★賢者、「ぐっさん」と呼ばれる
◇
街を歩いていれば否が応でも目に入るメタノシュタットの王城を見上げていると、なぜか「行かなければ」という妙な焦燥感が募ってくる。
だが、何のために行くのかを思い出せないのだ。
心に引っ掛かる「図書館へ」という言葉だけが、もやもやと胸でつっかえているような状態だ。
――まぁ図書館は俺の命の洗濯場、賢者エネルギー補給の場だし、後で王立図書館に行ってみればいいさ。
実際、俺は曖昧で奇妙な感覚に囚われている暇など無さそうだ。
「ググレさま、次は何処に行くのですかー? 夜のゴハンは何処でたべるのですかー?」
「プラムにょ、気が早すぎるにょ!」
「あ、あぁ? 服を売っている店に行こう。夕飯まではまだ大分時間があるからな」
食料品と日用雑貨を買い揃えた俺達は、一旦荷物を馬車に置いてから冬服を買う為に街の南側にある商店街へと向かうことにした。
自由市場は雑然として、かなり混沌としていたが、南の市街地に向かうに従って街並みは落ち着きのある高級市街地の様相を呈してきた。
人の多さは相変わらずだが、身なりのいい騎士や平服姿の役人、金持ちを絵に描いたような商人や侍女たちの姿が目に付つくようになる。
時折荷物を抱えた商人や通りかかっただけの一般市民も数多く居るが、上級学舎帰りの制服を着た男女、ひょろりとした学者風の者、魔法を嗜んでいると思われるローブを羽織った者……。だが、その誰もが王都らしい煌びやかで優雅で自信に満ちた顔つきをしている。
大通りをしばらく歩き、服屋に辿り付いた時、隣にある武器屋の前でイオラがガラス窓の向うの展示品に目を奪われた。
「す、すげぇ! 何このドラゴニアンスレイヤーって! 超すげぇ……!」
見入っているのは魔王大戦で実際に使われたという長剣だった。幅広の両手持ち剣で、とても人間が持てる代物とは思えない巨大さだ。
メタノシュタットに迫る魔王軍の侵攻部隊――魔王の波動で魔物化した「魔竜」三頭を先頭にした――を、王国軍第二師団の師団長で巨漢の半獣人ペギポスタが、迎え撃った際に使われたものだ。
師団長は剣で二頭を仕留めたが、三頭目と刺し違えて命を落としたという「英霊」の一人だ。
というのは、あくまでも俺の眼前に浮かぶ「情報表示窓」に表示された情報だ。情報の出所は、メタノシュタット王立図書館の正式な記録からの検索結果のようだ。
――ん? 王立図書館、検索魔法……、検索、妖精? 何かの……文字。詩の様な……。
だめだ、喉元まで出掛かっているのに、何かを……忘れている気がする。
「ファリアさんのと同じくらい大きいし重そう……」
イオラが俺の傍らで呟く声に我に返る。
「あぁ、そうだな、ファリアみたいに大きいな」
「…………はい」
ぽわーとした顔でイオラが眺めているので、俺はちょっとからかいたくなった。
「イオ、今ファリアの胸の事考えただろ?」
「かっ!? 考えてないです!」
顔を赤くしてイオラが叫ぶ。
「はは、いいんだって、男だしな」
からかうと益々ムキになるところが可愛い。
「大きいってのはファリアさんの斧の事ですってば!」
「あぁ確かに凄いな、ファリアの竜殺しの巨斧は」
イオラが俺の言葉に、むぅうと口をとがらせる。
「……ファリア、どうしてるかな」
俺は巨大な剣を眺めながらポツリとつぶやいた。
一番気をつかわずに話せる気楽な友人として、もっとゆっくり話をしたいと思っていても、今回も慌しく旅立ってしまったからだ。
巨大怪獣との戦いの後、俺は情け無いことにファリアにお姫様だっこされてしまったのだ。
不甲斐ない俺を笑うどころか、最高に頑張ったじゃないか、流石ググレだな! と笑みをくれたファリアの顔が浮かぶ。
細かいことは気にしないし、豪快な男勝りの性格は気持ちのいいものだ。
――けれど、あいつは絶対エルゴノートとお似合いなんだよなぁ。
俺は多分友達以上にはなれないが、エルゴノートは違うだろう。幼馴染として、冒険の欠かせない相棒として、これ以上お似合いの組み合わせは無いと思うのだが……。
「賢者さま、服、沢山ありますよっ!」
わくわくとした笑顔のリオラに袖を引かれ、俺は武器矢の隣の、大きな服屋へと足を踏み入れた。
振り向くと、マニュフェルノが別の意味でワクワクしているが。
◇
この世界の女たちは布を買ってきて自分達で服を造るのが普通らしいが、無論全てがそういうわけでもない。街や村には必ず服屋があり、出来合いの既製服を売っている。
俺達入った店はメタノシュタット王都では有名な衣類店だ。『ユニィク堂』と看板が掲げられているが服屋だ。事前に検索魔法で調べておいたのだ。
平服だけではなく、少しフォーマルな出かける時に着るような服までを取り扱う店なので、俺達のように年齢性別が様々なパーティにも都合がいい。
「推奨。イオ君には是非このネコ耳の形の防寒具を!」
「マニュさんそれ可愛いけど、女の子向きじゃ……?」
「手袋。このネコちゃんハンドの手袋もかわいいし! せめてネコさんパジャマなんてどう?」
「うぅ……?」
マニュフェルノは欲望のままにイオラに服を薦めているが、どうも気に召さないようだ。選ぶ服が「ネコ耳つき寝袋」「ネコ耳防寒具」では無理も無いが。
さすがのイオラも困り顔だ。
北風と太陽、ここは俺の出番のようだな。
「イオラ、知ってのとおりマニュは特殊な趣味と性癖を持っているから、あまり本気で聞かなくていいぞ」
「裏切。!? ググレくんぐぬぬ……」
俺は歯軋りするマニュにウィンクしておく。ここは俺にまかせておけって。
「賢者さま俺、服なんて選んだこと無いんだ……」
気弱な顔を見せるイオラに優しく微笑む。
「ははは、大丈夫だ任せておけ」
俺は歳相応の少年が着るような平服を選んでやることにした。少し厚めの丈夫な生地で冬でも寒くないような長袖の上着、そしてベルトが何本もあって足をぐるぐると締め付けるデザインのジーンズ風のズボン。長めのローブも一緒に選ぶ。もちろん色は黒系統で統一だ。
イオラは剣を使うし「指ぬきグローブ」も買ってあげよう。
服を選び終えた俺は、店主を呼んで許可をもらい、イオラを試着室で着替えさせた。
「うん! 似合うじゃないか?」
「そ、そうかな?」
「あぁ」
うむ、我ながらいい感じに中二心をくすぐるチョイスだ。このまま冒険に出発して二刀流を振っても違和感ないな。
「おぉ……かっこいい!」
イオラが自分の姿を鏡で見てすごく喜んでいる。どうだマニュ、これが少年の心を掴むコツだ。
リオラの意見も聞きたいところだが、リオラはプラムとヘムペローザのコーディネートで忙しいようだ。
自由に服を選ぶという体験が初めてなのか、数多くの品物に戸惑っている様子だ。それでも楽しそうにプラムに服をあてがってみたりしている。
プラムとヘムペローザは平服しか持っていないので、外でも着られる外套も選んでもらうように頼んでいた。
プラムは水色の少しフォーマルな感じの平服に、プリーツ状のスカートを組み合わせ、そして桜色のハーフ丈のローブを選んだらしい。
ヘムペローザは黄色いワンピースに若草色の少し大人びた上着を羽織っている。外套は同じくハーフ丈の白っぽい革のコートだ。
「すごく暖かいのですー」
「にょほ、プラムもちゃんとしたものを着ればお嬢様みたいだにょ」
「ヘムペロちゃんも可愛いのですー!」
二人ともお気に入りが見つかったのか、満足そうだ。
「ググレさま、ありがとうなのですー!」
「にょほ……その、ありがとうにょ。嬉しい……にょ」
「別に気にするな。ははは」
女の子は可愛い方がいいに決まってる。これで風邪もひかないだろうし安心だ。
店主にまとめて百ゴルドほど支払う。まとめ買いの値引きもしてくれたが、この世界ではレジなどは無く、気に入ればその場で支払うスタイルだ。
「賢者さま、ありがとうございます! でも……この前防具も買ってもらったりして、俺……」
「だからもう、そういう事は気にするなって。今日買った品物全部と服を全部合わせたって騎士が着る鎧一着にもならんような額なのさ」
「は……はい」
武具や防具に比べたら確かに取るに足らないような額ではある。とはいえイオラやリオラにとっては高額な品には変わり無いだろう。
それでも申し訳なさげにしているイオラの頭にぼふっと手を置いてガシガシと撫でてやる。えへへ、と少し恥ずかしそうに笑う。
イオラも生意気な口をきいたり、大人びて見えてもまだ半分は子供なのだ。
「あと、その賢者さまってのやめないか? イオラはもう居候とかじゃなくて、その……か……かぞ、うん。そうだ、俺の『身内』みたいなものだしな」
「賢者……さま」
イオラが栗色の澄んだ瞳を丸くする。
だが俺は、家族と言いかけて言い淀んだ。そこまで言い切れる自信が無かったのだ。イオラとは兄弟か従兄弟ぐらいになりたいと思っている。
けれど、何と言えばいいのだろう? 俺自身、元の世界では家族とは縁遠く、今でもあまり帰りたいとは思わないほどだ。物心ついたころから仕事が忙しいと言って家に居ない両親は、俺にとって印象が希薄だった。
家というものは何時も一人で居る場所で……暗く寒い所だった。
けれど「賢者の館」は、いつの間にか暖かくて賑やかな場所になっていた。
「別の呼び方にしてくれよ、なんだか距離を置かれているみたいだしな」
「そんなコト……、じゃ、じゃぁ、……ググレカスさま?」
「うわ、硬いなぁ」
「えーじゃ、ググレさん?」
「なんか違うぞ、んー、ググレ兄ィだと任侠臭いしな……」
イオラが、えー! と少年らしく笑う。
「――じゃ、『ぐっさん』?」
いつの間にか近くに立っていたリオラが、ニコニコしながらつぶやいた。
いきなり砕けたな! と思いつつ俺は気にいった。
「それだ!」と即答して親指を立てる。
「いいの? ……ぐっさん?」
「あぁ! なんだか俺はその方が嬉しいぞ」
イオラはそれを聞くと安心したようにぱっと明るい表情になり、妹に向かって、服を見せびらかし始めた。
「リオラ、プラムとヘムペロの服選びが終わったら君の服も選ばないとダメだぞ」
俺の声にリオラがうなづく。
「イオはもう選んだの? いいね、なんだかかっこいいよ」
「うん、賢者さ……ぐっさんが選んでくれたんだ!」
イオラが嬉しそうにローブを広げてみせる。
「そっか、私も賢者さまに選んでもらおうかな……」
リオラがもじもじっと可愛らしく俺を見る。
自分はまだ「賢者さま」呼ばわりだ。別に言いだしっぺなのだからぐっさんでもいいのに。
けれど、流石に女の子の服は選べないな。……メイド服以外は。
「プラム達もリオ姉ぇの服をえらぶのですー」
「そうにょ、手伝うにょ!」
「ありがとう、二人とも」
「流石に俺は女の子の服までは手伝えないからな。プラムとヘムペロと、リオラは自由に選ぶといい。あ、それと屋敷で料理をしたり掃除をしたりするときの作業着で、すこし可愛い服が欲しくは無いか?」
スチャリとメガネを指先で持ち上げる。
「あ! 確かに欲しいです! でも、それなら古着を組み合わせれば出来ますから」
「大丈夫、折角だから買ってしまおう、うん? おや? これなんかどうだろう?」
いつの間にか差し出された可愛いフリフリのついたメイド服を俺は手に取る。水色と白を基調とした清潔感溢れるデザインで、尚且つ可愛らしい。
ちなみにマニュが俺の背後から差し出したものだ。
「わぁ! 可愛いです! でも……これじゃ勿体無くて汚せないです」
「リオ姉ぇ、可愛いのですー!」
「ほほぅ? メイド服かにょ……まったく賢者もエ」
ホガホガと何かを言いかけるヘムペローザの口を押さえ、ごく自然な口調で。
「大丈夫さ。どうだろう? これでいいなら買ってしまうが?」
「は、はいっ。こんな可愛い服なら、お屋敷に似合いますよね!」
「もちろんさ! リオラなら凄く可愛いと思うぞ」
「……っ! 賢者さま……」
ぽっと顔を赤らめるリオラ。くぅ……もうここで着て欲しい。
だが、まだだ。まだ終わらんよ。
「ん? 何々? 今なら二着で半額か! では、折角だし、同じものを二着もらおう」
店主の手にお金を渡しつつ頷かせる。
「イオラ、君も仕事をする時は着替えるといい。あぁ、勿論これは女の子向けだが……後で仕立て直せばいいだろう。な?」
「え、あ……はい! 大丈夫です」
幸せ気分のイオラは、あまり疑問も持たずすんなりと頷いた。
仕立て直せばいいのだが、誰も仕立て直せない場合も当然有りうる……、という事は伏せておく。
「策士。ググレくん……」
尊敬したような、呆れたような眼差しを俺に注ぐマニュ。
別に俺の目的はリオラにメイド服を買うことで、イオラはおまけだからな! と目線でマニュフェルノと会話を交わす。
ともあれ、目的は果たしたようだ。
さて、夕方まで時間がまだあるが……。
<つづく>