男たちの悩み事
◇
「落ち込んでないで、リビングダイニングに行こうよ」
「そうですわ、賢者ググレカス」
レントミアが両手を俺の肩に乗せ、後ろから押す。妖精メティウスは部屋の出口で誘うように飛んでいる。
「そうだな」
自分はダメ人間なのだと、落ち込んでいても始まらない。
世界樹に行くことに対して、家族達は「一緒に行く」と言ってくれたのだ。単身赴任を覚悟していたが、それだけでも十分幸せで嬉しいことだ。
研究しはじめたばかりの『そっくりさんゴーレム』も、こうなっては現実逃避の道具だ。
けれど、頭を冷やせば色々な使い道が浮かびそうだ。今後も気晴らしに研究は続けよう。
ゴーレムの動作停止命令術式を魔力糸で送信。俺そっくりのゴーレムが動きを停めたのを確認してから研究室を出て、リビングダイニングに向かう。
廊下の窓から見える外は日も暮れて、王城や街の明かりが煌々と灯っている。
レントミアと一緒にドアを開ける。
夕食と後片付けが済んだリビングダイニングは、賑やかないつもの光景が広がっていた。
リオラとプラム、ヘムペローザ。それにラーナの声が、奥のキッチンの方から聞こえてくる。
何かお菓子でも作っているようで、きゃいきゃいと楽しそうだ。
リビングダイニングを見回すと、寝巻き姿のマニュフェルノが、ソファに座って編み物をしていた。傍らには安らぐ香りのするハーブティのポットとカップが置かれている。
「微笑。こっちきて、お茶をのみましょ」
「マニュ……」
柔らかな笑顔に、誘われてふらふらと向かう。
と、その時。
「けんじゃー発見ー!」
「とうーっ!」
ズドド! と横からすっ飛んできたのは、ルゥの子どもたちだった。
「うぉっと!?」
両足にタックルされるが、まだ小さいので可愛いものだ。と思っていたら、ガシガシとよじ登ってくる。
「めがねー!」
「ちょうだーい」
一番活発に動く猫耳の男の子ニーアノ。それと同時攻撃してきたのは、猫耳の女の子はニャッピか。
「うごぉお、メガネはやらんよ!?」
「こら、やめるっス。賢者っスからメガネを取ったらお家がなくなるッスよ!」
スピアルノがすっ飛んできて、ニーアノとニャッピを引き剥がした。
ルゥローニィの子どもたちは、俺のメガネは魔法の源……という謎の作り話を信じている。それで確かめたがっているのだという。
「はは、家はなくならないよ」
「そうなのー? なんでー?」
「メガーネ、魔法はー?」
「夜なのに元気だなぁ」
「お風呂入れたトコで、眠くなるはずなんスけどねぇ」
スピアルノは二人の子どもたちを抱き抱え、頬ずりをする。
確かに二人の幼子の髪は少し濡れていて、ハーブ入り石鹸の良い香りがした。
「ググレ殿! すまないでござるね」
ルゥローニィがやってきた。苦笑しながらミールゥとナータを抱っこしている。こちらは二人とも犬耳の特徴を持つ子たちだが、お風呂上がりで眠くなったようで、ウトウトしている。
「いやいや、この賑やかさが良いんだよ、なんというか……家って感じがしてさ」
「そうでござるか」
ソファに寝そべって本を読んでいる時、ドタバタと背中を飛び跳ねられると流石にうるさいと思う。でも今はこの賑やかさがなんとも心地よい。
不安でユラユラする不安定な心を、暖めてくれる……そんな気がするからだ。
ルウローニィは先程の夕飯時に、俺が世界樹に行くことになった事は打ち明けている。
命令とあらば仕方ないでござるね、期待に応えるべきでござろ。と、ルゥローニィは真っ直ぐな瞳で忠義の意味を教えてくれた。
けれど猫耳の剣士も、その話をしながら難しい顔をして、何か悩みはじめた様子だった。
「そういえば、ルゥは今日も道場の場所を見てまわっていたのか?」
「その件でござるが、あまり進展していないでござる」
四つ子たちも大きくなり、王都で剣術道場を開いて独立したい。とルゥローニィは言っていた。だが意外な言葉がルゥの口から発せられた。一体、何が良くないのだろうか?
「候補地が見つかった、とか言ってなかったか?」
「確かに王都の中に土地と建物は建てられると思うでござる。が、そこで問題が出てきたっす」
「問題……?」
俺が悩んでいる間、ルゥローニィも悩み事を抱えていたようだ。思わず身を乗り出す。
「その、剣術の需要が減っているでござる。道場は王都内に数箇所あるでござるが、生徒の確保に四苦八苦、だそうでござる」
「そうなのか? 剣術は家柄や職業によっては必須みたいなものだろう?」
「確かに、そういう伝統はあったでござるが。貴族のご子息は最初から騎士の養成学舎に行くでござるし、メインターゲットだった裕福な商人のご子息や一般人、いわゆる自由冒険者や、護衛業者になりたいという人間自体が減っているでござる」
「そうなのか? そんな話……いったいどこで」
思わぬ話に、俺とルゥローニィは長テーブルの椅子に腰掛ける。
「街角の『幻灯投影魔法具』で報道業者がインタビュー映像流してたでござる。平和になったこれからの時代、必要なのは学問だとか」
「ふぅむ……なるほどな」
「それで、少し考えたいでござる」
「お互い悩みは大きいな」
「一杯やりたいでござるね」
「賛成だ。とりあえずは世界樹転勤を祝ってくれ」
「にゃはは、やけ酒でござるね。付き合うでござるよ」
こうなれば今夜はメティウス酒場で一杯やりたい気分だ。
「世界樹……でござるか。拙者たちも行くのも……アリでござるね」
「え?」
ルゥがポツリとつぶやいた。
やがて、甘い香りが漂ってきた。
夜食にしては本格的な甘い香りは、パイだろうか?
香油ランプの暖かな明かりのなか、エプロン姿のリオラが、手にミトンをつけて焼き上がったばかりのパイを運んできた。
甘いベリージャム入りのパイだ。
パイの形がスライムに似ている、我が家の名物パイ。プラムとヘムペローザ、そしてラーナの合作だろうか。
「ぐぅ兄ぃさん、夜のおやつ『スライムパイ・ブラック』できましたよ。黒すぐりのジャムでくろいんですよー」
「おう、美味しそうだな」
思わず笑みがこぼれた。
<つづく>




