばかりチュウタの眼の前で、姉妹のような二人が力強く再会を喜び合う。
身を離すアネミィの髪がプラムの頬に触れる。プラムの髪色は緋色で、アネミィは朱色に近い。
「ちょっと怖かったですけど、チュウタくんが来てくれましたしー」
「アルゴノートさん、ありがとう……」
アネミィがアルゴノート――騎士チュウタに礼を言う。アルゴノートとは仮の名で、格式張らずチュウタと愛称で呼ぶのは付き合いの長いプラムだけだ。
「ギリギリだったけど間に合ってよかった。あいつら、プラムを捕まえようとしていたんだ。許せない連中さ。けれど、ここは色々な勢力が入り乱れた場所でもあるからね。まぁ仕置はしたから、もう手出しはしてこないと思うけど……」
騎士チュウタが船のデッキから周囲の森を抜け目なく見回した。赤毛という意味では、チュウタも兄のエルゴノートの赤銅色の髪に似ている。
「プルゥーシアのハンターはキライ。あいつら臭いし野蛮人! 私ならハンター全員の心臓を、その場でえぐり出してやるのに!」
アネミィが吐き捨てるように言って、ビュッ! と鋭い爪の生えた手刀を繰り出す。
「そんなことしたら、ハンターさん死んじゃうですしー」
「はぁ!? プラムは優しすぎ! プラムだって酷ことされたんだよ!?」
プラムは相変わらず、身に迫った危機もどこ吹く風といった様子でおっとりしている。だが、我が事のように怒りの感情をむき出しにするアネミィ。
「アネミィこそ、あんま野蛮人みたいなこと言うんじゃねぇよ」
と、冷水を浴びせるように、頭上から冷静な声が響いた。
プラムとアネミィ、そしてチュウタが見上げる視線の先には、高さ5メルテほどの物見台があり、優雅に揺れる竜人の長い尻尾が見えた。
船の操舵室の上からさらに高い位置で、見張りをしているニーニルだ。アネミィの兄であり、森の声に耳を傾け、森と対話することのできる「竜魔法」と呼ばれる術に長けた、竜人族の魔法使いのような存在だ。
索敵結界に似た魔法により、船の周囲1キロメルテの範囲に耳を傾けているのだという。
「もーっ、なによ兄様は。わたしはプラムが心配なの!」
「まぁ、お前の心配も……。あながち的外れじゃないかもな……」
顔はよく見えないが、落ち着いた声の青年は、何か遠くを探るように、集中している様子だ。
「と、いうと?」
チュウタが頭上にいるニーニルの言葉に耳を傾ける。
「騎士様、アンタ余計な情けをかけたかもしれねぇな」
「それはどういう?」
「連中が、雇い主らしい一団と合流した途端、森がざわつき始めやがった」
「……!」
「連中の移動速度から考えても、身体強化の魔法を使っていやがっただろう? ハンターに魔法をかけた雇い主は、相当の魔術の使い手だぜ」
「確かに、そうかもしれない」
三人のハンターは確かに、賢者ググレカスや魔法使いレントミアのような、身体強化の魔法――魔力強化外装を使って、森を移動していた。
プルゥーシアにおいては、上位クラスの魔法使いが使う術であるのは関係者には知られた事実だ。
ハンターから金を受け取って、魔法を掛けていたのかもしれない。
だが、ハンターは電撃を浴びせたことで、二名が重症。若い一人は戦う意志を示さなかったが、無傷で見逃したことが仇となったのか。
「くそ……。僕が、甘かった」
チュウタが後悔の念に駆られ、悔しさに唇を噛む。
「甘さはググレさま譲りですしー」
「……プラム、確かにそうかもね」
今や「幼なじみ」であるプラムの言葉に、チュウタは苦笑する。
――賢者ググレカス
この世界、この時代に生きている者としては彼はあまりにも優しく、甘かった。
圧倒的魔力を有するがゆえの余裕か、油断か。それが時に危機を招くことがあったが、仲間たちはそれを「ググレらしい」といって笑い、数々の危機を克服して進んできた。
だが、かつては守られる側だった自分も、今は、騎士としての誇りと力がある。
甘い判断が招いた危機だとしても、プラムや仲間たちを守れる力がある。いや、守らなければいけないのだと、チュウタは自分を叱咤し奮い立たせる。
その時、見張り台に座っているニーニルが何かを感じ取った。
「強い魔力波動を感じる……! 昏い、憎しみと怒り。邪で欲望の邪眼を……こっちに向けていやがるぜ。プラムの痕跡を探っている……? いや、こっちを『視て』やがるのか?」
「やだ……。兄様、もしかしてこの船に気がついた?」
アネミィも異様な空気を感じたのか、傍らのプラムの手を握る。
「わからん。少なくとも向こうには優れた術者がいるようだ。俺たちのように、村を包む絶界領域を出た竜人が発する魔力波動を、獲物の匂いとして捉えてやがるかもしれねぇ……」
「船を動かすべき? 隊長に聞いてくる! みんなも準備を!」
航海士でもあるアネミィが、素早く操舵室に駆け上がろうとした。すると出合い頭に、肩から紫色のロングコートを羽織ったアルベリーナがデッキに姿を見せた。
「……気持ちの悪い波動が来てるじゃぁないか。これは獲物を検知する……いや、完全に戦闘出力の魔力波動だねぇ」
齢300歳を越えるダークエルフの魔女は、鋭い視線で森の彼方を睨む。
森の向こうに、異様な敵意に満ちた魔力の波動を、隠すこともなく放っている相手がいる。これはまるで挑発だ。
動物や弱い魔物たちの多くは、異変を察知し逃げ出したのだろう。いつの間にか風は止み、森は静まり返っている。
「船を動かしますか!?」
「今動けば、居場所を教えるようなものだね。けれど――」
太陽は西の山脈の方に傾き、直に夕暮れが訪れるだろう。
アルベリーナはつかつかと船首まで進み出ると、踵を返す。そして、コートを振り払うなり、アネミィに出航の合図を送った。
「騎士アルゴノートの寛大なる慈悲を踏み躙り、忌々しい波動をこっちに向けてきた時点で……喧嘩を売られたも同然さ」
ダークエルフの青く深い瞳の奥に、凶悪な光が滲んでいた。
「ア、アルベリーナさん……!?」
チュウタが驚き声を上げる。
「叩き潰す。枕を高くしてよく眠れるようにさ」
<つづく>




