イオラ、貴族に絡まれる【後編】
鏡のような湖面に波紋を揺らしながら、手漕ぎの小舟がゆっくりと岸辺に近づいてくる。
小舟に乗っているのは、金髪の姉妹と赤毛の少年だ。
湖畔には小さな船着き場を設けている屋敷も見える。近づいてくる手漕ぎの小舟もそこから来たのだろう。
王城にほど近い三日月池は単なる巨大な貯水池ではなく、貴族のご令嬢による舟遊びの場でもあるらしい。
「舟遊びかぁ、王都の貴族は凄いなぁ」
イオラは関心半分、戸惑い半分といった面持ちで近づいてくる声の主を眺めている。
賢者の館のお隣――といっても2百メルテほど離れている湖畔には、ふたまわりほど大きくて立派な館が建っていた。更にその隣にも、見るからに立派な屋敷が建ち並んでいる。
王都の北側にある「三日月池」の周囲に広がる広大な緑地帯――。イオラが歩いている公園はその一部分だが、更に北側には馬を育成管理する牧草地も広がっている。
環境もよく静かで緑も豊かな湖畔に、豪華で立派なお屋敷を構えられるのは、称号を持つ貴族などだろう。
一番手前に見える「賢者の館」は、そんな湖畔に並ぶ屋敷の中では一番小さくて質素なほど。
「――君! 賢者様とはどういうご関係かしら?」
金髪のお嬢様が舟の上で立ちあがり、イオラに質問を投げかけた。
凛としたよく通る声。かといって貴族に有りがちな高慢ちきな感じでもない。興味本位の無邪気さが、本来は不躾で無礼な問いかけを明るさのオブラートで包んでいる。
対して、これからティバラギー村に帰るイオラは旅装束。
北方民族風の刺繍入りの上着を羽織り、背中には荷物の入ったザックを背負っている。誰が見ても平民の旅人といった風体だ。
本当は愛用の短剣も携帯していたが、王都中心部への立ち入りの際に検問所で一時預かりとなっている。事前にググレカスに訪問予定を告げていれば、簡単に携剣許可が下りたのだと聞かされたが、これは後の祭りだった。
ちなみに、ジャガイモを運んできた荷馬車はすでに運搬業者に代金を前払い。王城を囲む城壁の外側に移動してもらっている。
「賢者様のお屋敷に住んでたんです、ずっとお世話になってて」
「まぁ?」
「戦災孤児だった俺と妹を、助けてくれたんです」
「流石は賢者様ね」
イスタリアが青い瞳を瞬かせた。普段の生活では話す機会など無い、身分の違う貴族のご令嬢にイオラは少し戸惑いを覚える。
岸辺は船着き場がないので、イオラの居る方に降り立つのは難しそうだ。停泊させた舟と5メルテほどの距離を置いて話すことにする。
「あ……イオラさんだ」
意外にも名を知っていたのは、チュウタと呼ばれた赤毛の少年だった。
思わず口にしてしまったのか、はっとした顔をしている。
「あら? チュウタ、知っているの?」
「え、あ、はい」
あどけなさを残す少年は少し褐色の肌に炎のような赤毛。イスラヴィア人だろうか。何処かで見たような顔だなと思いつつ、イオラは思い出せなかった。
チュウタ……?
そういえば、賢者の館でプラムとヘムペローザが可愛がっていたネズミがそんな名前だった気がする。もしかしてメタノシュタットでは「小間使い」の俗称なのかもしれない。
チュウタは舟の上に立つイスタリアお姉さまを背後から右手で支えつつ、左手に持った手漕ぎのオールを操るという離れ業を演じている。
なかなか貴族の小間使いも苦労が多そうだなと思いつつも疑問が湧き上がる。
「なんでオレの名前を知ってるの?」
「あっ、リオラさんに聞いていたので。僕も、一時期、ググレカス様の家でお世話になってたんです! ちょうど、イオラさんが居なくなった後ですけど」
チュウタが赤銅色の瞳を少し泳がせながら説明する。
「あ、なるほど。確かに聞いたことがあるよ」
「リオラさんには、とってもお世話になりました」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げるチュウタ。
「そっか!」
確かにリオラが「あたらしい男の子が来たの。ぐぅ兄ぃさんが可愛がっているわ」と手紙に書いていた気がする。
それにプラムとヘムペローザが「チュウタがイオ兄ぃの部屋を使っていたのですよ」とか「チュウタは哀れにも先日貰われて……いったがにょ」と。そんな話も思い出す。
それにしても。どこかで見た顔だ。同じイスラヴィア人だからだろうか。なんとなくエルゴノートの事が脳裏に浮かぶ。もしかすると、かつてイスラヴィアの首都へ冒険した時に、どこかで遇ったのかもしれないと納得する。
「あなたが、リオラさんのお兄さまなのですか?」
ルミナリア――大人しそうな妹の方のお嬢様がチュウタの背中越しに、おそるおそる話しかけてきた。
「うん、そうだけど。リオラのことも知っているの?」
「はい、いつもセバスチア……あ、うちの執事長がリオラさんの事を話しているので」
「し、執事長……さんが?」
イオラは少し首を傾げる。
「わがヴィルシュタイン家の執事長は魔王大戦で名を馳せた、勇猛な戦士ですの」
凄いでしょう? とでも言わんばかりにイスタリアお嬢様が背筋を伸ばし、あごをすっと上げる。
「騎士団長ヴィルシュタイン卿!」
思わずイオラは声を上げていた。いろいろな冒険の場面で、時には賢者ググレカスを疑い、そして時には協力して戦った勇猛な騎士の長だ。
つまり、その娘さんたちということになる。
だとしたら執事がいるお屋敷だというのも合点がいく。凄いなぁと感心しつつ。セバスチアさんとやらは、一体リオラの何を知っているのだろうと一抹の不安がよぎる。
「はは、凄いですね。でも……なんでリオが?」
「我が家では何か用事があると、執事長がググレカス様のお宅にお邪魔します。その時に対応してくださるのが、リオラさんらしくて」
「なるほど」
と、ルミナリアの説明に相槌を打つと、姉のイスタリアが話を引き継いだ。
「見た目は普通の娘さんに見えるのに、あれは修羅場をくぐってきた猛者の目をしている――。そんな輝きを瞳の奥に宿していると、執事長が言っておりましたの。……彼女は、いえ兄である貴方は何者かしら……? 剣術の稽古もしておりましたわね?」
「え、えぇ……?」
思わずイオラの顔が引きつる。
「リオラさんの立ち振舞にはまるで隙が無い……と、執事長は一目置いておりましたわ。流石、賢者様のお屋敷ですわね。ご一緒に住むには何か、特殊な技能や能力がないとダメなのかしら?」
ずいっとイスタリアお嬢様が身を乗り出し、瞳を爛々と輝かせる。
「い、いやいや!? 無いですよ! 確かにあいつ、強いときはあるけど……普通、普通ですって」
「ぜひ、お話を聞かせていただきたいわ。とても興味がありますの。お茶などいかがかしら?」
イスタリアがぐっと身を乗り出すと舟が揺れ、チュウタが腰を押さえる。
「危ないですお姉さま」
「結構です。オレ先を急ぐので……。じゃ!」
「あっ!? おまちなさい」
イオラは笑顔で手をふるとダッシュでその場を離れた。背後からは「今度いらした時に、必ずお話を訊かせて頂きますわ!」と叫ぶ声が聞こえた。
リオラへの過分な評価は、様々な冒険の結果だろうか。
というか……お嫁に行けるのだろうか? 言ったら殴られそうだけれど、兄として心配になる。
けれど――。
リオラは大丈夫そうだ。
元気でやっているのはよくわかった。
ぐっさんに責任を取ってもらってお嫁さんにしてもらえばいいのだから。
万が一、愛想を尽かされて追い出されるような日が来たら、オレが面倒を見る。かつて夢見たように、兄と妹で二人慎ましく暮らすのも悪くない。
でも……その時はハルアになんて説明しよう?
ハルアとは「ずっと一緒にいる」と人生の約束も交わしている。
そこに一人、妹を加えても……まぁ大丈夫だろう。
「ま、なんとかなるか」
イオラは持ち前の楽天的で前向きな決意を胸に、青い空を見上げる。そしてティバラギー村へ、北の街道にむけて歩き始めた。
<おしまい>
【作者よりのお知らせ】
次回から新章が始まります! おたのしみに!




