パドルシフの選択
「ググレ、世間一般で云うところの賢者様と君のお父さん……ノルアード公爵は良き宿敵だったと思うよ」
魔法使いレンは、パドルシフに語りかけた。
過ぎ去りし日の出来事を懐かしむように、ゆっくりと。
「何故。旦那様とパドルシフのことは誰も知らない、秘密のはず……」
戦闘メイド・ロベリーは困惑した様子で、周囲を気にしている。ミリキャお嬢様一行は、出現した「魔女の家」についてあれこれと議論中。幸いにもレンとパドルシフの会話を聞いている者は居ないようだ。
「うふふ。だって僕は二人の戦いの現場に、何度か居合わせたからね」
エルフの魔法使いは、訳知り顔の笑みを口元に浮かべる。
「驚愕。つまりレン様の正体は、六英雄の魔法使いレントミア様?」
「お察しのとおり。ロベリーさんは頭の回転が速いね。あ、僕も有名人なんだっけ?」
「英雄。六英雄のお一人にして最強魔法使い。その名声は簡単に消えるものではございません」
「うーん。もっと別人に化ければよかったかな」
いつもより長い本物のエルフ耳を、指先で引っ張るレントミア。
「レンさん! あの、もう少し教えてくださいませんか、お父様のこと」
パドルシフがお願いすると、レンは一瞬考えた。そして噛み砕くように静かに語りはじめた。
「君という願いを叶えるため、ノルアード公爵は地位も名誉も、命さえ顧みずに戦った。手段や方法はどうあれ、それだけ君を想っていたんだね。そういう意味で一途な人だったと思うよ」
「父さんが……」
「っと、これ以上は君のメイドさんが困っているみたいだから、後にしようか」
少年パドルシフの好奇心を刺激しつつ、レンは魔法使いのマントを翻しながら優しく微笑んだ。
「まって、何でも良いんです! 知りたいんです。僕……病気になってずっと眠っていて……目が覚めたときは父さんが居なくて」
「……うん。知ってるよ。だからググレも君と話したがっていたんだ。このゲームに参加しに来てくれるなんて、想定外だったけれどね」
世界樹の街は人を惹き寄せる魅力にあふれている。だから巡り会えたのかもね、とレントミアは付け加えた。
「というわけでさ、君を見込んでひとつ協力してほしいんだ」
「何をですか?」
「このゲームをクリアさせること」
「はい、それはもちろん。でも……クリアできるかな?」
レンの言葉に、困惑気味に小首をかしげるパドルシフ。
「運営側である僕は、あくまでも『導き手』なんだ。問題の解決は、既に世界の一部である君たちプレイヤーの手に委ねられているからね。不手際で閉塞してしまった、この世界の鍵を開けてほしいんだ」
「……よく、わかりませんががんばります!」
「頼むね。もどかしいけど、何ていうのかな……。世界の危機は、魔王大戦の後も一度や二度じゃなかった。この遊戯的な仮想異世界だってその結果のひとつ。そして、ノルアード公爵の遺産みたいなものだし」
「この世界が父さんの!?」
「亜空間バブル・アブソーバ。この極小の異空間を開拓したのは、他でもない。ノルアード公爵なんだよ」
レンはそこで言葉を濁した。
――君の魂を探して長い旅をしていたノルアード公爵の偉大な成果だよ。
今ここで行われている仮想の遊戯である魔導演算はググレの遊び心の創作だけれども。そんな呟きはパドルシフの耳には届かなかった。
「アブ……? うぅ、難しくて全然わかりません。けれど、僕のために父さんが何かをしてくれたことは、わかりました」
半分困惑、半分スッキリしたような表情をうかべるパドルシフ。
「ごめんね、今の僕は思わせ振りに真実を語るのが精一杯」
レンは言い終えると肩を小さくすくめてみせた。
と、森の間に出現した魔女の家に通じる広場の入口で、ミリキャお嬢様が小さく跳ねて手招きをする。
「アンタたち! 魔女の館に突撃するわよ! はやく来なさい」
「パドルシフ、ここからは君自身が考えて、行動を選択をしてね」
「わかりました!」
駆け出したパドルシフとロベリーの背中を追うように、レントミアも歩きだした。
◇
「なんで、総攻撃じゃないのよ!」
ミリキャお嬢様が駄々をこねる。
「川辺で魔女のゴーレム軍団相手に、私たち全滅しかけたじゃないですかぁ」
「そうですぞ。力だけが問題解決の術ではありません」
「もうっ、好きになさい」
従者二人に小脇を抱えられたミリキャお嬢様は不満げだ。
レンの火力があれば楽勝よねというミリキャお嬢様だったが、レンは「同じ魔法使いとして、他の魔法使いや魔女の領域は侵さない。それがこの世界のルールだから」といって協力を拒んだ。
ここに案内するまでが自分の役目だから、とも。
代わりにパーティの代表としてパドルシフが、魔女の領域に真っ先に踏み込むことになった。
「じゃ……僕が」
「注意。きをつけて」
意を決し、空間に出来た結界の切れ目を踏み越える。全身を違和感が駆け抜ける。それでも我慢して数歩進むと、やがて空気が変わった。
「あれ……?」
恐ろしく暗い森の雰囲気が消え失せていた。
チチチ、と小鳥がさえずり、暖かい日射しに穏やかな森の風景に変化している。足元を可愛いリスが駆け抜けてゆく。
「なんか思っていたのと違うね」
「警戒。罠かもしれません」
後ろからついてきたロベリーが周囲を警戒する。
野菜やハーブの植えられている畑が取り囲む中心、20メルテほど先には、丸い形をした茅葺屋根の魔女の家があった。
「あれ?」
畑の間の小道を進んで行くと、畑の草取りをしている男と目があった。
「……おんや? 誰だぁ、おめさんら。何の用だべぇ?」
田舎訛りのある中年男性は、農夫だろうか。腰を伸ばしながらパドルシフとロベリー、そして後からついてくるミリキャお嬢様一行を驚いた様子で眺めている。
「あの、ここって魔女の家ですよね?」
「んだども。お前さんがたも、入居希望かぁ?」
「にゅ、入居?」
目を白黒させるパドルシフの袖をロベリーが引く
「屋根。上にも人が」
「あ、ほんとうだ」
見れば茅葺屋根の上にも人影があった。そちらは屋根の修理をしているようだ。男たちが腰にロープを巻き付けて、二、三人で屋根の修理をしている。
「まさか、リアージュ村の人ですか!?」
狩りに出たまま戻らない男たちではないのか。
「リアージュ……あ? そういえばそうだったっぺが。今はここがオラたちの家だっぺ」
農夫の瞳は恍惚として、まるで夢を見ているかのような顔つきだ。
「催眠。魔女に何らかの術をかけられて、使役されているのかと」
戦闘メイド・ロベリーがにわかに警戒の度合いを高める。
「ほらみなさい! 邪悪な魔女に操られているんじゃないの」
ミリキャお嬢様が不満げに言ったその時。茅葺屋根のドアが開き、一人の女が姿を見せた。美しい容姿は相変わらずで、黒髪に白い肌 青いローブをまとっている。
「おや……? 川辺に居た者たちか。まさかここまで来るとはね。けれど招いた覚えはないよ、お客人」
魔女の表情は穏やかだが、明らかに迷惑そうだ。
「まって魔女さん! 話を、話をしたいんだ!」
<つづく>




