甘いパイの夜想曲(ノクターン)
「これを……俺に?」
「はい、ぐぅ兄ぃさまの元気が出るようにって、お夜食で焼いてみました」
リオラがそう言うと、夜のおやつ『スライムパイ・ブラック』をテーブルに置く。
焼き上がったばかりのパイの表面はきつね色で、甘くて良い香りが漂う。オーブンから取り出してすこし冷ましていたらしく、早速リオラが切り分ける。
プラムとラーナ、ヘムペローザも匂いに誘われてやってきた。
さっきまで騒いでいたルゥ一家の子どもたちは、ルゥとスピアルノに抱かれ、寝室へと運ばれていったところだ。
「すごいな! ありがとうリオラ」
「あ、さっそく元気出ました?」
「出た出た。嬉しいよ」
よかった、と微笑みながらリオラがパイを八つに分けた。
「でも、手間だったんじゃないか? 夜食にしては本格的だし……」
「そんなに手間はかからないんですよー。生地は作り置きがありましたし。中身は黒スグリと赤いベリーにソースだけですし」
エプロン姿のリオラが俺の目の前で小皿に切り分けたパイを載せた。生地に包まれたソースは、赤と黒綺麗な二色に分かれていた。
「色合いも綺麗だし、香りも良いなぁ」
「フレッシュでピュアな感じ。とても綺麗なパイだね。僕さ、魚や肉のはいったパイって好きじゃないんだよね……」
最近は菜食寄りの雑食主義、ハーフエルフのレントミアが持論を述べる。
「あ、それはわかるな」
「レン兄ぃさんもどうぞ!」
「僕も食べていい?」
「もちろんですよ」
レントミアにも皿とフォークを渡すリオラ。
みんな焼きたてのパイの甘い香りに思わず笑みが溢れる。
「まずはぐぅ兄ぃさん、食べてくださいな」
「おぅ、いただきます!」
落ち込んでいたせいで、夕飯はあまり喉を通らなかった。気がつくと確かに小腹が空いていた。リオラが気を遣って夜食を作ってくれた事が嬉しい。
早速パイを食べてみる。まだ残った熱でジャムの風味が引き立ち、香ばしくパリパリとした生地と相まって実に美味い。
「うん、うまいっ!」
「よかったー」
「夜食。甘いものを食べると、気持ちが軽くなるしね。お茶もどうぞ」
マニュフェルノがハーブティを持ってきてくれた。リラックス効果のあるオレンジブロッサムとレモンバームのブレンドだという。こちらも香りだけで安らぐ感じがする。
「マニュもありがとうな」
「微笑。今日は転勤祝いの特別サービスの日ですから」
「祝いか……そうだよな」
考え方一つ。家族と一緒なら何処だって楽園だ。こんな愛情がこもった美味いものが食べられるなんて、俺は幸せ者だ。
転勤や評価を気にしてくよくよしても仕方ない。
王城で失敗した点は反省して、またしっかり頑張ろうという気になってくる。
「……美味しそうなのデース」
寝巻き姿のラーナが、机の端から顔を出してこちらを眺めていた。プラムに似た緋色の前髪に、リオラからもらった髪留めピン。
じーと窺いながら物欲しそうな顔をしている。
「ラーナも食べようぜ! ほら、おいで」
「でも寝る前なのデース」
なるほどそれを気にして皆は遠慮していたのか。
「大丈夫、育ち盛りだし食べても平気だって」
ほれほれと皿を近づけて釣ると、ラーナはやってきた。「あーん」と口を開けてぱくり。やっぱり美味しいと満足げな笑みを浮かべる。
「ググレさまのお夜食にしておくのは惜しいですねー」
「じゃが、夜中に食べたら太るしにょぅ」
それを見ていたプラムとヘムペローザも悩み始めている。二人ともお風呂上がりで、髪を下ろしていて、寝る態勢のようだ。
それぞれ色違いのロングTシャツをすっぽりと被っている。シャツと言うよりトレーナーのような、寝巻き風。丈がとても長くて、太ももまで隠れるようなデザインだ。
すらりと伸びた細い素脚の先には、スリッパを引っ掛けている。
どうやら夜食のパイを食べたいのに「太るのかもしれない」という、思春期女子特有の悩みで手が出ないようだ。
「プラムもヘムペロもよく聞くんだ。確か、ビタミーンにポリフェノアールという栄養が豊富に含まれたベリーのジャムは、とっても美肌効果がある。ちょっと食べたぐらいじゃ太らない。むしろ寝る前にオススメのお夜食だよ」
適当なことを言いながら俺はもう一切れ食べてみせる。
「おー? なんだかとっても大丈夫な感じですねー」
「プラム、ググレにょの罠だにょ! あれはテキトー言ってる時の顔にょ」
ヘムペロめよく観察してやがるな。流石は一番弟子。
「そうなのですー?」
「そうじゃとも」
「はっはっは? でも美味しいぞー、ほらー」
葛藤する様子が面白いので、パイの載った皿を駒のようにすっと目の前に進めてやる。チェックメイトだ。
「……一切れぐらい大丈夫ですよねー」
「プラムにょ!」
「あぁ、大丈夫だとも」
プラムがついに陥落。一切れを手に取るとペロリと平らげる。
「甘くて美味しいのですー!」
「ぐぬぬ、女子の敵がここに……!」
「ヘムペロだって身体は細いんだから、少しぐらい食べても平気だろ? 俺はマニュみたいな、ぷにっとした肉感があったほうが、好きだぞ?」
優しく諭すように語りかける。
「……そ、そうかにょ。ならば仕方ないにょぅ」
結局ヘムペローザもベリーのパイを手に取ると、小さな口で頬張った。
「おいしいにょ」
「だろう?」
床に溢れたパイのカスは『賢者の便利道具』、ノレンバ君(5号)がシュルルと近づいてきて吸い取ってゆく。
「肉感。そういう褒め方は卑怯ですねぇ」
「ほんとですよ、太ったらどうするんですか」
マニュフェルノの言葉にリオラはくすくすと笑っていたが、味見ですといって食べた。
「責任。ググレくんに取ってもらうので大丈夫でしょう」
「そうですね!」
「はは……」
「背徳。なんともいえない美味しさですね。夜のおやつだからかしら?」
「寝る前だと美味しく感じちゃいますね」
リオラが指先についたジャムを口に銜えてぺろりと舐めた。そんな仕草もなかなか良い。
マニュフェルノも甘いパイを食べて幸せそう。俺は嘘偽りなくマニュの柔らかい抱き心地が好きなのだが。
というわけで、甘い夜食を食べるとみんな幸せになるらしい。
「でも毎晩食べたらさすがにヤバイにょ!」
その後――。
しばらくして、子どもたちを寝かせたルゥローニィがやってきた。そこでレントミアと男3人で『メティウス酒場』で軽く酒盛りをした。
「拙者はあと4人! 子供がほしいでござるー」
「ルゥさ、自分トコの子だけで道場満杯にできるじゃん……!」
「にゃはは……」
「俺は世界樹のてっぺんで大きなスライムを育てたいー」
「ググレは討伐対象! きゃはは」
ほろ酔いになったルゥと俺、そしてレントミアがバカ話で盛り上がる。
夜が更けるまで語り合ったのは、もちろん仕事の愚痴や悩み。
夢や将来のことだった。
◇
翌朝、王城から使いの者が来た。
それは本日の午後3時に俺とレントミア、それにルゥローニィとマニュフェルノ、更にヘムペローザも登城するように、とのお達しだった。
<つづく>
【作者よりのおしらせ】
本章もあと2話でおわりです!




