エレーン先生と学ぶ魔法言語
索敵結界に、さざ波のような反応があった。
――魔力波動、魔法使いか?
「賢者ググレカス、何かが近づいてきますわ」
妖精メティウスが懐から飛び出すと、ひらりと書架の上まで飛びあがった。そしてきょろきょろと高い位置から辺りを窺って戻ってきた。
図書館という場所に馴染む妖精は、薄暗い中で燐光魔法に近いほのかな明かりを放っている。
「どうやら気にするほどではないな……協会の魔法使いか」
「そのようですわね」
見えない位置を魔法使いが通りかかっただけかもしれない。
反応は弱い。魔力糸が林立する書架と膨大な蔵書に遮られている。
周囲の書棚に収められた魔導書だけでも千冊を越える。蔵書の中には、表装や使われているインク自体が、僅かながら魔力を放っている物があり、阻害要因になっている。
戦闘出力の索敵結界ではなく、あくまでも受動的な状態での検知なので、精度は今ひとつだ。
「姿は見えませんでしたわ。魔法使いでなければ、図書館に棲む妖精か精霊でしょうね」
「メティが昔住んでいた場所だからな。何がいても不思議じゃないさ」
図書館とは名ばかりで、ここはかなりのミステリースポットだ。
怖がりのヘムペローザに聞かれないように小声で話す。
本から本に渡り歩く精霊や、暗がりに紛れて移動する霊などの噂も聞く。妖精メティウスも同じような存在と言えなくもない。
「ここで暮らしていた記憶はあるのですけれど……。賢者ググレカスとご一緒に、外の世界に飛び出してからは、ここでの記憶をあまり思い出せませんの」
「ふむ、そうなのか」
「えぇ」
王立図書館には、魔法の書籍から生まれた妖精や、いつの頃からか棲み着いた精霊もいるという。妖精メティウスの「出自」も、そういうことにしておこう。
例えば検索魔法の源になっている検索妖精は、図書館の中で位相のずれた場所」に棲む精霊だという。
そこで、ふと思い至る。
もしかすると検索妖精は、王城周辺の図書館周辺で発見された『亜空間バブル・アブソーバ』――極小の異空間と関係があるのかもしれない。
「そういえば、オートマテリア・ノルアード公爵はどうなされたのかしら?」
「今も『亜空間探索』に熱を上げているらしいな」
「まぁ? 息子さんにはお会い出来たのでしょうか」
「そう簡単ではないだろう」
公爵は「大使」としての仕事そっちのけで、熱心に研究と探訪を続けている。という報告は聞いていた。
絵画に仕込まれた魔法の扉から極小の結界空間へと入り、探検。
ご子息様の復活につながる、手がかりを探しているのだ。
「なんだか悲しいですわね」
頬に触れる手のひらの温もりを感じつつ会話を交わしていると、数冊の魔導書を抱えていたマリエルさんがメティの存在に気がついた。
「そちら、賢者様の妖精さんですの!? 初めてお目にかかりますわ!」
プラムとヘムペローザのために、本を探すのを手伝っていた司書官見習いさんは瞳をキラキラと輝かせた。
「おやマリエルさんはメティを見るのは初めてかな?」
「はい! 司書仲間の間でお噂はかねがね。けれど、実物はこんなに可愛らしいなんて。感激ですわ」
「ふふ、お若い司書さま。可憐で美しいだなんて、嬉しいですわ」
優雅に金髪を振り払うと、メティウスは俺の頬にぴたりと身を寄せた。羽と髪がくすぐったい。何故かマリエルさんに対して親密アピールをしているようにも思える。
「メティもお年頃ということなのか」
「どういう意味かしら?」
「いやなんでも」
図々しくなってきたというべきか。可愛いという言葉には「可憐で美しい」という意味も含んでいるんだったか? まぁ類語だから構わないが。
「司書は静かな仕事かと思っておりましたわ。けれど毎日が驚きの連続です。賢者様にお逢いできたり、本物の妖精さんに会えたり。そういえば、遠い異国の大使様もお見えになりましたわ」
「異国……? 西国からお見えの?」
「はい、確か西国ストラリア国のお方でしたわ」
マリエルさんが頷く。
やはり、オートマテリア・ノルアード公爵はこの図書館近辺を探索し続けているようだ。
プラムやヘムペローザだけで来させるのは、なんとなく危ない気がする。すぐ横にいるというのに、思わず二人を確かめるように声をかける。
「プラム、ヘムペローザ、良さそうな本はあったか?」
「いろいろありましたですよ。でもどっちがいいですかねー?」
「どれどれ……?」
プラムは二冊の本を持っていた。それぞれ図鑑だが、タイトルは『幻想、生き物図鑑』と『実録、世界いきもの図鑑240』だ。
「幻想のほうは半分想像図だなぁ。この本の筆者は実際に見ていないんじゃないか? 図鑑として価値があるのは『実録、世界いきもの図鑑』のほうかな」
動物や半昆虫人などが、水晶球転写で本物を写した「絵」が印刷され姿を見られるばかりでななく、生息地分布や、生態についての解説も素晴らしい。
「じゃぁこっちが良いですねー」
「あぁ」
納得した様子のプラム。
次は魔法の本を選ぶヘムペローザの本を選んでやろう。
ダークエルフ・クォーターの弟子も二冊の本を抱えて悩んでいる。
タイトルは『ゼロから学ぶ魔法の書』と『エレーン先生と学ぶ魔法言語』だ。
「うーん。賢者にょが決めてくれにょ」
「まぁ、ヘムペロの場合ゼロからでなくてもいいだろ? 基礎は大事だがな」
「で、どっちがオススメにょ?」
「イラストが可愛いからエレーン先生かな。でも基礎理論を真面目に学ぶならゼロも捨てがたいな」
本の中身を見てみると、女性魔法使いのエレーン先生の魔法講座のほうが面白い。実例が記載されているのでわかりやすいという点も高評価だ。
ゼロから学ぶ……のほうは、魔法理論が正確に、体系づけられて書かれていて非常に良いのだが、とっつきにくい印象だ。
「賢者様が読み解いて差し上げれば、ゼロからも良い本ですわ」
「賛成ですわ。賢者ググレカス」
司書官見習いのマリエルさんと妖精メティウスの言葉が決め手になった。
「なるほど。二人の言うとおりだ。両方借りていきますよ」
「難しい方は、特別授業を頼むにょ」
「弟子のためなら構わんよ、いや……自分のためでもあるからな」
「にょ?」
黒水晶のような瞳を瞬かせるヘムペローザ。
もちろん本を借りたのは、学習意欲旺盛な弟子のためだ。だが、自分自身が魔法を「学び直す」ことにもなると考えていた。
実のところ俺自身、基礎部分は検索魔法での付け焼き刃。怪しい部分もある。
時間のある今こそ、じっくりと学び直してみたいのだ。
しばらく図書館で本を見て回った俺達は、夕方近くになって帰路についた。
<つづく>




