魔法とは何か? ――王立魔法協会会長の特別授業【後編】
『――つまり魔素こそが魔法を生み出す、鍵じゃ。見えない向こう側の世界から、魔法という力を導き、発現させる要素、と考えられるのじゃ』
メタノシュタット王立魔法協会会長、アプラース・ア・ジィル卿の授業は佳境を迎えたようだった。ここまで話し終えると、小休止とばかり傍らにあった水差しから水を銀杯に注ぎ、こくりと口に含んで喉を湿らせた。
真新しい魔法の学舎で授業を受ける12人の生徒たちは、真剣な様子で耳を傾けている。
ヘムペローザも魔法使いの秀でた才能を認められた者としての自覚が出てきたのか、真面目に聴いているようだ。
アプラース・ア・ジィル卿の発する言葉を、素直に聞けば漠然と「魔法の仕組み」について学ぶことができるだろう。
だが、言葉の背後に潜む意味について考察を始めると、途端に難解な魔法の理論が見え隠れする。
世界が二重構造である可能性、
そして鍵となる要素である、魔素の存在。
「うーん、勉強になるね」
講義が小休止し、レントミアが感心したように呟く。
「レントミアも魔法協会で今の話題を論じたことがあるんだろう?」
「うん。何度かあるよ。さっきの『世界の二重性』については、魔法使いの談話室でも話題になっていた。けれど意見がまとまらなくて。神様の世界だ、悪魔の世界だ、だの。人間の精神の内側にこそ世界が、って理論もね。さっきのアプラース老のお話は、それらを統一して、ぎゅっと纏めたみたいな感じで、分かりやすいし納得できたんだ」
「なるほどな。魔法によって生み出される力、熱や冷気、その他の事象を引き起こす力が、どこから来ているか……という根本的な問題を説明する理論、その思考実験と推論は、熱いテーマだな」
レントミアが静かに頷く。
「アルベリーナ先生も以前、似たようなことを言っていたんだ。『火の魔法を使えば、どこかで灰が降る』って。何のことか分からなかったけれど、アプラース老の話を聞いて、何だか納得できたよ」
「通常、この世の『理』に則って考えれば、火が燃えるには可燃物となる燃料が必要だ。燃えて熱と光を生んで、残りは灰になる。それが理だ」
「でも、魔法は違うんだよね」
「そのとおりだ」
魔法円や呪文により、空間のある特定の位置に「熱と光」だけが生じるのだ。
そのための燃料も、燃えた後に灰も残さずに。
「火炎魔法を使うためには、世の理と同じ、何処かで何かが燃えて、灰が生じる必要があるんだよ。それは多分この世界じゃなくて、見えないもう一つの世界側なんじゃないかって」
どうやらアプラース・ア・ジィル卿が講義を再開するようだ。
『――と、まぁ。何じゃったかの? おぉそうじゃ。見えない世界から魔法はやってくる、と仮定の話ぞな。扉を開く鍵は、魔素だとすると、いろいろと説明がうまくできるのじゃ』
杖でまた空中に絵を描く。光の痕跡が図形となり輝く。一種の『演出魔法』のようだ。
『――皆も既に知っての通り、魔法の基本、魔力糸も様々な形や、タイプがあるぞな。これは魔法使いの体内に存在する魔素の量、あるいは固有の振動数によって生じるクセのようなものと考えられる。……そうじゃな、魔素を毛根と考えると、分かりやすいかの? 様々な髪の毛の色や長さ、毛髪量、ストレートかウェーブか等の違いが生まれるじゃろう? これが魔法にも当てはまる、魔力の違いということになるかの』
髪が伸びて様々なヘアスタイルを生む。
同じように魔力糸も絡まりあい、様々な魔法円を描き魔法を生む。
その映像に「おー……!」と生徒たち反応も熱い。かなり納得の行く説明だったらしく、反応は上々だ。
「先生! ハゲは魔法使いじゃないんですか?」
教室がどっと笑う。発言したのはやんちゃそうな短髪の男の子だ。
「勝手な質問は許されておりませんよ」
アルリー・プティカット先生が嗜める。
『――あーよいよい。たしかに魔素を毛根とするなら、魔法は使えぬの。じゃが、努力を怠ってはならぬ。鍛錬をつめば、残った一本の毛から思わぬ魔法が生まれるやもしれぬからの!』
「はは、上手いことをおっしゃる」
「なるほどね、面白いね、流石アプラース老」
『――あとは、今のヘアースタイルの話の例えの通り。魔力糸を編むことによって、様々な魔法の現象を生じさせる事ができるのじゃ。魔法円を描き、魔法陣を組み……更に高度な現象を起こすこともの。無論、中には魔力糸自体が、魔法そのものという魔法使いもおるの。そこな、ヘムペローザ嬢と、その師匠たる賢者ググレカスがその系統の魔法使いじゃのぅ』
「にょほ、確かに、蔓草なら気合いで出せるにょ」
教室の生徒達がヘムペローザに注目する。机の上で小さな蔓草を伸ばして、葉を二、三枚生やすと「すげぇ」「すごいね!」という小さな歓声があがる。
俺にも視線が向くが、残念ながら俺の魔力糸は、あまり派手にお見せできるものでもない。代わりに手からゴボゴボと粘液魔法でスライムを溢れさせて見せようか……と思ったが、思いとどまる。
と、生徒の一人が手を挙げた。今度は賢そうな男の子だ。
「先生! あの……天使や悪魔、精霊と契約すると魔法が使える……って、どういうことなんでしょう? 僕のお父さんも魔法使いなんですけど、精霊と契約したり、天使の力を借りたりして魔法を使う……って言っていたんです」
ざわ、と教室がざわめく。確かに、昔ながらの魔法使いは「天使や悪魔との契約により」という言葉を使う。
そもそも俺たち魔法使いは、意識するしないに関わらず、そういった上位の存在と『真名聖痕』という契約の印を介して、魔法が使えるようになると思われているし、実際に存在するものだ。
いや、まてよ……。
それも魔素の組み合わせで説明がつくのではないか?
『――神や天使、悪魔。それに身近な精霊たちを一括りには出来ぬが、確かにそういった目に見えぬ存在は、我々と隣り合わせに存在すると言えるのう。そこで思い出してほしいのは、「見えない向こう側の世界」の話じゃ。見えない世界にはそうした住人がいて、儂らをまるで人形劇の演者のように操っているのやもしれぬ、ということじゃ』
その後もアプラース・ア・ジィル卿は生徒たちの素朴な疑問に答えながら、面白おかしく、飽きさせぬように授業を続けていった。
あっというまに1時間が過ぎ、生徒たちは盛大な拍手で老魔法使いへの感謝を示した。
「レントミア、どう思う?」
「アプラース老の講義は、ちょっと子供向けにアレンジしていた部分もあったけど、談話室で論じられている内容に沿っていたと思うよ」
「ほぅ、やはり談話室は興味深いな」
「ググレもまた参加してみると良いよ。さっきの話もさ、ちょっとだけ補足するなら。魔素が寄り集まって魔素分子集合体を生じるって説。それが更に複雑で高度に組み合わさって……やがて、ある種の擬似的な思考と処理能力を得た魔法生命になるってね。それこそが見えない世界の上位存在。天使や悪魔、精霊たちなんじゃないの? って話もしてた。半分は妄想みたいなもので実証できない説だけど」
「うーむ……。気に入った。俺もまた参加したくなってきた」
だが、さらなる疑問が生じていた。
「魔素による『二重世界』の理論が正しいと仮定して、見えない向こう側の世界では何が起こるんだろうな。此方が都合よく熱と光だけを得て、そっちの世界では燃料が突然灰になっているんじゃないか?」
「あ……」
俺の言葉にレントミアは目を丸くした。
水が高いところから低いところに流れるように。熱い湯が冷めて水になるように。
燃料が燃えて熱と光を放ち、冷たい灰になるように。
蓄えられた「力」は霧散する。
同じことが魔法を使うたびに、「見えない向こう側の世界」で起こっているとしたら、その世界はやがて、灰だらけの冷たい、干からびた世界になり崩壊するのではないか?
「収奪され、抜け殻のようにならないか……ちょっと心配になってな」
「そこまでは考えたことなかったよ。やっぱりググレも談話室においでよ。煽られて叩かれてもへこたれない訓練にもなるよ」
「おいおい勘弁してれ」
王都に居た時は忙しくて、時々ひやかしで見に行ったものだが。今こうして話を聞いていると妙に参加したくなるから不思議だ。
「もう。でも、ググレが参加したら皆喜ぶよ、きっと」
「そうだろうか……」
迷惑がられたりしても嫌だが。
「そうだよ! みんな賢者ならではの視点を待ってるし」
「でも仕事が忙しいのに、世界樹村からどうやって」
「遠隔通信があるでしょ」
「あぁ確かに」
レントミアが肩をこずく。持つべきものは友達だ。
さて、実にためになる授業だった。ヘムペローザを連れて帰るとしよう。
<つづく>




