仮想擬魂(アバター)と冒険のはじまり
「入り口は、皆さんからみて左側の壁にあるッス。そちらから中へどうぞ。急がないで、お仲間といっしょに、ゆっくりとお願いッス」
事前説明を聞いたお客たちは、ギルドマスターの指示でゾロゾロと移動を開始する。
冒険の舞台とスキルに初期装備は理解できた。あとは別の小部屋に移動して、プレイヤーの分身である仮想擬魂を準備するという流れらしい。
「いよいよだね、ロベリー」
「緊張。……あの入り口、魔法がかけられています」
「魔法?」
壁にぽっかりと開いた、小さな入り口を順番にくぐってゆく他の客たち。
まるで洞窟の入口のようにドアは無く、向こう側は白い霧で満たされていてよく見えない。
「では、良い旅を」
ギルドマスター・スピアルノが言ったのを聞いた時、ロベリーとパドルシフも入り口をくぐっていた。
部屋と入り口の境界に、水面のような波紋が生じ全身を包み込む。
戦闘メイドの温かい手の感触はある。けれど軽い浮遊感に似た、不思議な感覚に包まれる。
――わ……!?
思わず目を閉じた、一瞬の後。
今までいた部屋よりも明るく、大きな通路のような場所に出た。壁全体が明るく光っていて、床は靄が渦巻いている。
左右にはドアがいくつも並んでいて、それがずっと先まで続いている。けれど、先に入ったはずの客たちの姿は見当たらない。
「あれ、こんなに広かったっけ?」
「理解。どうやらここは魔法の空間、さっきとは違う空間のようです。外から見える建物の何倍もの広さがあるのでしょう」
「もう何がなんだか……。すごいよね魔法って。これぜんぶ賢者ググレカスの魔法なんだよね!?」
「推測。そうらしいのですが、詳しいことは何も」
パドルシフのノルアード父も国を代表する凄い魔法使いで、ググレカスとも友人だと話していた事を誇らしく思う。
ストラリア諸侯国の要人だったノルアード公爵は、紆余曲折の末、王都メタノシュタットで大使に返り咲いて働いている。
自分にはまるで魔法の才能の無く非力で、しかも病気がち。パドルシフは負い目を感じる事もあったが、尊敬する父ノルアードはいつも優しく大切にしてくれた。
すると10メルテほど先のドアの一つが、ひとりでに開いた。
『――受付番号78のパドルシフ様、ロベリー様、お部屋へどうぞ』
ギルドマスターの声とは違う声に従って、二人は部屋に入る。
そこには不思議な形のソファーが2つ、中央にある以外はシンプルな部屋だった。タオルと飲み物の入った瓶が置かれたテーブルが壁際にあり、入り口には内側から鍵を掛けることが出来た。
テーブルと反対側の壁には『お帰りはこちら』と書かれた木の扉がある。不思議なことに窓はないのに全体がほんのりと明るい。
甘い花のような香り、淡い証明と相まって寝所のような落ち着いた雰囲気だ。
ソファーは革張りで大きい。全身を横たえるように背もたれはやや斜めになっている。
特徴的なのは頭を乗せるヘッドレストの部分。まるで頭部を包み込むように、半円形になっている。そこに何か魔法のカラクリがあるのだろう。
『――さぁ、ソファーに座って目を閉じて、気を楽にしてください』
「ここが……冒険の始まりの部屋」
「首肯。そのようですね」
『――お部屋の左手に見えるドアは、お帰りの際に開けてください。店の外へ直接出られます』
まずは言われたままにソファに身を沈め、目を閉じる。
パドルシフが目を閉じて数秒で、眠りに落ちるような心地よい脱力感があった。
目の前に幾重にも魔法円が浮かび上がる。
――聖剣戦艦・予備演算魔導回路接続、仮想擬体:E78977を生成……割り当て成功。
――生体接続確立、表層意識クローニング、感覚置換開始、成功。
聞き慣れない呪文のような声が頭の中に連続的に響く。目の前に見えていた部屋の輪郭が崩れ、七色の光のトンネルの中を進んでいるように変化する。
「ロ、ロベリー! そこにいる?」
思わず声を上げるが、身体が空中に浮かんでいるようだった。
「平気。大丈夫のようです、落ち着いて。こちらが見えますか?」
落ち着いた声のする方に首を動かすと、同じように横たわっているロベリーだけが見えた。ソファも何もない空間に身体だけが見える不思議な状態だ。
ぽんっ、と軽い音がして目の前に四角い額縁のような「窓」が現れた。
「わ、今度は何?」
――目の前の窓は『情報応答窓』といい、指で触れます。
「ほんどだ……!」
パドルシフが恐る恐る腕を伸ばすと、指先に感触があり、反応するように光を放った。
『今からあなた分身、仮想擬魂を準備します。よろしいですか? はい/いいえ』
コンソールに文字と同時に音声が響くので、それに従えばいいらしい。
『まず、現在のお客様の状態から初期アバターを生成します』
シュン……! と全身を魔法円のような輪が通過する。まるで鏡にように目の前にもうひとりの自分が現れた。
「わ!? 驚いた……。これ、僕だよね」
事前説明でみた魂の分離、分身たるアバターだ。
『では、種族、性別、年齢、体格、髪の色、目の色など、お好きな各種パラメータを操作頂くことで変更が可能です。特に変更の指定がなければ、そのまま決定をお選びください』
目の前に別の大きめのコンソールが開き、説明通り細かなパラメータが表示されている。種族は『人間』だが、エルフやドワーフ、竜人なんてのも選べる。
「え? 性別とか種族とかも変えられるの?」
『変更可能です』
「筋力をあげると……あ、素早さが減るんだ」
『パラメータの変更は、他の要素に影響を与える場合がございます』
魔法に関するパラメータは存在しない。
スキルクリスタルによる魔法のアイテムに限定されているからだろう。それはシステム上の制約なのだろう。
しばし考え込むパドルシフだったが、基本的にはそのままでいくことにした。けれど、ちょっとだけ身長を伸ばす。アバターの身長がぐん……と伸びた。
「あはは、こりゃいいや。ロベリーと同じくらいになったかな」
横を見るとロベリーもいろいろとパラメータをいじって変化させている。
「ロ、ロベリー!?」
そこにいたのは身の丈180センチはあろうかという重量級ドワーフの男性だった。アバターを魔改造しすぎてもはや原形をとどめていない。
「屈強。ガチムチの屈強な男性にして、パドルシフをお守りしようかと」
「ロベリーお願いだからやめて! 元のほうがいいよ、ね!?」
「残念。そうですか……」
ロベリーはアバターをデフォルトに戻した。けれどまだ名残惜しそうに種族をエルフに変えている。体力は低下するが、スキルクリスタルの威力が増加するらしかった。
『では、次に職業をお選びください。戦士、剣士……。魔法使いをお選びいただきますと、初期装備のスキルクリスタルが三つになります。ですが、剣や盾の装備は不可となります』
「あ、僕は剣士で!」
「戦闘。メイドで」
「あるんだ……」
二人はこれは即決だった。同時に初期装備がアバターの身体に装着される。
パドルシフには片刃のやや湾曲した剣。小型の盾は装備されず、左手をガードする手甲が装備された。鎧は銀色で紋様が彫られた軽甲冑だ。
『冒険の準備が整いました。では、舞台を選んでください』
冒険世界は全部で5つで、最初の説明どおりだった。けれど初心者向け上級者向けなど、ある程度は「おすすめ」はあるようだ。
村娘の依頼「困りごと」、初級向け。
王様の依頼「魔物退治」、初級向け。
砂漠の冒険「秘宝探索」、中級向け。
森林の戦闘「竜撃戦闘」、中級向け。
魔王の覚醒「復活阻止」、上級向け。
「ロベリーどれにしようか?」
「初級。あたりがよいのでは……」
「うーん。そうだね、『困りごと』にしよっと」
素直に従うパドルシフ。いきなりハードな戦闘もちょっと怖い。
『村娘の依頼、困りごと初級向けですね。これは、フィールドを移動しながら美しい世界をお楽しみ頂けます。村外れのベリーの森に出没する低級な魔物を退治していただきます。他にも細かなクエストがランダムで発生します』
解説を聞くと、なるほど丁度よさそうだ。
コンソールの『決定』を選択する。
――アバターへ感覚転送、開始。
意識だけがまるで飛び移るように、アバター側に変わるのがわかった。
視点が、変わっている。
「わ……わ!? 僕が……座ってる」
向かい合っているアバターから見た視点からは、色白の少年がソファに埋もれるように眠っているのが見えた。
試しに右手を動かすとちゃんと動く。剣を握っているのに重さはあまり感じない。
『コンソールは常時、視界に浮かびます。体力、ダメージ、状態、経過時間などが表示されます』
「う、うん。終わるときはどうすればいいの?」
『画面最下部の『没入離脱』をお選びいただくか、緊急時には心の中で『没入離脱』と念じていだくことでも離脱可能です』
「わかった」
『ちなみに経過時間は、現実世界の3分の1。つまり、冒険を3時間行っても、現実世界では1時間しか経過しておりません』
「すごいや、それなら安心だね」
『では冒険が始まります。幸運を――』
シュゥウウン! と視界が風のように変化する。
白い光に包まれていた視界に次第に色がつき、輪郭がはっきりする。
青い空に、どこまでもつづく草原、そして小鳥がチチチと空を横切ってゆく。
小さなチョウが、小花の上を舞う。
――夢どころか、本物だよね……?
とんっ、と飛び跳ねてみると着地と共に両足がしっかりと土の地面を踏みしめた。全身の感覚は本物そのものだ。
「すごい、すごい……っ!」
思わず興奮するパドルシフ。鎧の重さも剣の重さも、現実の三分の一ぐらいだろうか。身体がとても軽い。
と、横にエルフの戦闘メイドが立っていた。
「興奮。しますね」
「わ!? あ、ロベリー。……髪の色も変えたんだね」
「微笑。きまぐれです」
ストロベリーブロンドの髪は、美しい銀色に変わっていた。そのほうがエルフらしくて似合っている。
少し先には小さな村と、それを囲む木の柵、そして入口が見える。木で組まれた家々は、可愛らしい赤い焼き瓦の屋根を乗せている。
「さぁ、行ってみよう!」
<つづく>




