魔法の師匠と兄妹弟子、朝の修行
◇
朝、隣りで寝ていたはずのマニュフェルノは先に起きたようだ。寝台からモゾモゾと身を起こす。音と声がするので、すでに下で朝食作りの最中だろう。
「ふぁ……。今日は何する予定だっけ?」
「もう、賢者ググレカスってば。朝食後にお庭で魔法の修行ですわ。その後は世界樹まで魔法の馬車で飛んで行き、昼前には現地到着の予定。そしてヨラバー・タイジュにて諸々の準備作業と会合ですわね」
朝露を飲み終えた妖精メティウスが、窓の隙間から舞い戻ってきた。
一瞬で早着替えを終えて、いつものビキニ姿から秘書っぽい姿となり、今日の予定を教えてくれた。
城勤めからは開放されたが、結局はハードな一日の始まりのようだ。
「……ありがとう、目が覚めてきた」
世界樹での仕事をこなすため、今日は現地で担当者と打ち合わせをしたり、館の引越し先の下見をしたり、あとは現地の学舎を見学したりする予定だった。まぁ現地生活の「地ならし」と「下準備」といったところだ。
素早く身支度を整え、朝日の差し込む廊下と階段を過ぎ、リビングダイニングへと向かう。
「昨夜はずいぶんとお楽しみでしたわね」
「メティ、ちょっと誤解を招きかねないから一応フォローしておくが、新型の『幻灯投影魔法具』が届いたから楽しんだ……ということね」
「あら? 私、何かおかしな事を申しまして?」
「いや……」
昨夜はメティの言う通り、我が家に新型の『幻灯投影魔法具』がやってきた。
やはり最新型は映像が綺麗で、人気の歌謡番組を見て家族全員で盛り上がった。
深夜になると遠隔中継が始まった。それも密かに人気急上昇中の深夜番組、『新イスラヴィア・プロレスリング中継』だ。
それをマニュフェルノと寝台に移動して視聴。おかげで思わず興奮して夜更かしをしてしまった。
砂漠のオアシスに特設された四角いリングの上で、男たちが戦う格闘術。
人気のレスラーや覆面の悪役が戦う試合は実にエキサイティング。男なら興奮する。だが、マニュフェルノは別の意味で愉しんでいたようだが……。
「筋肉。鍛えられたムキムキの肉体、男たちの身体がくんずほぐれつ……! こんな放送、深夜しか無理よ! きゃっ……重なりあってあんな……」
「いや、これは格闘術の健全な試合だから!」
「無理。これは無理なやつね、ハァハァ」
「おまえね……」
そういえば元勇者エルゴノートもイスラヴィア動乱事件の際、竜人の女の子相手に本気でレスリングをしていたっけな……。そんなことを思い出しながら階下へと降りてゆく。
「リオラおはよう」
「おはようです、ぐぅ兄ぃさん」
一階に降り、リビングダイニングの扉を開ける。するとエプロン姿のリオラとマニュが朝食を準備していた。
「興奮。それでね『降参か?』『まだまだ』『ならこれでどうだ』って。もう!」
「ヤバイですね、私もこんど見たいです……格闘術として」
「寝技。リオラも寝技を覚えましょう」
「そうですね。打撃はもう……」
マニュフェルノがリオラに『新イスラヴィア・プロレスリング中継』について熱く語っている。
そっとその場を離れつつ顔を洗いにゆく。
洗面所に行くと、プラムとヘムペローザ、ラーナが占拠していた。
「髪、結うですー?」
「そうじゃにょー。空飛ぶ馬車は風が吹き込むからにょ」
「ヘムペロちゃんはハーフアップで、ラーナはサイドを細かく編みますかね?」
「プラム姉ぇ、ありがとうデース」
女の子たちが髪を結い合う姿は実に微笑ましい。
今日からしばらく王国全土の学舎は、殆どが「秋の収穫時期休校」に入っている。
王都の学舎なら麦の収穫とは一見すると関係無さそうだが、慣例として休むらしい。
10日ほどは休みがつづくが、都会で暮らす生徒たちにとっては夏休みと冬休みの間、降って湧いたお休みといったところだろう。
ということで今日は空飛ぶ馬車、『空亀号』で現地見学も兼ねて皆でお出かけすることになっていた。
飛行モードでの乗車定員は、御者席2名に客室は最大6名。これは大人換算の人数なので、プラムとヘムペローザ、ラーナを合わせて大人2名分で計算する。
あとはルゥローニィとレントミアも一緒に行く。
ルゥは結局、王国の全面バックアップを受けて世界樹で道場――剣術道場であり、親国家的な傭兵育成を目的とした――を開く事になりそうだ。
レントミアと俺は、魔法協会から仕事を託されている。実は、現地に開校したばかりだという『世界樹ヨラバー魔法学舎』の様子を視察に行くのだ。
生徒数はかなり少ないらしく、教師も不足しているという。やがてヘムペローザも入学することになるだろうから下見も兼ねておこう。
さて、留守番組のリオラは家で掃除や、庭の手入れをするという。優雅な休日かと思ったが、スピアルノとちびっこ4人もいるので賑やかそうだ。
とはいえ折角買ったばかりの『幻灯投影魔法具』高級機を見て午後はのんびり出来るだろう。
マニュフェルノは朝の支度を終えたら、そのまま王立病院へ出勤らしい。手伝っていた魔法薬のレシピを完成させる仕事を片付けてくるという。
◇
朝食を終えた俺とヘムペローザは庭に出た。
時刻は朝の7時過ぎ。朝霧が湖面に漂うひんやりとした空気が心地よい。
「さてヘムペローザ。出かける前に、魔法の修行をしよう」
「はいにょ!」
髪をハーフアップに結ってもらったヘムペローザが黒曜石のような瞳を輝かせる。
修行とはいっても、今日は俺がヘムペローザに一方的に教えるわけではない。
むしろ共に生徒という立場だ。
「や、二人とも来たね」
木陰からレントミアが姿を現した。
身につけているのは作務衣のような白い衣服。魔法使いというよりは、神秘的なエルフの国からきた神官のような雰囲気だ。
俺の魔法の師匠であり、親友であるレントミア。彼による修行を受けるのだ。
俺は先日の敗北を怠惰と、油断、慢心からくるものと反省し、弱点を克服するため再修行をしてくれるよう願い出た。
ヘムペローザは基礎を学び、自分の優れた点を伸ばすためだ。
「よろしくおねがいします」
「レン兄……いやせんせー」
黒髪の兄妹みたいに二人で礼をする。
「いいよー。じゃ今日の練習は……これからね」
レントミアは香水が入っているような、小さなガラス製の小瓶を取り出した。
それも2つ。
コルクの栓をきゅぽん、開ける。そして近くにあった薪割り用の切り株にひとつ、もう一つは少し離れた椅子の上に置く。
「何をするんだ?」
「今から二人には、この瓶に中に魔法を命中させてもらうよ。ググレは……『粘液』をひとしずく入れてみせて。ヘムペロちゃんはね、蔓草の先端でも、芽でも『種』でもいいから入れてみて」
「……! 精密誘導の訓練というわけか」
「あんな小さな瓶にいれるのかにょ?」
瓶の口の大きさは1センチメルテもない。
「そうだよ。難しい? 二人ともそこから動かないこと」
ちょうど距離は俺達から7メルテほど離れている。
「ヘムペロちゃんは集中力と精密誘導の訓練になるよ。でも、魔法で大切なのは想像力。剣士や戦士が使う力とは違う、頭脳の勝負。いろいろ工夫すると意外と簡単にできちゃうかも」
「にょぅ……?」
ヘムペローザは唇を結び考え始めた。
「ググレは僕が邪魔するから、瓶の口に命中させてみて。ハンデだよ」
髪を耳にかけ意地悪く微笑む。
「ハンデが大きすぎないか……?」
「火炎魔法で攻撃するわけじゃないよ。魔法の結界と力場で邪魔をするの。その中で対応できる?」
高度魔力妨害環境下における、魔法の精密誘導の訓練……ということか。
「ふふん、やってやる」
「そうこなくっちゃ」
<つづく>




