極大級魔法『清らかなる断罪の十字架』
眼前に浮かぶ魔法の小窓、『戦術情報表示』が鋭い警告を発している。
――警告! 高密度魔力反応を検知!
――ハイエルフ系言語による魔法円の高速描画、多重励起を検知!
対峙するハイエルフの魔法使い、レイストリアが励起しているのは明らかに高度な戦闘用の魔法だ。しかもかなりの高出力とみえる。
「なんという魔法力の大きさだ……!」
防御用の『賢者の結界』は戦闘出力で展開済み。だが膨大な魔力の放射に思わず身構える。
一瞬前までは凪ぎの海のようだった魔力波動が、凄まじい圧力で押し寄せてくる。
「ゆくぞ、ググレカス殿」
「く……!?」
12メルテほどの距離を置いた位置に立つ純白の衣装に身を包んだレイストリアは、右の手のひらを静かに此方に差し向ける。細くしなやかな指先が、幾何学模様を重ね、複雑な魔法円を空中に描き出してゆく。
地面に展開している巨大な積層型魔法円と併せることで、どうやら魔法励起は最終段階へと突入。対象へと差し向ける、いわば目標固定段階へと差し掛かっているようだ。
実戦なら、こうしている間にも魔力糸による相手魔法円への干渉、破壊、阻害を行える。魔法力の撹乱といった戦術を駆使するのだが、これはいわゆる『御前試合』であり、ルールに則って行われているものだ。
攻撃側が仕掛ける間、防御側はひたすら「耐え」なければならない。
魔法攻撃に徹する側は全力を投入、対する防御側も防御に全力を尽くす。
勝敗は、相手が「参った」と言う。あるいは審判が危険と判断し中断する。この場合は攻撃側が判定勝ちという事になる。
更に、互いに立っている位置、足元の地面に描かれた直径1.2メルテほどの円から出ても勝敗がつく。つまり、物理的な力で相手を押し出す、あるいは魔法力で吹き飛ばす。そんな戦術を使うことも可能なのだ。
そして恐ろしいのは攻撃側に制限時間が設けられていないことだ。
例えば強力な火炎魔法を浴びせかけ続けても良い。その時間が10分でも1時間でも「可能なら」仕掛け続けて構わないのだ。酸欠や輻射熱による身体的ダメージによる死傷を狙われると恐ろしいが、まさかそこまではやらないだろうと信じたい。いや……大丈夫だよな?
などと悶々とルールを確認している数秒の間に、攻撃側の準備が整ったようだ。
城の中庭に驚きとざわめきが広がってゆく。たまらずに声を上げ始めたのは、見物している宮廷魔法使いたちや、王国軍の魔法兵団に所属する者たちだ。
「なんだレイストリア殿の魔法は……!?」
「おぉ……なんと複雑で美しい魔法円だ!」
俺たち二人の魔法の他界をつぶさに観察しているのは、海千山千の宮廷魔法使いたちだ。
「あ、あれは……!」
「し、知っておられるのですか、魔法兵団副団長殿ーッ!」
「あぁ、確か魔王大戦で、敵の十二魔将軍の一人を葬った、極大級魔法……ッ!」
「な、なんですってェエエッ!」
「俺は、この目で、ノイターン平原での人類連合軍での戦いの最中に見たんだッ!」
バルコニーの二階から、かなり暑苦しい解説をしてくれているのが、二人の魔法使い。黒と銀のマントを羽織った魔法兵団副団長と呼ばれた中年のヒゲ面男と、若い角刈りの魔法使い。二人共軍属のせいか声もでかいので耳に入る。
っていうか、極大級魔法ってマジか?
すると、レイストリアが、空中に幾重にも重ね筒状になった魔法円を、まるで砲口のように此方に向ける。
そして地面に重なった魔法円が青白い光の渦と化した、その時。
「――清らかなる断罪の十字架!」
レイストリアの周囲で青白い光が柱となり、空へと伸びる。光は水晶の結晶に似た細長い刃のようになり、途中から左右に枝が伸びる。その形状はまさに「光り輝く巨大な十字架」だ。
「お、ぉお……!?」
神々しいまでの魔法の輝きに、中庭のバルコニーで見物していた観客たちから大歓声が沸き起こった。
巨大な光の十字架は、猛烈な勢いで此方に倒れかかってきた。いや、まるで巨大な聖職者が十字架を叩きつけるかのような勢いで迫ってくる。
ズゴォオオオ……! と巨大な光の十字架が頭上から迫り来る様は壮観で、美しくさえあった。
戦術情報表示が警告を発し退避を促すが、そうもいかない。
――これがレイストリアの本気の魔法……ッ!
「賢者ググレカス!」
魔法協会会長、アプラース卿の肩から妖精メティウスが叫んだ。
俺は光の渦に巻き込まれた。目の前が真っ白に染まり、頭上から凄まじい衝撃と圧力が襲いかかった。魔力――それもレイストリアの魔力糸が高密度に編み込まれた、魔法の刃の塊だ。それに破邪系の浄化魔法、対決界魔法、物理的な超振動を生じさせる魔法など、複数の魔法を練り合わせている。
「ぐ、ぐぉおお……!?」
超駆動させたはずの『賢者の結界』が一瞬で耐久限界を越え、バリバリと砕けてゆく。
最表面の第十六層、その下の十五層……そして一気に八層まで砕け散った。しかし、魔法の威力はまだ衰えない。
「嘘だろ、あの攻撃魔法の威力……!」
「殺す気か!?」
「おぉ、見ろ!?」
「だが、賢者様もレイストリア殿の魔法に耐えているぞ……!」
「あれが噂にきく『賢者の結界』の防御力か!」
――防御結界、耐久限界……! 第四層崩壊!
観客達は大いに湧いているが、こっちは限界が近い。僅か三秒ほどの魔法放射で、賢者の結界十六層のうち十二層が消滅。タマネギの皮を剥くように剥がされてゆく。
「ぐっ……!?」
このままでは結界が全壊する。直接この魔法に晒されてはマジで死にかねない。
内側から『賢者の結界』を追加で励起するか、いや――まて。
賢者の結界もただ一方的に砕かれているわけではない。破損する瞬間、接触した魔法の情報を逆転写。分析用の自律駆動術式と自動連携しその魔法術式と魔力特性を分析、戦術情報表示に映し出してゆく。
次々と映し出される真っ赤な警告とともに、レイストリアの放っている『清らかなる断罪の十字架』を構成する魔法を解析する。
魔法使いとしての実戦経験では向こうが上かもしれないが、分析力ではこちらが上。戦術情報表示に表示された魔法の特性から、次の手を読み解く。
――この魔法、まさか続きがある!?
俺は慌てて、戦術情報表示を視線誘導で操作し、自律駆動術式で魔法を選び励起する。魔力を全力投入し超駆動。
今唱えねば、手遅れになる。
――間に合え『隔絶結界』!
既に『賢者の結界』は残り二枚。だがそこで光の十字架の上からの襲撃は止んだ。地面には魔力の残滓のように、巨大な光の十字架が描かれたままだ。
丁度、十字が交差する中心に俺が立っている状態だ。
レイストリアは表情ひとつ変えず、此方に差し向けていた細い指先を天に向け、スッ……と何かを掴むように握りしめた。
次の瞬間、四方から光の刃が襲いかかってきた。
「うぉおおお!?」
「ばかな! 魔法に……続きが!?」
青白い光の刃が今度は地面に描かれた十字架のそれぞれの頂点から、俺を目掛けて一斉に向かってくる。直撃までの時間はゼロコンマ二秒も無い。
「『隔絶結界』ッ!」
俺は地面に膝をついてしゃがみ、最低限の直径――僅か1メルテ程度でなんとか励起できた、『隔絶結界』の空間に身を潜めた。
間に合った!
目のくらむような青白い閃光と衝撃が、閉じた空間の外側で炸裂した。
十字架の頂点から放たれた魔法は僅かな長さの差から、僅かに着弾の時間もズレている。四連撃ともいえる攻撃は、高熱の照射、衝撃による破砕、激しい爆破が二回、とご丁寧に種類まで異なっていた。
対応しようにも並大抵の結界では防御など不可能。結界のない状態で浴びたであろう魔王軍の幹部は、おそらく塵一つ残らなかったかもしれない。
レイストリアの魔法攻撃はこれで止んだ。
「ぉ……おぉおおおお!?」
「信じられん! なんという美しき魔法、超高度な魔法攻撃なのだ!」
「あれが姫殿下の近衛魔法使い、レイストリア殿の実力!」
爆発による煙で視界が霞む中、魔法使いたちが口々に叫ぶ。
だが、俺がユラリと立ち上がると、どよめきと拍手が沸き起こった。
今の攻撃で不安定になった『隔絶結界』を破棄。時間があまりにも短く、生成できた結界の直径も小さかったが、逆に地面に伏せたことで耐えられたようだ。
「おぉ……! 見ろ!」
「賢者ググレカスがあの一撃に耐えた……!」
「あんな攻撃に一体……どうやって耐え抜いたのだ!?」
「魔王大戦の英雄の名は伊達ではないということか」
「姫殿下の懐刀と呼ばれるだけはあるな。しかし……攻撃の手はあるのか?」
レイストリア嬢は相わからず無表情だが、髪をすっとエルフ耳にかきあげる。
「……チッ」
ハイエルフが極々小さく舌打ちする。
僅かに残念そうな表情をする。
こいつ……絶対本気で殺そうとしてやがったな!
「ハハ……やれやれ。レイストリア殿、今のは死ぬかと思いましたよ」
「私の一撃に耐えたのは貴方が初めてです。お見事」
「お褒めに預かり光栄だ」
俺はズリ落ちかけたメガネを指先で持ち上げた。
気のせいかレイストリアの顔に朱がさしている気がする。冷静に見えるがあれだけの魔法を放ったのだから、多少なりとも疲労しているのだろうか。
とはいうものの。なんとか攻撃側の最初のターンは耐え抜いたが、既に切り札の『隔絶結界』さえ使ってしまった。これ以上の攻撃を浴びせられたら流石にまずい。
やんややんやと拍手喝采。大騒ぎしている観客達の中、中庭のバルコニーの三階部分に、黒い影が現れた。周囲の観客達がハッと息を飲む。
「わかってないねぇ。あの白エルフの魔法の威力をほとんど観客席に届かせなかった、アプラース老の結界術こそ最強だろうさね」
「アルベリーナ嬢、わしゃ何もしとらんぞな」
謙遜しつつ白いあごひげを撫でる。魔法協会会長が向ける視線の先。
そこにはダークエルフの魔女、アルベリーナがいた。漆黒の長い黒髪を緩く一つに結い、魔女が好むトンガリ帽子を被っている。紫色のマントは特注品だろうか。
「ウホ、あれが遺物探査研究特務機関ヴリル代表、アルベリーナかホ」
「フヒ、漆黒の魔女まで飼っているとは、王城は魔窟だヒ」
「ウホ、姫殿下は出自不明の拾い物が、よほどお好きと見えるホ」
「フヒ、しっ……聞こえるヒ」
国王派の魔法使いだろうか。双子らしい太った魔法使いが二階のバルコニーで語り合っている。次のドサクサで巻き添えにして締めてやろう。
そんな雑音も無視し、俺に向けて薄笑いを浮かべて手を振るアルベリーナ。
手首には数多くの装飾品が巻かれ、指にはいくつもの指輪が光っている。どれも謎めいた力の籠められた魔法の品だろう。
しかし、アルベリーナの言葉に「俺とレイストリアの魔法について」熱く議論を交わし始めていた魔法使いたちは、顔を見合わせてバツがわるそうにする。
見回すと、中庭は観客席に近づくにつれ、結界が張られている。まるで光のヴェールに包まれているようにレイストリアの魔法は減衰し、威力が打ち消されていた。先程のレイストリアの一撃は、本来なら周囲を巻き込んで被害を及ぼしかねないものだった。
「あたしゃアプラース老の魔法にこそ興味が湧くよ」
「ホホホ、魔法の真理をちょこっとだけ知ると出来るのじゃがのう。小技じゃよ」
これだけの広範囲の空間全体を覆う魔力とは如何ほどのものか。あるいは全く別の魔法原理を用いた結界術なのだろうか。これだけでも魔法協会会長アプラース卿の力量を察するに余りある。
「ささ、次はググレカス殿の番じゃぞい。さてはて、どんな技をみせてくれるのかのう? 実に楽しみじゃて」
魔法協会会長アプラース卿が、期待に満ちた眼差しを向けてくる。ここは期待に応えねばなるまいか。
「では、お言葉にあまえまして」
俺は賢者のマントを振り払うと、再びレイストリアに向き直った
<つづく>




