イオラ、貴族に絡まれる【前編】
※今回はイオラくん視点です。
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振り返ると、館の庭先で家族たちが手を振っていた。
「イオ兄ぃ、元気でねー」
大きく弧を描くように手を振っているのは、緋色の髪が綺麗なプラム、そして妹のようなラーナ。
それに、最愛の双子の妹、リオラだ。
三日月池を渡る風を感じながら、息を吸い込んで。イオラはおおきく手を振りかえした。
「じゃぁな! みんな! また!」
後はもう、振り返らないことにする。
思い出深い「第二の実家」で過ごした日々が、色鮮やかに蘇る。
賢者と称されるほど、特殊で最強の魔法使いであるググレカス――ぐっさん。同じく最強の呼び声高いレントミアさんに、剣術の師匠のルゥローニィ。
もちろん、妹のリオラや、憧れのマニュフェルノ夫人も忘れてはならない。それに楽しい兄妹であるプラムやラーナ、ヘムペローザとの日常も。
三日月池の波紋に視線を向けると、館が鏡のような湖面に映っていた。白い雲がゆっくりと動いてゆく。
青空と赤い瓦屋根の館を懐かしむように眺めると、広い芝生の庭先には色鮮やかな薔薇が咲き誇っていた。
――『賢者の館』と人々が親しみを込めて呼ぶその屋敷は、王侯貴族たちの成金趣味とは程遠い。質素で簡素な造りは味わい深く、築年数を越えた味わいと深い趣が感じられる。
それは館の主である賢者ググレカスの、深い知恵と、謙虚で飾らない人柄が滲み出ていると言ってもいいだろう。
屋敷を囲む美しい庭と周囲の緑との調和もまたすばらしい。三日月池まで含めれば、まるで一枚の絵画のように美しく、いつまでも眺めていたい程だ。
この景観を作り上げたのはググレカスの愛妻、マニュフェルノの努力によるものだ。
薔薇に愛情を込め、風に揺れる柔らかな風合いのハーブや小花を育てたのは、趣味と実益を兼ねているという。僧侶系の魔法使いであり、治療薬の材料にするためでもあるらしい。
いろいろな思い出にこれ以上浸っていると、別れが辛くなる。
イオラは意を決し、再び歩き出した。
――ティバラギーに帰ろう。
湖面を左手に眺めながら王城裏公園を進んでいくと、絵画のような風景の湖面を、小さな手漕ぎのボートが滑るように動いていた。
池に波紋を生じさせているのは、その小舟だったようだ。
見れば、品のいいドレスを着た少女二人が、赤毛の少年(おそらくは小間使いだろう)に指示を出している。
「ほらチュウタ、もっと速くお漕ぎなさい!」
「やってますよ、イスタリア姉さま、静かにしてください」
「あまり速いと怖いですチュウ兄ぃ……」
「ごめんねルミナリア、怖かったら僕に掴まってて」
「な、何よその違いは!?」
イスタリア姉様と呼ばれた少女が立ち上がると、舟がぐらりと揺れた。
「きゃぁ!?」
「立たないで、危ない!」
どうやらキーキー叫んでいるのが姉、大人しい方が妹。赤毛の少年は弟らしい。
「貴族の遊びって優雅だなぁ……」
イオラは貴族の遊び――手こぎボートの珍しさを眺めながら歩き出そうとした。
「そこの君、おまちなさい!」
「……え? 俺?」
ボートの上の縦巻きロールの金髪少女が自分に声をかけているようだ。
思わず立ち止まり、訝しげに目を細める。見覚えのない3人組だが、明らかにボートは岸辺へと近づいてくる。
「そう! 賢者様の庭先で……剣の稽古をしていた君よ!」
<つづく>




